GIFT−与えられしもの−

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秋祭り

 かさりと落ちる木の実の音に秋の夜はひどく寂しさを感じる。夜中に突然目がさめた。縁までがくっきりと見える満月がカーテンを開け放したままの窓を通して窓枠の影を彼の寝台の上に落としていた。かすかに鳴く虫の音が周りの静けさを教えてくれるかのようだ。
 長居をしてはいけない。彼の心の奥底で何者かが囁く。お前にはしなくてはならないことがあるだろう。己の責務を忘れるな。休んではならない。封印された精霊たちの声だろうか。彼の前に倒れていった大戦の犠牲者たちの魂の囁きだろうか。その呼び声は途切れることなく、彼を駆り立てきた。ほんのわずかなときでさえ、聞こえないふりをすることも、許されないのだろうか。


 小さな村の秋祭りは穏やかで懐かしいものだった。毎年、このときのためだけに作っているのだろう、小さな舞台が朝方、村人達が慣れた手つきで組み立てていた。夕方になれば、其々の家から持ち寄られた自慢の一皿がこれまた仮に作られた台の上にならび、昨年作られた秘蔵のワイン樽が開けられる。
 老いも若きも、本当に村中の人全てが広場に集まり、祭りは始まった。単な乾杯が終われば、すぐに若者達による踊りが始まる。組み立てを朝から手伝っていた舞台の上にいつの間にかミトスもひっぱりあげられ、踊りにあわせて笛を吹いた。その高く澄んだ音は、踊りの熱気をさらに高め、次から次へと休む暇もなくリクエストの声がかかった。横でアレトゥサも両親と一緒に竪琴を奏でている。
「さあ、二人とも下で休んでおいで」
 小一時間過ぎて一段落したところで、アレトゥサの両親が二人に休むようにと勧めてくれた。
「アレトゥサ、お客様に無理ばかり言ってはいけない。ほら、あそこで二人で何か飲んできなさい。隣村のおかみが自慢の果実酒をふるまっている」
「そんな、気をつかわないでください。お二人こそ、アレトゥサと一緒に休んでください」 
 ミトスが遠慮をすると、不似合いなバイオリンを抱えた隣家の樵が威勢よく笑った。
「若い者が遠慮しちゃいけねぇよ。アレトゥサだって、こんなとこより、下で踊っている方がなんぼか楽しいよな。お前さんと一緒に踊るのをこの前から楽しみにしてたってうちの娘が言ってたしな」
 アレトゥサの幼馴染の少女がさきほどから舞台下から盛んに手を振っている。
「おじさんたら、そんなこと言ってないわ」
 少女は暗くなった舞台の端でもはっきりと分かるほど、顔を赤くして答えた。
「そうかい。そりゃ、悪かったな。でも、ほら、うちの奴が呼んでいる。行ってやりな。若い者同士で話すことはたくさんあるだろ」
 隣の親父はミトスの肩をたたき、アレトゥサを軽々と抱えると舞台の下に降ろしてやった。
「すみません。では、お言葉に甘えて」
 ミトスが頭を下げ、ひらりとアレトゥサの横へと飛び降りた。
「ミトス、ごめんなさいね。おじさんたら、変なこと言って」
 少女の謝りの声に笑顔で答え、そのまま、小さな手をとる。
「いや、そんなことないよ。それより、ここで待っておいで。冷たい物をとってきてあげるよ」
 ミトスが放そうとする手を少女が握りなおし、同じように笑顔で答えた。
「私も一緒に行くわ」
 二人がそのまま並んで歩くと、そこかしこから、先ほどの演奏への激励の言葉が飛び、拍手が送られた。
「なんだか、恥ずかしいわ。あなたの笛が素晴らしいからなのに、私まで褒められちゃう」
「君の竪琴がなくては、あそこまで盛り上がらなかったよ」
 アレトゥサの両親が勧めてくれた屋台へと近づくと、体格のよいおかみから、待っていたかのように、なみなみとつがれた甘い果実酒のコップを渡された。
「お二人さん、ご苦労様。アレトゥサ、この人があんたの家にいる旅の人かい。素晴らしい演奏だったよ。こんなきれいな曲は一体いつから聴いてないかね。本当にありがとう。今年のは出来がいいよ。奢るから、どんどん、飲んでおくれ」

