GIFT(与えられしもの)

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 ミトスは糸の染付けに必要な水を汲みに、村はずれの泉へ行くのが日課となっていた。少女の両親も少女もそんなことはしなくていいと、いつも遠慮していたが、そもそも男手が少ない少女の家では重宝されているのは事実だった。おまけに彼は静かな泉の雰囲気を楽しめることをそれなりに気に入っていた。
 泉に足を運べば、あの最初の出会いのひと時の高揚が感じられ、確かに二人の間には通じ合うものがあったと一人で思い返していた。例え、少女の優しさが誰にも等しく平等で合ったとしても、あのときの眼差しは彼のためだけのものであったと思うことができた。
 そんな都合のよいことを考えていたからだろうか、少女がすぐ側まで来ていることに気づかなかった。かさりという草の音に振り返れば、ぼんやりしていた彼を待ちきれなかったのだろうか、少女はほんの目の前に立っていた。
「ミトス、そんなにびっくりしないで。驚かせたかしら」
 少女はくすりと笑いながら、首をかしげた。そういう彼女こそ、この数日注文に追われて、休みなく機を織っていた。彼女の母親が昨晩、無理をしないようにと小声でたしなめていたのをこっそり聞いていた。だからこそ、今日こそは彼女の助けにとここへ来たはずなのに、却って歩かせている。
「君にわざわざ、ここまで呼びに来させてごめん。すぐに持っていくよ」
 慌てて水桶を持とうとする彼の側に少女も手を伸ばす。 
「アレトゥサ、水は僕が運ぶから、休んでおいで。この三日、ずっと織り続けているだろう」
「ミトス、お客様にお手伝いをさせられないわ」
 彼の声に少女がちょっと困ったような声音で文句を言った。ミトスはその声に首を振った。
「ずっと、アレトゥサのうちに世話になっているのだから、これぐらいやらせてくれ」
「無理しないで。あなたはこんなことをしたことないでしょう。きれいな手が荒れてしまうわ」
 少女は姉よりも遥かに華奢な白い手で彼の手を包み込んだ。ふんわりとしたその感触に、胸が今だ覚えたことのないほどずきりとした。異性に触れられたのは久しぶりだからと自分に言い聞かせ、だが、動悸は治まらなかった。
 すぐに離れていく少女の手を追いかけないよう、素早く下にある水桶を持った。
「君こそ、体が弱いのに、こんな重たいものを運ばせられないよ」
「でも、……」
 少女はミトスが握った水桶を取ろうと手を伸ばし、その触れる彼女の手の熱さに思わず、水桶を取り落とす。倒れた桶から零れ落ちる水が、二人の足に飛び散り、芝の上を流れていく。
 慌てて、水桶を支えようとする少女の手を取り、その顔を覗き込む。秋を迎えようとする高い夏空のような瞳がかすかに驚きに見開き、でも、彼の射すくめるような強い眼差しにも逸らされることはなかった。しばし躊躇った後、少女の名前が口から滑り出した。
「アレトゥサ……」
 ゆっくりとその手を引くと、その名のとおり森の妖精のような軽さで少女の体は彼の腕に収まった。彼の胸の中で、華奢なその体は手を離したとたんに空気に溶けて消えていきそうだった。両手でつかめてしまうほど細いその腰に腕を回し、午後の日差しに透ける緩やかにウェーブのかかった長い髪を撫でる。
「アレトゥサ……」
 もう一度、愛しいその名前を呼んだ。彼の胸に俯き加減に頬を寄せていた少女は顔をあげた。ほんのりと上気して血色の良くなった頬がその大きな目をさらに印象深くし、彼に応えるように彼女の唇からも彼の名前がこぼれおちた。その声は今まで聞いたどのような楽の音よりも彼の心をゆすぶった。
「ミトス……」
 泉からわきあがる水の音が響くなか、夕暮れの涼しい風が寄り添う二人の長い髪を乱した。
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