転回

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アンナ

 春から夏へと静かに季節が進んでいく。小さな芽吹きはのびのびと空へ広がり、わずかながら強くなった日の光にその葉脈が透けて見える。
 以前は彼もこの季節を愛していた。目に少し強い日差しのなかの柔らかな緑黄色の葉をそよぐ風は彼のかたわらにいるものと同じマナを感じさせた。もう、何年も見て見ぬふりをしている時間。


 昼夜もわからぬ冷たい人口照明が床の下から壁を照らす。壁は乳白色の明かりをぼんやりと反射して、ときには真珠貝のように、ときには濁った水晶のように鈍った光をはなっていた。
 季節感の全くない執務室で、机の上にある報告書を何気なく見ていた彼は、はっとした。何かがおかしい。何の変哲もないはずの表の中の数字に違和感を覚える。どうして、こんな何でもない表のなかに埋め込まれているのだろう。A012と書かれた項目の数値は、彼の意識の奥底にひっかかる。
 クヴァルの牧場だ。どんな男だったろう。最近のハーフエルフたちの動向は彼の目的の邪魔にならないかぎり、彼にとってはどうでもいいことであった。しかし、放置してはまずいこともある。
 こんな短い間にこれだけ変動する石は危険だ。


 配下のものを呼ぼうとして、その手を止めた。いや、これは自分が見に行った方がよいだろう。遥か以前から、彼は自らで行動することを第一としていた。
 肝心なことは、己の目で確かめねばならない。あのおおげさな玉座の向こうで凍り付いている少年に気づかれる前に、必要な手を打たねばならない。これ以上、犠牲者を増やしてはならない。天使であることが、千年王国がハーフエルフの目指す楽園であるなどのまやかしを実現させてはならない。
 かつての同志はすでにここを去って久しい。ないものねだりではあるが、彼に相談できれば、とつい願ってしまう。
 しかし、自分はまたしても冷たい王宮に縛られている。ものを語らない暖かい躯が置かれている場所から離れるわけにはいかない。守らなければならないものがそこにあるのだ。


 ワープを重ね、シルヴァラントに降り立つ。外気はほのかに新緑の香りがまじり甘く感じられるにも関わらず、マナの少なさはまるで晩秋の時雨のように彼の体を震わせた。実際、これは彼のせいであるとも言えた。何世代にも渡る神子の交代が阻止された結果、世界のバランスは徐々に崩れ始めている。
 再度、水から上がったときのように思い切り息を吸うと、かすかに体が覚えているあの男のマナを感じた気がした。もちろん、そのような絆を結んだ覚えはなかったが、数千年は一緒にいたのだ。
「クラトス」
 懐かしい名前をつぶやき、飛び立つ鳥の羽音に気をとりなおして、問題の牧場の中へと入る。


「ユアン様、突然のお越しとはどうなさいましたか」
 いかにも能吏然とした男が彼を迎えた。
「お前の牧場が大変生産性がよいのでな、他のところへの参考に見学をしたいと考えたのだ。私に気をつかうな。ただ、中を見せてくれればよい」
 あらかじめ準備していたとおりの言葉を出せば、相手は
「それは、それは、光栄でございます。ユアン様に評価いただけるということは、ユグドラシル様からもお褒めいただけるということで」
と何を考えているのかわからない能面の奥にちらりと昇進への欲望をちらつかせる。
 ああ、馬鹿な奴らめ。遥か昔、彼が見知っていた人間達の王国と今のハーフエルフ達の組織と何が違うというのだ。どのような血が流れていようと、そこにある欲は同じだ。
 牧場主はすばやく配下に何かを伝えて、彼の案内をしようと、自らは彼を奥へと導く。
「何だ。やけに警備がものものしいが、何かあったのか」
「いえ、小賢しいものが牧場にちょっかいを出そうといたしましたので、少々、警備を厳しくしております。薄汚い人間どもめをあぶりだそうとしておりますが、もちろん、業務に支障があるようなことではございません」
 取り繕う男の姿に釈然としない気分を感じる。
 また、クラトスのマナを感じる。ここでは、何かが起きている。


 大きなサイレンのうなりとともに、奥へ向かって警備のものたちが走っていくのが見えた。
「ユアン様、これは大変失礼いたしました。何かの手違いとは思いますが、どうぞこちらでお待ちください」
 配下のものに耳打ちされた男がユアンを客室に案内すると外へと出て行く。
 残されたユアンは、さらに強いマナの輝きを感じた。間違いない。クラトスがごく近くにいる。
 思った瞬間に、とてつもない殺気とともにドアが開き、何百年も会うことのなかった男の姿が目に入る。クラトスは歴戦の戦士らしく、いきなり、部屋の前を通りかかった警備の二人を打ち倒し、さらに部屋に飛び込んできた。
 クラトスの前に大人しく突っ立って、正面から切り込まれるつもりはなかったので、ユアンは瞬間クラトスの背後に入ると、彼をはがいじめにした。
「静かにしろ。私だ」
 強烈な殺気がすっとおさまる。
「ユアン、なぜ、ここにいる」
「久しいな。相変わらず剣の腕は達者そうだな。クラトス」
 気がつくと、クラトスの後ろに小柄な人影がある。
「そいつは誰だ」
「ユアン、訳を話しているひまはないが、アンナという」
 二人が互いに見交わす眼差しの輝きに、失望感とも、喪失感ともつかない何かが心の奥底に湧き上がってくるのを感じた。私がマーテルのことをこいつに告げたときも、こうだったのだろうか。馬鹿なことを考えたと、すぐに気をとりなおす。
 異様な力がどこからか出ていることに気づいた。アンナといわれた女を見て確かに感じた。私がここで見たかったものは今、目の前にある。
「ようするに、ここから脱出したいのだな」
 昔の同志とは交わす言葉は最低限でこと足りる。
「すまない。そのうち、お前には、必ず訳を……」
 クラトスがつぶやくのを無視して周りを見渡し、最善の策を考える。
「とりあえず、お前たち、服をぬげ」
「何を言っている」
 クラトスが驚く横で、女がうなずいた。
「この警備兵の服を着ればいいのですね」
 その声の響きは耳にとてもやさしい。クラトスが彼女の方を思わしげに見やるので、自分のマントを渡す。
「これで隠してやれ。急げ。」
 念のために、倒れ付している警備兵に記憶が消えるよう雷撃を再度あびせて、ソファの向こうにころがす。
「行くぞ」


