拍手小話

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雨:足跡

「アニース」
「はーーい、大佐。何かごようですかぁ」
 呼ぶと、少女はほいと彼の右脇から顔を覗かせた。
「アニス、これはどういうことですか」
 少女は彼が指し示す先を見て、首を傾げた。
「あれ、どうしたんですか。大佐の仕業ですか」
 机の上には、てんてんと小さな足跡がついている。それは、てんで気ままに歩いており、広げた書類の上ももちろん、斜めに横切った跡があった。
「私のわけがないでしょう。隠したって駄目ですよ。これはどこをどうみても、あなたの足跡でもなければ、もちろん、私の足跡でもありません」
「大佐、まわりくどいよ」
「後ろにかばっても駄目ですよ。どうして拾ってきたんですか」
「だって、かわいそうだったんだもの」
 アニスの背後から小さな小さな尻尾がゆらりと揺れている。
「アニス、今はそんな悠長なことをしていられる時間はないのです」
「じゃあ、大佐はほっておけるの。すごい雨だったんだよ。びしょ濡れで、一匹でミーミー言ってたんだよ」
「あなたが拾わずとも、誰か他の人が通りかかりましたよ」
「あんな雨じゃ、そんなに人が歩いていないもん。それに、道路に水溢れ出してたし。私のこと、呼んでたもん」
「猫は別にあなただから呼んだわけじゃありません」
「大佐、冷たいよ。大佐だって、ね、この子がミーって鳴いたら、ほっておけないでしょ」
 目の前ににゅーと全身真っ黒で、鼻面と足先だけが白い子猫が突き出された。猫は彼を見ると、ミーといかにも哀れそうに鳴いた。その下から、とても大きく輝く黒い二つの瞳が彼を見つめる。赤い唇は固く引き結ばれて、彼の答えを待っている。
 ジェイドははぁと息を吐いてから、アニスに笑いかけた。
「分かりました。じゃあ、責任をもって、あなたが面倒をみてくださいよ」
「やった。このアニスちゃん、きちんと面倒をみます」
「ということで、まずは、私が書いていた書類の清書からお願いいたします」
「ええ……」
「後始末の一つもできないんですか」
「わかりましたよぅ」
 少女はぷりぷりと頬をふくらまし、結った髪を揺らしながら、彼の机に向かった。


 ジェイドがソファに座ると、人なつこい子猫はぴょんと彼の膝の上にのった。しょうがない。ミーミー鳴いて、自分の面倒を見られそうにないかわいい生き物を拾ってしまうのは、人のさがなのだ。彼も拾ってしまったから、相手にその気があるかどうかはともかく、きちんと最後まで面倒は見るつもりだ。
「というわけで、おまけですが、あなたの面倒も見ますよ」
 子猫をかかえあげて、その柔らかな耳にこそりとつぶやいた。
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