フルムーン旅行:センチメンタル・ジャーニー

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鄙びた漁村 -二人旅編-(一)

 寄せてはかえす波は穏やかで、ぱしゃりと単調な音が繰り返されている。陽気もまた申し分なく、暑くもなく、寒くもなく、何もせずにぼんやりしているにはうってつけの日である。だが、何もせずにじっと座っていれば、それはそれで、頭の中に様々なことが浮かんでくる。
 なぜ、この地を二人で訪れたのだろうか。言葉もさして交わさず、ただ釣り糸を垂れることに何の意味があるのだろうか。そもそも、釣りをするのであれば、場所を選んだ方がいいのではないだろうか。それにしても、後何時間釣り糸を垂れているつもりなのだろうか。
 凪いでいる海の上を水鳥が青い空に見事な曲線を描き、遠く水平線へと消えて行った。ユアンは何の反応も示さない己の釣竿を見捨て、脇に座る恋人を眺めた。海を渡ってきた風はクラトスの髪を揺すり、マントの端を震わせていく。体半分ほど空いた二人の間も暖かい風が通り抜ける。微動だにしない恋人の影がユアンの足元へと落ちている。ユアンはだらしなく伸びをすると、釣竿へと注意を戻した。
 全く、これは何の修行だ。すでに数千年も過ごして、生ある限り煩悩は消えないことは身をもって学んだ。今更、せっかくの二人の時間を無為に過ごすこともないだろう。
 ユアンは座りにくいごつごつした岩場の上で、体勢を直した。
 磯場の向こうに霞む小さな漁村で一晩過ごした。朝、すぐに他の町へ出るのかと思いきや、クラトスは宿で釣り道具を一式借りると、この場へと直行した。背後から、なぜ釣りだ、と疑問を投げかける彼に恋人は答えを返さず、黙って岩場に座りこんだ。フルムーン旅行に相応しい楽しみとは思えない、と恋人に意見したが、寡黙な恋人は黙って釣り針に餌を仕掛けるだけだった。ユアンも大袈裟にため息をつき、横に腰を下ろした。それから、数刻は立っている。
 しかし、釣りをしてさえも、クラトスはクラトスだ。身動きもせずに、釣竿と同化したように座っている男は、そこはかんとなく気品が漂い、まるで重要な任務を注意深くこなしているかのようだ。
 ユアンは横にいる恋人の姿に満足の笑みを零し、風に踊る自分の髪を手で押えた。そこで、岩場の潮だまりに映る自分の姿が目に入った。いかにも無気力な彼の影はわずかなそよ風にもユラユラと頼りなく崩れる。ユアンは再びため息をこぼした。
 それを言ったら、私の姿はあれか。何もすることがなく、居所も無い、うらぶれた中年男か。そう見られてもいたしかたない。レネゲードは解散した。長年彼に付き従ってくれた部下達は、一人、また一人と各地に散って行った。ディザイアンとは一線を画してきたが、それはハーフエルフ、とりわけ、彼やその周囲の者達だけの知ることで、人間達は事情を全く知らない。新しくなった世界と言えども、ハーフエルフが固まって過ごせば、それだけで脅威と看做される。
 この世界をあるべき姿へと努めてきたが、そのための手段は誰からも是とされることはないものだった。人々を犠牲にしたという点ではディザイアンもレネゲードも同罪だ。とりわけ、どちらの組織の上にも立っていた彼の罪は深い。そして、彼の罪に加担させた部下達に安住の地を与えることも出来ない。
 クラトスはレネゲードやそれに纏わる事柄に口を出したことはない。それを言ったら、クルシスにおける互いの行状に触れることも滅多にない。お互い様と思っているのだろうか。これでひどく情に厚い男だから、個人の情がうわまっているのだろうか。クラトスがクルシスを離れたあのとき、表面上はミトスとの諍いが原因だった。だが、クラトスは気付いていたはずだ。彼が作っている組織を、彼が手を下している言い訳のできない悪行を。
 今更尋ねるのも憚られるが、彼にも愛想をつかしていたのではないだろうか。ひょっとして、今も、彼と共にあることを後悔しているのではないだろうか。
 ユアンは手にしている竿を無駄に揺らした。その先で不安定に引きまわされている浮きは一顧だにもせず、ユアンは膝の上で頬杖をついた。
 しかも、この地には、おそらく彼には言うこともないだろうが、クラトスの思い出があるはずだ。それを知っていること自体に罪悪感を覚え、一方で、彼の感情は馬鹿正直に言うことではない、少しでもいいところだけしか見せるな、と囁いた。


