GIFT - 与えられしもの -

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秋の休日

 落ち葉がわずかな風に舞い、遠くでキツツキが木をたたく音が響く。秋の透明な空気の中、二人は森の中をそぞろ歩いている。空高く雲ひとつ浮いていない空を見上げれば、抜けるほどの青を背景に、それは見事に赤や黄色へと色を変えた木々があった。はらりと落ちる赤いカエデの葉がアレトゥサの黄金の髪に絡まれば、まるで、彼女のために誂えた宝玉の髪飾りのように輝いた。
 二人がゆっくりと踏み出す足の下で、乾燥した落ち葉が軽く音をたてる。天気のよい秋の日差しは汗ばむほどで、カラマツのこれまた見事に黄色になった葉を冷たい風がさらさらと落とせば、心地よく感じられた。
 少女は朝から台所で準備をしていたらしいバスケットを大事そうに腕に抱えている。ミトスが重たいだろうからと、出掛けに取り上げようとすると、彼女の母親が笑いながら、彼には飲み物をいれたワインの壜を渡してくれた。彼はそれを肩にぶらさげ、空いている少女の手をしっかりと握っている。
「どこまでいくんだい。アレトゥサ」
 すでに彼女の家がほんの小さく見えるまで上っていることに気づき、ミトスは少女の体を気遣い、歩みを緩めた。少し、息を荒くしながら、それでも足取りはしっかりとアレトゥサは後ろをついてきていた。
「ミトス、もう少し上れば見えると思うわ。この山の向こうなの」
 アレトゥサはミトスの心遣いに感謝を示すつもりか、ミトスに取られている手にわずかに力をいれて握り返した。ミトスはその感触にまるで胸の中を探られたかのように動悸がする自分に苦笑した。
 あの泉の側で、確かに二人の気持ちは通じたと思う。だけど、ふわふわと掴みどころのない少女の髪から漂う甘やかな香と同じく、確かにそこに在ったはずのものが風に運ばれて消えていくように、互いの想いが頼りなく感じられる。
 少女の人生に彼のような者が踏みこんでよいのだろうか。彼の進む道に巻き込まれた姉やユアン、クラトスの途方もない犠牲を彼女にも要求できるのだろうか。それどころか、彼の正体を知れば、この少女も今までの他の者たちと同じように、生身の彼の向こうにある偶像だけを崇拝するようになるかもしれない。それでも傍らにいたい。彼自身はもう彼女の側を離れることができない。


 昨日も村の広場で少女が他の同年代の友人達と談笑していた。友人の一人が何かおかしいことでも言ったのだろうか。他の友達に肩をつつかれて、はにかむような笑顔を浮かべている少女の姿に胸が焼け付くようだった。側にいるいかにも朴訥な青年が少女を見ていることに気づくと、近づこうとする足が止まった。彼女はこの地に生きているのだ。時さえも超越した異邦人の彼がそれを邪魔する権利はないはずだ。
 目に留まった光景は見えなかったように、踵を返そうとすると、背後から名前を呼ばれた。聞こえないふりができたはずなのに、彼の足は彼の意志とは関係なく止まった。
 背後から軽く走りよる少女の足音にゆっくりと振り向く。
「ミトス、みんなで秋祭りのお話をしていたのよ。ちょうど、いいところで出会ったわ。お友達を紹介するから、こちらに来て」
 屈託のない笑顔を浮かべ、少女は彼の手を引く。されるがままに彼女についていくと、同じように素朴で、もっと元気であけっぴろげな友人達が彼の周りを取り囲んだ。それは本当に不思議なことだった。アレトゥサといるだけで、あたかも彼がその村にずっといるかのように扱われた。それどころか、彼女といれば、いつもなら口から出せない言葉が自然と湧き出てきた。
 彼が青年達に囲まれて、請われるままに、ここまで来る間の町の祭り話などをすれば、その間に少女達が持ち寄った素朴なお菓子が振舞われた。アレトゥサはよく笑う友人達に何やら冷やかされていたが、肩をすくめると、極自然に彼の隣へと座った。アレトゥサの表情につい気を取られたからだろうか、断る間もなく、秋祭りの出し物や、その手伝いに、彼も借り出されている。
「ミトス、とても助かったわ。私だけでは手に負えないから困っていたのよ。そしたら、ちょうど、あなたが通りかかるでしょ。神様が困っている私に差し向けてくださったのね」
