旅路

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合わせ鏡

 ようやくにして着いた首都は威容を誇るその門から奥にある総統の宮殿までまさに難攻不落にして堅固な要塞である。また、総統とその重鎮に近づくのもこれまた、堅固な要塞を落とすような手順がかかる。
 ミトスは久しぶりにきちんとした服装をあつらえた。あまり、贅沢をするつもりはないが、最低限の礼節は必要だ。
 ユアンの旧い知り合いに紹介され、彼とともに武器商人の家を訪れる。この町でも裕福な界隈にあるその家は、前庭といい、玄関からすぐにあるホールと言い、贅の限りを尽くしているのがわかる。


「相変わらず、お美しいですな」
 ユアンの顔を見て、その商人が下品な笑いを浮かべる。ユアンは、その意図に気づかないかのようににっこり笑って、礼を述べる。
「その誉め言葉は私ではなく、奥様へとっておいてください。いつの間にこのようにお美しい奥様を娶られたのですか」
 品よく返すその言葉と彼の優しい目線に商人の横のまだ子供にしか見えない令夫人が頬を染めるのが見える。
「昨年の夏に輿入れしてきたばかりでな。あなたのように洗練された王宮の世界は知らないのですよ。あちらでは陛下の大層お気に入りだったとか。ミトスさん、あちらのお話をもう少しうちのに聞かせてやってくれないかな」
 商人はさらに下心丸出しにユアンに目線を向け、露に彼に話を振る。姉さまが具合が悪くて良かったと、頭の中で別のことを考えていると、ユアンの足が卓の下で彼を蹴飛ばす。愛想笑いを振り撒けとせっついているのだ。
「どうです。ちょっと、あちらのテラスを見せていただけませんか」
 ユアンが立ち上がり、商人を促す。どうして、ユアンはこういうときにこんなに平然としているのだろう。下心丸出しな夫に気づかない幼い妻は、ミトスの方を向き、素直に話し掛ける。
「本当に素敵な方ね。いかにも王宮に長くいらしたと感じるわ。あなたもそうなの」
 こちらへは、何の躊躇いもなく、笑顔を振りまける。たわいもない旅の話、彼女が知りそうもないあちらの国のできごとを聞かせてやれば、本当に心底嬉しそうな顔をする。
 やがて、ユアンが何事もなかったかのように、商人と共に戻ってくる。だが、人間には隠せても、彼には隠せない。ユアンのマナがわずかに燻り、それでも、わずかに高ぶっているのが分かる。商人は少しだけ目的を達し、多くを失ったに違いない。


「何であんなことをするのさ」
 帰り道でユアンを問い詰める。
「お前が気になるようなことはしていないさ」
 ユアンが平然と答える。
 姉のことを考えて、後めたくはならないのだろうか。こんな男に姉が引かれているのが、信じられない。もっとも、ユアンに姉が思いを寄せていることを、こいつは気づいていない。気づかせてなるものか。
 その思いがさらに強くユアンを詰らせる。
「だが、お前はあの男に」
 直接口で言うのは、さすがに憚られ、一瞬躊躇う。
「大丈夫だ。口付けされる前に、あいつは階段を滑った」
 ユアンがにっこりと笑い、だが、冷たい口調で続ける。
「そもそも、あの奥様がつけていた青い石を指摘したら、たらたら、汗を流し始めて、それどころではなかったはずだ。あれは、この国とは通商を禁じられている南の蛮族のものだ。だから、最初から心配なんてしていなかったさ。今や、あいつは我々の立派な後ろ盾だ」
 心の中で付け加える。手に口付けを受けたのは、こちらの意図とおりに総統宮殿への紹介状を書いてくれたあいつへのご褒美だ。
「確かに紹介状は貰ったから、いいけどさ。ユアン、ときどきお前が分からないよ。自分をそんなに貶めなくてもいいじゃないか。今日だって、あの男の利益となるような話はたくさん握っていたんだもの。うまく、話は持っていけたはずだ。ユアンはもっと自分を大切にすべきだよ」


 ミトスの心配そうな、思いやりのある言葉に少しだけ感動する。ミトスと共に行動するのは、すがすがしい。
 だが、ミトスの知らないこともたくさんある。
 今日の商人だって、ただ利益だけで動くような輩ではない。あの家の財の半分は不正行為でなしたものなのだ。残りの半分は死を生み出す商品だ。そんな者に、わずかな利ざやを得るような話をぶつけても駄目だ。最初から、急所を抑えなくてはならない。
 彼は首都に入ってからこの方、入念にあの商人を調べ上げていた。実際、あの性癖と不正蓄財の情報を手にした瞬間に今日の話し合いの行方は見えていた。紹介状だけでは駄目だ。ここの高官をも左右するあの男自身を捕まえなくては意味がない。
 でも、こういう話は自分の内にだけ秘めている。ミトスもマーテルも知らなくてよいのだ。知らずに、己の進む道を、きちんと世の理を分かっている高位の者達に説けばよい。彼では持ち得ない熱い情熱をそのときまで失わずにいてほしい。だから、そこまでの道案内は全て自分が泥をかぶるつもりだ。
 彼らが淀んだ澱の中を知る必要はない。知らないのに労わってくれる二人にいつも感謝している。


 己の姿を直接見ず、無垢な二人を通して、わずかでも光が当たっている自分を夢想する。

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