拍手小話

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夏:夕立

 ぽつりと額に落ちてきた雨はたちどころに本格的な夕立となった。頭にトクナガをのせて、アニスは大慌てで近くに見える建物の軒下へと走りこんだ。


 どんと軽く人にぶつかり、アニスは慌てて一歩下がった。とたんにどしゃぶりの雨が彼女を覆った。
「アニス、何しているのですか」
 大きな手がアニスの腕をつかむと、再び軒下へと引き摺りこんだ。
「あれぇ、大佐。どうしてここにいるんですか」
「どうしてって、雨が降り出したからですよ。正確に言えば、買い物にでかけたまま、黒雲が出ても戻ってこないで道草している兵士を探しにきたのです」
「まったく、皆、勝手に好きなもの言ってくれちゃうから、お店を回るのに、忙しかっただけです。道草なんてしてませんよ。ほら、お買い物は濡れていないから」
 胸に抱えていた荷物を乾いた地面に降ろし、アニスは片手で頭にのせていたトクナガを降ろした。
 アニスは水を滴らせているトクナガの水を払い、ポケットからハンカチを出して拭いてやる。ハンカチも今のどしゃぶりで少し湿っていたから、たちまちびしょ濡れになった。ふるふると首を横に振って、髪のしずくを払うと、アニスはハンカチを絞った。
 そのとたん、彼女の顔を小さな布が拭った。
「はうぁ、大佐、何をするんですか」
 アニスは驚いて声をあげた。
「何って、あなたがびしょびしょだから、拭いてあげているんですよ」
「いや、自分で出来ます」
「でも、あなたはトクナガの面倒を見るのに忙しそうですからね」
 にんまりとしか言いようのない笑みを浮かべて、大佐はアニスの首筋をなぞり、むき出しになっている肩の部分を拭いた。アニスはその感触にぞくりとした。男は軽く膝を折り、ひどく濡れた部分をていねいに拭いていく。アニスはつったったまま、トクナガを思い切り握り締めていた。大佐が立ち上がると、ようやく我に返ったアニスは叫んだ。
「大佐、止めてください。自分で出来るから」
「ええ、もうあとちょっとで拭き終わりますから、止めますよ」
 平然と濡れたハンカチを絞り、再度、アニスの長い髪の先を拭くと、男は手を止めた。
「大佐、本当にもういいですったら」
 アニスは数歩大佐から離れた。すると、男はさっと一歩で間を詰めてきた。
「アニス、何を逃げているのですか」
 にっこり笑う男の顔は整っているにも関わらず、冷静に獲物の動静をうかがう肉食獣のように獰猛なものを感じさせた。アニスは豹に狙いをつけられた小さな鹿のように、ぶるりと足を震わせ、しかし、身動きできなかった。
「ねえ、アニス。もうちょっとこちらに来てください。濡れますよ」
 長い腕がアニスの腰を引き寄せ、押し付けられた軍服からは湿った毛織物の匂いと大佐の香が立ち上った。彼女の動悸が男に伝わらなければいいのにと、アニスは青い厚手の生地に頬をつけたまま、目を瞑った。


 夏の夕立はなおも止まず、二人しかいない軒下の狭い空間にはじわりと熱気が忍び込んでくる。
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