 村の入り口からは正反対にある少女の家と戻る道すがら、少女は感謝の言葉を彼に向け、ほんの少しいたずらっぽく笑いかけた。
「アレトゥサ、君は僕にだめだという機会をくれなかったじゃないか」
「ミトス、わかっていたのね。だって、こうすれば、秋祭りまではいてくれるでしょ」
 少女の言葉に首を振る。言ってはならないはずの約束をする。
「君のうちに迷惑でなければ、追い出されるまでいるつもりさ」
 許されるものなら、永遠に、と口から滑り出しそうになるのを抑える。アレトゥサは彼の言葉に本当に嬉しそうな笑みを浮かべ、彼の手をとった。
「それなら、ずっといることになるわ。父様も母様も、もちろん私も大歓迎ですもの」
 そう思っていいのだろうか。勘違いしても許してもらえるのだろうか。他意なく彼の手と取り、塒へかえる鳥たちを指差す少女の、夕映えに輝く顔を横目で見つめる。か弱い小鳥はその生まれ出でる森の中にしか住めない。町の中で窮屈な籠に閉じ込められれば、あっという間に弱ってしまう。この村の中で、こんなにも美しく輝いている少女を外へと連れ出すなど、考えてはならないのだろうか。


 昨日の出来事を思い返していたせいか、最後の上りの先が明るくなっていることに一瞬気づくのが遅くなった。
「これは……」
 上りきった先から見下ろすそれは、見事に黄色に染まった湿原とその先の頭に白い冠をいただいた山の峰だった。おそらく、ここの村人しか知らないであろう黄金の絨毯を広げたような秋の湿原には、今日の空を写しとったかのように、あるいは、アレトゥサの瞳のように濃い青の池が散りばめられていた。さわさわと吹き寄せる秋風が黄色く染まった草原を渡り、遠くの山の峰を移す池の面を揺るがした。
 息をのんで景色を見るミトスの肩にアレトゥサの髪が風でなびいてきた。そのかすかな感触に我に返り、ミトスはアレトゥサの方を振り向く。
「なんて素晴らしいんだ。アレトゥサ、教えてくれないから、びっくりしたよ」
「まあ、ミトスでも驚いてくれるのね。あなたは何でも知っているから、これくらいでは喜ばないかと思っていたの。よかった」
 少女はうれしそうに手をたたくと、その先の平らな岩の上へをさし示した。
「あそこでゆっくりしましょう。本当はね。昨日、お友達から教えてもらったのよ」
「何をだい」
 少女の手をとり、岩の上にあがるのを助けてやりながら、ミトスは問い返した。
「この場所のこと。私がミトスのことを話していたら、ここは素敵なところだから、二人で行くといいって、教えてくれたの」
 アレトゥサの屈託のない笑顔に戸惑う。友達に何と言ったのだろう。友達はどういうつもりでこの場所を勧めてくれたのだろう。互いに好意を持っていると認めてくれているのだろうか。
 ミトスが少女の顔を眺めているうちに、少女はてきぱきと持ってきたものを広げる。
「今朝はがんばって作ったのよ。口に合うといいのだけど」
 大事そうに抱えてきただけあって、バスケットから取り出された昼食はいかにもおいしそうな香りのするパイやおそらく昨日のうちから用意していた肉の煮込み、色とりどりの野菜がちりばめられたサラダだった。彼が携えてきたワインと冷たい水が食事をいっそう楽しいものにした。
 ゆったりと何もさえぎるものがない景色を見渡しながら、遥かに見える雪の峰の先にある国の話をすれば、アレトゥサは彼の肩に頭をもたせかけ、じっと耳を傾けていた。このまま、ずっと話し続ければ、少女はその間は彼の傍らに寄り添ってくれのだろうか。触れられている肩の暖かさをもっと感じていたい。
 そんな彼の気持ちには気づくはずもなく、アレトゥサは寄りかかっていた彼の肩から体を起こし、突然、たずねた。
「ねえ、ミトスはいろいろなことを知っているけれど、あの向こうのそんな遠い国まで行ったことがあるの。ミトスは何をしていたの」
 少女は真剣に答えを待っている。青い目がじっと彼の目をのぞきこみ、透明な泉の面のように彼自身を映す。曇り一つない鏡に映される己の姿はそのまま答えるしかない。
