旅路 ---マーテル

旅路

NEXT|INDEX

マーテル(1)

 風の強い底冷えのする日だった。昼間はそれでも鈍い光をなげかけていた太陽もすでに彼方へ沈み、町への道はややもすれば、枯れた草にまぎれてたどりにくくなっていた。
 彼は、風をやりすごそうと、一叢の藪かげで息をついだ。突風は彼の横を砂埃を巻き上げて通り過ぎていく。吹く抜ける風を追いながら、町までの距離を目算していた彼は、遠くに若葉色の輝きを認めて、首をかしげた。何かの予兆を見たかのように、再度を目をやるが、日の落ちた景色のなか、丈高い枯草の風にあおぐなかにまぎれて、判然としなかった。


 この時期に旅人とは珍しいものだ。と一人ごちながら、歩みを進める。彼自身は密かに王国を逃げ出してすでに数年たち、この片田舎でひっそりと暮らしている。町外れの廃屋に住み込み、隠者のように、自給自足の生活を送っていた。たまに必要なものを手に入れるためにだけ、森の中で得た薬草や変わった石などを手に入れていた。ここは山の奥で戦略的にも経済的にも何の価値もない場所だったから、王国の監視の目も届かず、人々ものんびりと見知らぬ彼を受け入れてくれた。
 今日は、すでにつきかけている油と交換するために、秋にしか手に入らない木の実を探しに森の奥に入り、町へ戻るのが遅くなっていた。


 また、枯草の動きが気になった。
 風とは異なる動きが目につく。あれは、旅人の後を誰かがつけている動きだ。係わり合いになるまいという気持ちとは裏腹に、さきほどの季節はずれな爽やかな若葉色が胸を騒がせる。町に入るのを急いでいるのだと自分に言い聞かせながら、枯草の動きに間に合うように近づいた。


 はたして、町への入り口まで後数分ではあるが、ちょうど、道が曲がり、目印となる大木が陰をつくっているあたりで、人が揉めているのが目に入った。ここなら、町から目に入らない上に、声が届くには遠すぎる。
「何をするんだ。欲しいものがあるならあげるから、姉さまから手を離せ」
「お前らが持っているものなんか、たかが知れているだろうよ。おい、こいつらは上玉だ。女も子供も傷つけるなよ」
「離してください」
 小柄な金髪の少年とさきほどの若草色のあでやかな髪をなびかせたたおやかな乙女が数人の山賊に囲まれている。こんな淋しいところには全く不似合いな美しい二人組。少年が脇に抱えている剣を抜こうとして、後から羽交い絞めにされていた。姉と思しき乙女が手を振りほどこうとしている。
 草叢の中を忍び、山賊達の背後に回る。今日は山に入るため、長剣は家に置いてきてしまった。手にある短剣では、一度に全員を倒すには威力がないであろう。十分近くまで行くと、声をかける。
「お前ら、何をしている。止めないか。」
 突然の彼の声に、山賊達は慌てて振り向く。その隙に乙女がどうにか手を振り解くのが見えた。一撃で倒さないと、少年が危ないかもしれない。
 乙女がわずか山賊と離れた瞬間に、少年を押さえている男に雷撃で打ち倒し、そのまま少年を抱えると乙女と一緒に自分の背後に送り込み、振り返りながら、頭目と思しきものへ次の雷撃を放つ。相手がひるんだ隙に、手前の盗賊の喉元に短剣を打ち込み、味方が倒れたことに驚いている次の男へは雷撃を与えた。後一人、残っていたはずだと思った瞬間に後にいたはずの少年が死角から襲いかかってきた盗賊を長剣で見事になぎ払っていた。


「姉さま。大丈夫」
 黄金色の髪をなびかせながら、少年が振り返る。
「ええ、私は大丈夫よ」
 彼の後ろから、とても涼やかな声が聞こえた。この二人をこのような修羅場に置いてはいけないと、慌てて振り向く。
「お前達は見るな。後は町のものを呼ぶから、もう行け」
 しかし、彼の危惧とは裏腹に、その乙女も少年も、この狼藉に打ちのめされてはいなかった。
「ご心配ありがとうございます。でも、この方達、まだ、息があります」
 見たこともないほど輝きの強いマナが発散され、目も眩むような癒しの力が回りに与えられる。
「この方達の魂はまだ消えていません」
 そのマナの力は、他人との係わりを絶ち、荒涼として生きる自分とはまったく異なったものだった。数秒後に息を吹き返した頭目の喉元に短剣をあてて脅す。若草色の髪と目が見つめるなかで、自分がずいぶんと人でなしになったような気がしながら、
「二度とこのあたりに来るのではない。一度は目をつぶるが、次はない」
とはっきりと言い渡す。山賊たちは、彼の雷撃を見た後ということもあり、
「化け物め。覚えて居ろよ」
と捨て台詞を残しながらも、互いに仲間を抱えて去っていった。


