クルシス 十二ヶ月

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葉月

 いくつもの頂を越える道をたどれば、暑さはいっそう激しくなった。足をひきずって歩く仲間達の背後には、この数日間雨がふらなかったせいで、土ぼこりがまきあがる。額を流れる汗に、まとわりつく埃くさい空気、そして、全てのものを枯す勢いで差す陽光。すっかり軽くなってしまった水筒は、動くたびに背中でぴちゃんと音を立てた。クラトスは背後から来る仲間の足取りが一段と遅くなったことに気づいている。
 道の脇から崖へと飛び出している岩の先に軽くよじ登った。これからたどる道の先は、干上がってしまったかのような草と木々の間に白々と見える。どこもかしこも乾燥していた。じっと目をこらした先に、こんもりと緑が茂っている場所が確認できた。



 ミトスが岩の隙間にしたたる水を掬っていると、崖際の道にようやくマーテルを背負ったユアンの姿が見えてきた。立ち上がろうとするミトスを制した。
「水を入れていてくれ。あのままでは、ユアンも持たないだろう。私が代わってやろう」
「クラトス、ユアンはお前の言うことなんか聞かないよ。姉さまのことになると、妙に頑固だもの」
 岩から落ちる小さなしずくをコップに受け取る手を休めず、ミトスはくすりと笑った。
「だが、あの距離ではまだ三十分はかかるだろう」
「それより、これを持っていってあげてよ」
 ミトスが小さな水筒を差し出した。
「いよいよのために、隠していたんだ。もう必要ないし、あいつがクラトスと同じだけ水を飲んでいないことにも気づいている。お前達ときたら、姉さまと僕がどれだけか弱いと思っているの。勘違いも甚だしいよ。だから、お前達の水をもらって、僕のは取っておいた。どこかの勘違い共が倒れたときのためにね」
 受け取った水筒は生ぬるいが、まだ十分に入っていた。
「ああ、と、ミトス、それは勘違いというわけでは」
 クラトスの言葉は強引に遮られた。
「ユアンと姉さまがたどり着く頃には、容器に一杯ぐらいの水は貯められていると思う。だから、ユアンに飲ませて。そうしないと、いつここまで来るかわらないからね。頼んだよ」
 ほら、とミトスに促されて、クラトスは苦笑しながら清水のしたたる岩陰から立ち上がった。



 貴重なしずくは絶え間なく落ちる。今まで辿ってきたむき出しの山道は日を遮るものとてなかった。重なり合った深い藪に守られ、濡れた岩場の涼しさに、一行はようやく一息をついた。それはどこか、彼らの生き方に似ていた。絶え間のない長い戦火をくぐりぬけ、一年と続かないわずかな平穏を慈しむ。
 緊張から解放されたクラトスは考えるともなくぼんやりとしていた。水の側で生気を取り戻したハーフエルフ達が騒いでいる。ユアンが甲斐々しく婚約者の額を冷やし、その弟にもっと水を飲めとくたびれた琺瑯のコップを押し付けている。クラトスと目があったミトスがやれやれと天を仰ぎ、義理の兄の手を引いた。
「ユアン、僕もねえ様も子供じゃないんだ。お前にあれこれ言われなくたって、ちゃんと出来る。それより、お前こそ、少し休んだらどうなの。顔色が悪いよ」
「しかし」
 文句を言いたそうなユアンにクラトスが声をかける。
「この先、山道はまだ長い。後どれぐらいで抜けられるかわからぬ今、体力は温存しておかねばならないぞ」
「貴様に言われなくても分かっている」
 マーテルの横にユアンは不承不承腰をおろした。マーテルは寄りかかっていた岩から身を起こし、婚約者の肩に頭を寄せた。青い髪に淡緑色が重なり、岩陰にひっそりと佇むツユクサを思わせた。
「無理しないで、ユアン」
 彼女が一番しっかりしているな、とクラトスは苦笑した。身を寄せられたユアンがかちこちに固まって大人しくしている。これで、マーテルが彼を解放するまでの間、じっと座っていてくれるだろう。ミトスが貴重な水源の脇に生えていたツワブキの葉をとり、姉に風を送っている。マーテルの柔らかな髪がふわりと風にそよぎ、ユアンが擽ったそうに笑みを噛み殺した。
 穏やかで美しいハーフエルフ達。彼らが何をしたというのだろう。なぜ、あれほどまでの憎悪を向けられるのだろう。声高な理想は耳に痛いかもしれない。だが、黙って聞き流せないほどのことでもあるまい。現に大樹は弱り、マナは薄れていっている。
 半日前に長年使っていた隠れ家にいきなり奇襲をかけられた。壮絶な戦いの末、四人は山の中に逃げ込み、次に受け入れてもらえる場所を求め、彷徨っている。
 彼らが唱える理想の世界がすぐそこにあればどれほどよいことか。この清らかな滴で大樹が息を吹き返すなら、あれほどの血が流れないものを。
 クラトスは深くため息を落とし、しずくの下に水筒を置いた。艶々としたツワブキの葉を取る手が血をしたたる剣を握っていたのは、ほんの少し前だった。穏やかに笑みを浮かべ、婚約者の肩に手を回している男が、強大な呪文と共に血しぶきを散らしていた。今、透明な滴が流れる己の手も、敵の返り血で汚れていた。
 背後からユアンの声がした。
「クラトス、その水筒が一杯になったら、ここを立とう。日はまだ高いが、距離を稼がねばならない」
 冷静な青年の声に、クラトスは軽く同意の印に頭を下げた。貴重な穏やかな時間をこれ以上無粋なやりとりで無駄にしたくなかった。
 長い荒廃とした道が先に続いている。そこに終わりがあるのかどうか、彼には分からなかった。全てを焼けつくす夏の日差しに耐えられるのか、耐えた先には穏やかな秋が来るのか、誰も知らない。歩き続けなくてはならないことだけが、皆の了解だった。
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