「ああ、いろいろな国へ行った。行きたくなくても、行った。知りたくなくても知らなくてはならなかった。したくなくても、やらざるをえなかった。僕自身のためじゃない。この星を守らなくてはならなかったんだよ」
 まるで、言い訳だ。戦いたくて、戦ってきたわけではない。命が欲しくて、殺めたわけじゃない。そう、ずっと言い聞かせてきた。本当にそうだったんだろうか。
「いや、ごめん。もちろん、それは僕自身のためでもあったかもしれない」
 アレトゥサは何かを分かったように重々しくうなずいた。
「ミトス、そうだと思ったわ。自分のことをずっと後回しにしていたのね。ここにいてくれるのも、きっとそのためなのね」
 いや、ここにいるのは、自分のためなんだよ。君といたいと思うから、ここにいるんだよ。一番言いたいことは、口からはでなかった。
「あなたがこの大地のために何かしているのなら、私があなたのために何かしてあげるわね。ね、いいでしょ」
 彼の話が分かっているのか、それとも、興味がないのかわからなかったが、少女はそれは真剣な面持ちで宣言するように言った。
 この大地のために数え切れないほどの命を奪い、それでも元に戻すことは適わなかった。そんな者に君が何かをする必要はないんだよ。そう答えるべきだったのに、ミトスは目の前にある少女の手を取った。
「ありがとう。でも、もうアレトゥサはいろいろとしてくれてるよ。僕を家に泊めてくれた。ここに連れてきてくれた。おいしい食事を作ってくれた。僕こそ、アレトゥサのために何かをさせてほしい」
「無理しちゃだめよ、ミトス」
 少女は嬉しそうに笑顔を彼に見せ、手を彼に預けたまま、また彼の肩へと身を寄せた。彼がすごしてきたときを、彼が何をしたかを知らないくせに、アレトゥサの言葉は彼の奥底まで入り込み、そこに隠しているはずのものを揺らがせた。
「そうだ。アレトゥサ。良かったら、僕の笛を聞いてくれないかな」
 いつも身に帯びている小さな笛を取り出す。ここ何年も手には取るものの、姉やユアン以外には聞かせたことはなかった。口にあてて軽く息を吹き込めば、リンカの木のさざめきに似た高く澄んだ音が響いた。あの小さな家で機織の合間に聞こえた少女の歌を思い出し、ゆっくりと旋律を吹く。あんなに大好きだったのに、どうして忘れていたのだろう。
 気づけば、アレトゥサが彼の笛に合わせて歌っている。優しく、透明な歌声は彼の笛の音をさらに輝かせ、互いを引き立てあいながら、黄金の湿原へと風に運ばれていった。一つの歌が終われば、今度はアレトゥサが静かに歌い始め、ミトスはその心を締め付けるような澄んだ声にしばし聞きほれた。アレトゥサが軽く促せば、彼もなんとも懐かしい旋律にあわせて笛を吹いた。 
 我を忘れて二人で作り出す音の世界を楽しんでいれば、昼食後の穏やかなときはたちまちのうちに過ぎた。秋の一日は短く、日が雪を頂いた高い峰々の向こうへと傾くと、たちどころにひんやりとした風が吹き始めた。さきほどまで、黄金色に輝いていた湿原も枯れ草色に変わり、池の上には漣が立つのが見える。
「まあ、もう夕方ね」
 名残惜しそうに少女が立ち上がれば、彼も長い髪を乱す風を恨みながら、少女がもってきたバスケットの中に空き瓶とナプキンをしまった。
「アレトゥサ、手を」
 岩から降りた彼が手を差し伸べれば、少女は少しはにかんだ様子で笑い、その白い手を彼へと伸ばした。柔らかな手の感触に、たまらず、握り締めるとそのまま、腕を引き、軽く悲鳴をあげて落ちてくる少女の体を胸の中に受け止めた。アレトゥサは抵抗することもなく、ふんわりと彼の腕の中におさまった。
 抱きしめる少女の動悸が彼の鼓動と合い、互いのマナが絡まりあう。鼻先を擽る少女の甘い香りに誘われるように、ミトスはアレトゥサの髪へと顔をうずめた。どれだけたっただろうか、少女が苦しそうに彼の胸へとため息を吐くのを感じ、慌てて腕の力を緩めた。
「ごめん、こんなつもりじゃなかったのに、驚かせたね」
 少女の表情を伺うのが怖く、彼女の頭を腕で抱えたまま囁く。アレトゥサはゆっくりと頭を横に振り、彼の背の後ろへとゆっくりと手を廻らした。
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