 外でクヴァルに会う。
「何やら、物入りのようであるから、私は戻る。このものたちに案内してもらうから、お前は後始末をきちんとするのだぞ」
「ユアン様、このことはどうぞご内聞に。決していつものことではございません」
 こいつが萎縮している間にここを離れなければならない。
「わかっている。私も時間がない。次にくるときには、よい結果をまっているぞ」
 遠くで何やら騒がしい音がして、牧場主がふりむいている間に出口へと向かった。


「助かった」
 遠く離れた森の中で、クラトスと向き合う。
「ありがとうございます」
 小さな柔らかい手が私の手をつつむ。
「礼には及ばない。クラトスには借りがたくさんあるからな。これしきのこと、たいしたことではないよ。しかし、よくあの部屋に飛び込んできたな」
「実はお前のマナを感じた」
 クラトスが照れたように言う。
「今朝、最初はかすかだったが、あの近くに来たことがわかった。これがチャンスだと思ったのだ。お前なら、きっと私たちを助けてくれるとそう思った」
「青くてきれいですね」
 アンナがいう。
「お前もわかるのか。」
 クラトスが驚いたようにアンナにたずねる。
「ええ、ずっと、クラトスから聞いていましたから」
 その話し方はゆったりとしたマーテルの声とはまったく違っているのに、ひどく彼の胸をしめつけた。懐かしい香り、新緑の癒し。
「何を言ってたのだ。貴様は」
 クラトスは恥ずかしげにあらぬ方を眺めて、それでもごく自然にアンナの手をとった。私のマナは青くもなければ、美しくもない。しかし、彼女からそう言われれば、否定するつもりもなかった。
「訳はきかぬ。これから貴様たちがどうするかも聞く気はない。私たちは会ってはならぬからな。だが、一度だけでよい。アンナの石を見せてもらえないか。私があの牧場を訪れた理由はこれなのだ」
 クラトスははっとしたように、私の顔を凝視した。
「やはり、この石は通常のものではないというのだな」
 アンナの手に埋め込まれた石はすでに冷酷にこの人間の体内に根をはっている。触れると、脈動する石の力を感じた。
「これは危険な石だ。とてつもない力を感じる。あなたを食い尽くし、お前を危機に陥れる。わかっているのだろうな」
「ユアン、どうにかこれを無事にアンナから取り出せないか。私のことはどうでもいいが、アンナはまだこれからの生がある」
「クラトス。知っていよう。私はマナは扱えるが、石たちの力の前では無力なのだ」
「ユアン」
 クラトスの声にかすかな絶望と強い懇願を聞き取る。
 私にできることなら、全力を尽くそう。だが、もうこれは手が届かない。
「クラトス。この方を困らせないで。マナが震えているわ」
 この石の力が見せているのだろうか。ただの人間とは思えない力。
「この石の力はもう止められない。だた、私のにできることが、アンナ、あなたへの救いの一助になればいいのだが」
 今与えられる唯一の力を、エルフの聖なる言葉を自分のマナに封じ込め、彼女の手の上に重ねる。石がわずかに脈動し、静かに眠りにつくのが感じられた。
「いつまでもつかわからないが、まじないの言葉はかけた。後は腕のよいドワーフを探すことだ。はずすことは適わなくとも、眠りにつかせることはできるはずだ。眠っている間はわずかと思うがな。それでも、今の私の力よりは遥かに強力だ」
「ユアン、すまない。お前にはいつも助けられてばかりだな」
「いや、貴様が無事にいてくれればそれでよいのだ。もう戻らねばならない。用がないとは言えども、きまぐれなミトスのことだ。何をしでかすかわからない」
「あの、ありがとうございます」
 アンナが私の側に近づく。
「クラトスのこと、よろしく頼む」
 新しい癒しの女神に耳元で静かにささやく。美しく優しい瞳が遥か昔の思い出をかきたてる。
「今は、あなたが彼の側にいる。時を恐れずに彼を愛してやってくれ。」
 また感じる癒しの力。私も癒される。ずっと忘れていた季節。クラトスは少し離れた場所からじっと空を見上げている。ともに見上げると、新緑の日差しがひどく目にまぶしかった。
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