 そこかしこに吊るされたランタンや火の粉を散らす篝火で赤々と浮かび上がる木の下のテーブルに二人は座る。すぐさま、父には似ずかわいい隣家の娘がつきあってるらしい朴訥そうな青年とやってきた。
「アレトゥサ、とても良かったわ。ミトス、ありがとう。二人ともごめんなさいね。我慢できずに、三回も踊ってしまったわ」
「あら、全然構わないわ。そのために私達一生懸命演奏したんですものね。ミトス」
 友人から褒められて、アレトゥサが至極嬉しそうにミトスの方に振り向く。篝火にちらちらと輝く黄金色の巻き毛に囲まれた少女の顔に一瞬心を奪われる。
「え、何か言った。アレトゥサ」
 惚けたように答えるミトスに隣家の娘が隣の青年をつつきながら、笑い出す。
「あらあら、私達、お邪魔だったみたいね。アレトゥサ、ミトスったら、お話するより、あなたを見つめることに忙しいみたいよ」
「いや、……。ごめん。そんなことはないよ。ただ、今、……」
「誤魔化さなくていいのよ。ミトス。無理ないわよね。だって、アレトゥサったら、もう一週間前からどの服がいいのかって、そりゃ大騒ぎ……」
 アレトゥサが慌てて隣家の娘の口に指を当てている。隣に座っているいかにも優しそうな青年がミトスに向って分かっているかのように頷いた。
「アレトゥサはとてもきれいだからな」
「そうよね、……。あら、私はどうなの」
「え、あ、それはさ、もちろん、お前もかわいいよ」
 答える青年の慌てた仕草にその場がなごみ、彼を金縛りにしていたアレトゥサの魅力から放たれ、ミトスは一息ついた。カラカラになった喉を潤そうと、手にした果実酒を飲めば、ほのかに体が熱くなった。
 顔を付き合わせるようにして、親友と他の友人達の服の品定めやら相手の青年達の噂話をしているアレトゥサの笑い声が耳をくすぐる。横の青年と二人で、特に会話を交わすでもなく、少女達のたわいもない問いに相槌を打つ。ときに二人の生返事に抗議する少女達を見て、隣の青年がこっそり片目をつぶれば、まるでこの地でずっと過ごしてきたかのような錯覚を覚えた。
「ねぇ、疲れ取れたでしょ。一緒に踊りましょうよ」
 アレトゥサの手を引き、元気な隣家の娘が立ち上がる。
「え、でも、ミトスは……」
 アレトゥサは腰掛けたま、ミトスの方を心配そうにみた。
「もちろん、ミトスは行くさ。さっきから踊り見てたから、もう覚えたはずだ」
 やはり、山仕事で鍛えているのだろう。力強い手がミトスの背中をたたき、無口なはずの青年がそれだけは大声で言った。気づかれないと思っていたことは、どうやら、見透かされていたらしい。
「多分きちんと覚えてはいないけど、少しは大丈夫かもしれない。アレトゥサ、一緒に踊ってもらえるかな」
 彼がアレトゥサの正面に立って彼女の片手を取れば、少女は明るい笑みを浮かべ、ふわりと羽のように軽い立ち上がった。周りで彼らを見ていた村の友人達がからかうように口笛をふいた。
 踊りの輪に加わろうと広場へと行くわずかな間も、アレトゥサとつないだ手が汗ばむのを感じる。己の手に収まった小さな手がそっと握り返してきた。
「ねえ、ミトス。ただ、ぐるぐる回ってればいいのよ」
 アレトゥサからあふれ出る優しさは、彼だけでなく、周りの村人たちにも伝染したのだろうか。ぎこちなくステップを踏む彼らに暖かい拍手が送られ、ミトスは時のたつのも忘れた。秋の夜更け、二人は篝火が細く落ちるまで、皆と踊った。
 

 あのひとときが夢であったかように、周りは静まりかえっている。ひんやりとした夜気が起き上がった彼の体にまとわりつく。
 月明かりに照らされる先を見れば、このところ身に帯びることがなかった剣が彼を招くようにぼうっと闇から浮かび上がっている。この地を訪れてから寝台の脇の小さな机にたてかけたままだ。手入れも必要としない自らの意志をもつ剣は何も語らないが常に彼の意識を引き付けてきた。
 何週間も手に取らなかったはずなのに、埃も曇りも見せない剣が月明かりを受けてかすかに明滅しているように見える。気のせいだ。いや、風のいたずらだ。まだ、そのときは来ていないはずだ。
 父祖の地である箒星は数十年前にこの星から離れていった。当分、戻ってくることはない。だが、ざわざわと心の中に湧き上がる欲求に剣を手に取る。
 虫の音ともとれるような、金属が共鳴するジィーンというわずかな響きが手に感じられる。彼の心に囁きかけるのは、大地だけではない。剣さえもが何かを訴えようとしている。冷たく彼の心を縛る刃から手から離そうにも、吸い付けられたように柄を握る手は開かなかった。
 聞きたくない。知りたくない。分かりたくない。
 だが、認めなくてはならない。世界の理を保てないほど、マナは減ってきている。得られた和平は皆が望んだからではない。今はめぶきの力もない大樹の種がその命を取り戻す最後の機会への、この星の寿命への、人々への猶予期間だ。
 分かっている。自ら、安らぎなぞ得てはいけない。最も安らぎを求めている万物の源を芽吹かせるまでは、彼に自らのことにかまけていてはいけない。
 姉は疲労に打ちひしがれてつぶやく彼にいつも首を振った。己が知らないものを他人に与えることはできない。あなたがゆっくりすることを知らなかったら、誰にもそれをあげられない。大樹は見守り、与えるだけだった。だから、今は、私達が見守り、癒しを与える番のはず。そのためには、私達は与えられることも知らなくてはならない。
 ユアンがこっそり彼に囁いた。生まれたときから愛を知らなかった。ずっとどうしていいのかわからなかった。享ける資格がないと、望んではいけないと思っていた。でも、彼の姉に出会って少し分かった気がする。誰でも望んでいいことがあると知った。だから、心が何かを欲することを認めることは決して間違っていない。
 クラトスが俯き加減に剣を磨きながら言った。求めても、求めても得られないことがほとんどだ。得られないことを嘆いているだけではいけない。自らのあるべき道を歩めば、やがてそのときが来るはずだ。それは前もって分かることでもなければ、自ら決めることでもない。だが、得られないと決め付けることでもない。
 仲間の顔が脳裏を過ぎると、剣を掴んでいた手が緩んだ。息を吐き出し、抜き出した刃を再度眺め、鞘へと入れた。かちりと柄の触れ合う音に心を騒がしていたものが再び封じ込められた気がした。
 冷たく語らない剣に冴え冴えと青い月の光が窓枠の陰をくっきりと落とした。
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