GIFT −与えられしもの−

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小さな手

 あの黄金の秋が過ぎれば、晩秋はまたたく間に過ぎ、数日の激しい風であっという間に葉が落ちれば、山合いの村に駆け足で厳しい冬が到来した。
 ミトスはこの数日、逡巡していた。いったん、雪に閉ざされれば、峠の道を越えるのはほとんど無理だ。すっかり葉を落とした林の先に、彼がこの村へと降りてきた道が見える。
 分厚く積もった薄茶色の落ち葉の上は、明け方の冷え込みで白く霜が降りている。道脇の萱やススキもすっかり枯れ、残った葉が赤や黄のまだら模様を残しながら、やはり、白く縁取られている。村人が目印として大切にしているオオバカエデの大木には、そのつるりとした幹に絡みつくがツタウルシの赤と霜の白が目に鮮やかだった。
 村の出入り口に位置する泉は湧き出し口こそ夏とかわらないものの、縁の草は霜に覆われ、岸近くの静かな水面には薄っすらと氷が張っていた。その脇にたち、水を汲もうとした先に見える細い道が彼の心を捉えた。
 何か、胸騒ぎがする。このまま何も言わずにここを出るべきなのだろう。足元に水桶を置くと、彼の呼ぶ声に従うように足は道へと進んでいった。最後まで残っていた葉だろうか、心の中まで凍させる木枯らしについと吹き落とされて、彼の髪へと絡んだ。
 歩みが止まり、ふいと振り返った。剣を置いたままだった。取りに戻らねばならない。そこから見える村はのどかに上るかまどの薄煙と、遠くで響く冬支度のための薪を作る音以外、何一つ動いておらず、人影も見えなかった。ときが止まり、眠ったままのようなこの場所も、彼がいれば、やがてはこの大地の無常なときの流れに巻き込まれるに違いない。
 泉に戻り、桶を持ち、少女の家に戻った。裏庭で何やら人の気配が感じられたが、彼はそちらには行かず、汲んだ水を甕に移すと、二階の彼に与えられた部屋へとあがった。
 少女が織ってくれた布に包まれ、全てを操る剣は部屋の隅に彼が気づくのを待っていたかのように立て掛けられている。あの晩から、一度も触れていない。アレトゥサがまるで彼が望んでいたことを知っていたかのように、翌朝、剣を包む袋を手渡してくれた。するりと軽く滑らかで暖かい絹の感触は、彼を掴んではなさない冷たい刃を宥めてくれるかと思われた。
 静かに息を吐き、剣へと足を踏み出す。心の中をまた精霊達のざわめきが起きた。二息ほどためらい、剣へと手を伸ばした。このまま、腰に携えて出て行けばいい。だが、一度握った剣は抜くようにと彼に呼びかけた。幼い彼が姉と両親と共にいられたあのときへ、二度と訪れることは叶わない故郷へ帰ろうと招く。
 剣が彼の手を通じてマナを共鳴させる。彼は首を振り、その甘い誘惑を断ち切ろうと、慌てて目をそむけた。だが、一度手にした剣の呼び声に効し難く、彼の意志に反して、鞘から抜かれ、妖しく光る刃は目の前に現れ出でた。
 今はそのときではない。幻想に惑わされてはならない。
 いや、どうだろう。何も知らないあのときへ戻れば、剣を振るいたいというこの狂おしいほどの渇望も消え去るだろうか。投げ出すことが決してできないと思っている荷を実は振り捨てることができるかもしれない。
 だめだ。できない。それはしてはならない。誰か止めて。


「ミトス……」
 どれほどたったのだろう。背後の扉がかすかにきしる音がし、少女の声が耳に入った。
「ミトス、私を呼んだかしら」
 少女が近づく気配を感じられ、彼を支配していた葛藤の渦は潮が引くようにまた心の深い暗闇へと消えていった。
「ミトス、その剣、どうしたの……」
 少女は傍らにくると、その小さくひんやりとした手で、力一杯柄を握り締めているミトスの手に触れた。あまり長時間握っていたからだろうか、血の気が引き白く固まっていた彼の手は、アレトゥサの手が重なると、とたんに魔法が解けたかのように温かみを取り戻した。
「ありがとう」
 長いこと話していなかったかのように、声が掠れた。少女はゆっくりと剣を鞘へと収める彼の姿を見つめて、頷いた。
「やっぱりあなたが呼んだのね。なんだか、とっても悲しそうな声だったから、ミトスだとは最初きづかなかったの。そんな顔して具合が悪いの」
 少女は彼の顔を覗き込み、額に浮かんでいる冷たい汗を優しく指先で拭ってくれた。望んでいたものを、心が欲するものを素直に認めることは間違っていないはずだ。そして、与えられるものは受けていいはずだ。
「アレトゥサ」
 震える喉を落ち着かせ、唇がもっとも愛しく神々しい音を紡ぎだす。その言葉が口から出ると、彼の心はとたんに平穏を取り戻した。
「アレトゥサ、アレトゥサ。僕の声が聞こえたんだね」
 少女の手をとり、再度己の額にあてると、ひんやりとしているはずの少女の手がひどく熱く感じられた。
「ええ、そうよ。ミトス、そうなの。確かにあなたの声が聞こえたわ」
 アレトゥサがまるで神聖な誓いをするように厳かな口調で答えた。
「ありがとう」
 彼の言葉にアレトゥサがにっこりと微笑みながら頷いた。
「ミトス、あなたが少しでも喜んでくれるなら、本当には嬉しいわ」
「少しどころじゃないよ。アレトゥサ、君が来てくれなかったら、僕は何をしていたか」
 アレトゥサはミトスの手をぎゅっと握り締めた。
「いつでも呼んで。私はあなたのところに行くわ」
 ミトスは無言で少女の華奢な肩へと額を押し当てた。窓から入り込む木漏れ日の長い光がミトスとアレトゥサの足元を照らし出し、止まっていたときが動き出したかのように、外で薪を割る音が高く響いた。
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