旅路

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火影

 しのつく雨の中を山の小道を急ぎあがる。
 すでに夜に入り、道は木々の陰と藪が重なり、ほとんど小さな川のように水が流れている。葉から落ちるしずくも激しく、雨を避けるには至らない。青い髪を伝わる雨水に濡れそぼって重たいマントをそれでも体に巻きつけ、なるべく音を立てないように静かに急ぐ。
 先月、共和国の南に位置する辺境に入り込んでからというもの、共和国とは異なり、王国以上にハーフエルフが敵視されているため、目立たぬよう潜伏している。共和国とは当然のように敵対しているため、どうしても北からきた彼らを快く思う民はここにはいない。共和国での当初のようにすぐに同志を募るわけにもいかない。
 仕方なく、野宿の末にみつけた山の中腹の見捨てられた農家に入り込んでいる。だが、ここにきて、地下で活動しているハーフエルフ達とも繋ぎがつき、この地域での争いへの介入の目処がわずかにたった。


 晩秋の気温は南といえども、かなり下がり、ぐっしょりと濡れた体が冷え切ったころ、雨も霧へと変わり出した。険しい山道にそこだけがわずかに開けたところの崖にひっそりと寄り添うように、隠れ家としている農家が見えてきた。
 すでに見捨てられてて長いせいか、農場の入り口の門はすでに朽ち、倒れかけた柵にわびしげに蔦が絡みついている。以前は花で飾られていたであろう前庭は、腰まであるカヤツリグサの類に埋もれ、この暗闇の中では歩くのも容易ではない。
 いくばくかの食べ物と必需品を市で仕入れてきたのを、濡れないようにと抱えていたが、ここまで来れば一安心だ。


 物音を立てず、静かに母屋へと入る。
 中も外に負けず劣らず、惨憺たる様ではあるが、このような季節に雨、風がしのげるだけでも感謝せねばならない。
 表からは見えないようにと、奥に設えてある土間兼台所で過ごしている。今も明かりが洩れてはいなかった。短い廊下の先のすでに傾いでいる扉の先から明かりがこぼれているのがようやく分かる。
 わずかに見えるその明かりを頼りに、奥へと向う。入ろうとした先の光景に、思わず立ち止まる。


 小さな燻されたランプのほやから、弱々しく洩れだす明かりのなか、回りの暗闇から、マーテルの白い顔とミトスの金髪がくっきりと浮かび上がり、他のものはすべて濃い闇のなかに溶けている。
 卓の上で、ランプのわずかな明かりを求め、寄り添うようにして囁きあっている二人はまるで現実のものとは見えない。マーテルの白い手がゆっくりとミトスの顔にかかる長い髪を脇によけ、また、卓の上の己の手へと重ねられる。ミトスはランプの明かりの下、食い入るように手元を見つめ、手紙をしたためている。
 夢中になっている弟を見つめるマーテルの温かい眼差しは、幼い頃に彼が心の奥底で求めて止まなかった幻想の母親を体現しているようだ。あるいは、修道院の奥にあった、そこだけがわずかに人の温もりを見せていた院長室に架かっていた聖母子の絵画を思わせる。
 息を詰め、ただ魅入る。
 灯火の芯がちりりと燻り、それにあわせてわずかに揺らぐ明かりがマーテルの若草色の髪の上に微妙な陰影を落とし、その髪の流れる先の濃い闇をより印象的にする。


 この胸の動悸はなんなのだろう。濡れた体が急に燃えるように感じられるのはどうしてなのだろうか。
 立ち止まったまま、ぴくりとも動けない自分に戸惑う。会いたいはずの人に会いたくないと感じる自分の感情が理解できない。
 その瞬間、彼の冷え切った腕からはでな音をたてて荷物が滑り落ち、中の二人が彼の方を振り向く。


「ユアン」
 問いかけるように、マーテルが立ち上がり、少し不安そうに彼を見つめ、それでも濡れた彼の姿に心配そうに向ってくる。
「ユアン、びしょ濡れだよ。こんなに遅くなってどうしたの」
 ミトスのマナが彼を捉え、その目がわずかに強く彼を見据える。
「遅くなってすまなかった。いい話を持って帰ることができた。急いだつもりだが、話が込み入っていたので、下で時間を取られた」
 彼は自らのマナが制御できていることを確かめ、二人へと近づく。
 マーテルの眼差しはまだ彼に注がれたままで、その中にほのみえる労りと温かさがまた彼の心を騒がせる。


 二人は気づいていない。
 彼はこの世にそのようなことがあること自体を知らない。彼女も予兆にわずかに震え、わずかに怯えているだけだ。
 それは突然やってきて、一度囚われてしまえば、二度と逃れられないことを二人とも今はまだ分かっていない。
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