 ユアンのとりとめもない思考は無遠慮な注意に遮られた。
「ユアン、糸が引いているぞ」
 その声に彼は慌てて釣竿を上げた。
「また、これか」
 憮然としたユアンの声に横で釣り糸を垂れるクラトスが声を殺して笑った。釣果というにはあまりにお粗末な海藻の塊をユアンは勢いよくむしり取ると、岩場にぽんと放り投げた。
「お前はまったく釣りには向いていないな」
 忍び笑いをどうにか堪えたクラトスがまっすぐ海を見たまま、ユアンに声をかけた。まるで、今までの数時間はそれを知るためにあったかのように、確信を持った声音だった。
「心外だな。私だって釣りぐらい……」
 ユアンは語気荒く答え、途中から中空を睨んで言葉を切った。
「そうだったな。お前が夕食のために釣りに出かけたら、たいてい、大漁だった」
 クラトスがなおも笑いをかみ殺して言った。
「だが、あれを釣りとは普通は言わないぞ。サンダーを使うのは少々ずるいのではないか。まあ、そうでもしなければ、夕飯に間に合わなかったのも確かだがな」
「ミトスだって、貴様と行かないときは使っていたぞ」
 ふん、と前に向き直ると、ユアンは打ち寄せる緩やかな波の上へと釣り糸を垂れた。すうっと盛り上がり、さあと引く波の上に浮きが頼りなく揺れた。春の陽射しに、藻がふわりと広がり、小魚がすいとその中をぬけて行くが、ユアンの竿にそれらしい手ごたえは無かった。
 さきほどまでじっと動かなかったくせに、クラトスはひとしきり笑った。ユアンはそんな恋人の姿にどこか安堵の吐息をこぼした。何を緊張していたのだろう。クラトスは釣りに夢中になっていただけのようだ。
 クラトスが手にした釣竿をさっと振り上げた。糸先には、ぴちぴちと跳ねる魚があった。大きな手が素早く魚を捉え、手慣れたリズムで脇にある容器に獲物を投げ込んだ。ぽちゃんと海水がはね、ぱしゃぱしゃと魚はひとしきり暴れていたが、やがて静まった。
 ユアンは容器を覗きこんだ。
「クラトス、貴様の釣りの腕が私のサンダーと遜色ないことは分かった。これ以上釣っても、二人では食べきれないだろう」
「そうだな」
 気の無い返事を返し、クラトスは釣竿を脇に置いた。ユアンも釣竿を引き上げた。もちろん、釣り針には何もかかっておらず、水滴を垂らす小さな針が午後の陽に光った。ユアンがごつごつとした岩場の上に立ちあがると、クラトスは座ったまま、連れを見上げた。
「なんだ、まだ釣りを続けたいのか」
「いや、そういうわけでもないのだが」
 クラトスは海の方に向き直った。春の海は午後の陽射しに揺れていたが、ユアンには特に何の変哲もない光景にしか見えなかった。ここは自ら聞いてやらなければいけないのだろうか。あるかないかの微かな風がクラトスの髪を揺らした。赤味の強い癖のある髪は、その息子のやはり癖のある髪とよく似ている。だが、息子の髪の色はやはり彼女から受け継いでいるに違いない。この磯場の近くで出会った女性の面影がユアンの胸に浮かびあがった。
「クラトス、何か話したい……」
 ユアンの言葉は遠い記憶を手繰り寄せるに連れ、沈黙の中へと溶け込み、しかとした音にはならなかった。クラトスがこの場で語るであろう物語は、彼が聞いてはならないはずだった。
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