「ああ………」
 彼の胸を掻き毟るように風が吹き抜けた。このような場所に何故ハーフエルフがいるのだ。気づきたくなかったが、すでに彼のマナは二人のマナに同調し始めている。とても強力な、だけど、包み込むような暖かいマナが彼のまわりに流れ出した。
「あなたもハーフエルフなのね」
 あの騒ぎに気後れした様子を微塵も見せずに、若草色の少女が嬉しそうにささやく。少年はといえば、さきほど使った剣をこれまた至極落ち着いた様子で清めていた。
「違うと言っても、もう遅いだろう」
 彼は、この見た目浮世離れした娘とその弟らしき少年をながめた。ハーフエルフに特有の線の細い美しさは、さきほどの盗賊がいみじくも言ったように、このご時世では彼らの持っている金品よりも高くつくだろうに、なぜ、こうも無防備に二人は歩いているのだ。


「私はマーテル。こちらは弟のミトス。助けてくださってどうもありがとう」
 彼女はじっと彼の目をみつめながら、礼を言う。
「私はユアンという。礼には及ばぬ。たまたま、通りかかっただけだ。しかし、こんな場所を二人で歩くとは危険だぞ。王国軍もいないから、日暮れ時は盗賊が出てくる」
「ご心配いただいて、ありがとうございます。私たち、人を探しておりました。今日はこちらの町で泊まりたいのですが」
 少女がまた彼の目をじっと見つめる。こんな目をされて、ほっておけないではないか。
「この町は見てのとおり、宿屋なんてご大層なものはない。もう日も暮れるし、風も強い。泊めてもらえる家を探す時間も大変だろう。狭くて汚いが、私の家でよければ、寄るがいい」
「本当ですか。ありがとうございます。姉さま、助かったね」
 少年が嬉しそうに姉にしがみつく。なんと真っ直ぐな目を持っているのだ。同じような瞳をもっていたもう一人の人を胸の内に浮かべながら、二人を自分の廃屋同然の住居へと案内した。


 小さな崩れかけた家の中は見た目よりはずっと居心地よく整えてあった。マーテルとミトスは中に入ると感心したように中を見回す。
「ずっと一人暮らしなもので、食べるものもあまりないが、この程度で許してくれ」
 昨日から出したままの硬くなったパンを出し、山で採ってきたばかりのわずかなキノコ、乾し肉でスープを作る。二人は慣れたようにユアンを手伝い、外に闇の帳が降りるころには簡単な夕餉の準備は整っていた。
 ここ数年、ずっと一人で過ごしていて気づかなかったが、三人で囲む食卓は久しぶりに食べ物の味を彼に感じさせた。
「素敵なおもてなし、ありがとうございます」
 質素な夕飯の後、マーテルが熱いお茶を入れてくれた。自分一人なら、昨年作った蒸留酒を一杯呷って、そのまま冷たい寝床へ転がり込むだけだが、今日は食後の薄暗い室内も心なしか暖かい。
「冷えるだろうから、炉に寄ってくれ」
 マーテルとミトスは素直に彼が指し示すベンチに座り、彼は向いの丸椅子に腰掛ける。しばらく、はじける薪の音に誰もが口を開かなかった。


「聞いていいかな。マーテルとミトスは何故このようなところまで来たのだ」
 さきほどからずっと気になっていたことを訊ねる。二人はちょっと目を見交わし、ミトスが答えた。
「僕達、人を探しているのです。あなたもハーフエルフだからもうお気づきでしょう。マナがどんどん減少していて、大樹そのものが力尽きようとしている。だけど、人間達は気づかないまま、マナを彼らの争いに使っている」
 胸が痛む言葉だ。その手伝いをしていたのは、紛れも無く自分だ。
「ヘイムダールのエルフ達はマナが減少していくこの世界に気づいているのに、動こうとしないんです。だから、僕と姉はヘイムダールから外に出て、共にこの世界を守ろうとする人を探しているのです。この辺りにとても優秀はハーフエルフの仲間がいるという噂を聞いて訊ねてきたのです」
 ヘイムダール。名前を聞いただけの父親の故郷。母と父が出会った場所。そうか、ヘイムダールにいたから、自分のように世間から隠れようとしていないのか。
「ご存知ないですか。私達は探しているのです。私達とともにこの世界が破滅に向かうの止めるために力を貸してくださる方を」
 マーテルが少しだけ微笑みながら、弟の手を握り、繰り返した。
「残念だが、そのようなハーフエルフの話はここでは聞かないな。私は人とは交わらないので、町の中のことは詳しくないが、この町にいるハーフエルフは私一人だけだ」
「ユアンは一人でどうやって過ごしているの」
 ミトスが無邪気に尋ねる。
「特に何をするでもないが、気が向けば、森の中で薬草や木の実を探したり、必要であれば、狩をするぐらいかな。一人暮らしだから、気ままなものさ。もっともここに来てからまだ数年しか立っていながね」
「その前はどこにいたの」
 またまた、無邪気な問い。
「両親は生まれたときから居なかった。独立できるようになるまでは、孤児院で育って、その後はずっとこんな暮らしさ。一人が性に合っているから、なるべく、人と係わらないように町から町へ移動しているのだ」
「すみません。ご両親がいないなんて、そんなことを聞くつもりじゃなかったのです」
 心優しい少年は、傷つけたことを恐れるように謝る。
「気にすることではないよ。何も持たない方がかえって楽なときも多い」
 本当はそうじゃない。両親が生きていれば、愛しいものと一緒に入られれば、語り合う人がいる食卓があれば、どんなにか楽しいと想像したことは何度もある。でも、こんな自分に相応しいのは、何も持たぬことなのだ。持たなければ、なくして思い悩むこともない。こんな自分へ、分不相応なものを欲する資格はない。
 やはり、表情に出てしまったのだろうか。マーテルが思わし気にこちらを見ている。
「ね、あなたもお一人なら、私たちに力を貸して下さらない」
 横で弟も真剣にうなずく。
「私たち、一人でも多いほうがいいの」
「いや、私はお前達のような素晴らしい理想にはついていけない。誘ってくれてありがたいが、お前達が探す者は他にいる。私は他人とはかかわりたくないのだ」
 何故、こんな気持ちになったのか分からないが、自分とは異なり、ただ、真っ直ぐに理想を訴えるこの姉弟に無性に腹がたち、声が荒くなった。
「ごめんなさい。あなたを怒らせるつもりはなかったんだ」
 ミトスが再度、すまなさそうにつぶやく。
「いや、私が悪かった」
 捨てきったはずの自分のプライドが、死んだつもりになっている自分の残り火がまだあることに気づき、愕然とする。
「ユアンはそんなにつらい顔をしないで。本当に一人で淋しくないの」
 マーテルの大きな目がすべてを知り尽くしたように、それでいて、無邪気に彼をのぞきこむ。
「私は無理もしていなければ、淋しくもない。おまえ達の話はわかった。素晴らしいことだ。だが、お前達が探しているものはここにはいない。私はお門違いだ。きっと、山を越えた隣国の誰かのことではないかな。明日はまだ晴れている。天気のいいうちにあちらに行ったほうがよいだろ」
 二人はその言葉に不承不承頷き、また、ちらと互いに目を見交わしていた。


 二人に自分の寝台を使わせ、自分はソファに寝る場所を準備する。
 さきほどの会話がまた頭の中に浮かぶ。青ざめた顔で、じっと部屋の隅にかけている鏡を見つめた。自分の生は、あのとき、全て捨ててきたのだ。わずかにあった希望や密かに捧げていた愛、そしてなけなしのプライドを全て奪い去られたあの屈辱の生活のなかで、それでも言いなりに生きてきた自分を思い返す。生きる価値のない自分がよくわかった。勇気がないから、回りに抗うことなく、ただ、流されてきた。
 確かに理想も捨ててきたはずなのに、どこか、おのれの心のなかで、もう一回だけ己の力を誰かに捧げてはどうかとささやくものがある。いや、最初から理想などなかった。誰にも望まれないものに、誰かの望みをかなえる術など持ちえるはずがない。何度も、頭の中でマーテルの言葉が巡る。
「私達は探しているのです。私達とともにこの世界が破滅に向かうの止めるために力を貸してくださる方を」
 さきほどの、マーテルの暖かい光が閉じた自分の胸の中で大きな鼓動を呼び出すのが感じられた。駄目だ。私のような穢れたものが、彼女と同行してはならない。理性が命令する。しかし、心の奥底に眠る別の声が、今一度生きる目標を持ちたいとささやく。
NEXT|INDEX
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送