拍手小話

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想い:春惜

 グランコクマの春は早い。緑滴る大通りは海が照り返す陽射しで汗ばむほどだった。アニスは港から続く目抜き通りを小走りで先へ進んだ。あちらこちらへと行きかう人を避けるのも一苦労である。久しぶりのグランコクマは以前と変わらず、その豊かさを誇っている。諸国の名産品を売る店や高価な貴金属店がそこかしこに軒先を並べ、たくさんの人が買い物を楽しんでいる。その先の辻に人だかりが出来ており、アニスの足を止めた。
 おおがかりな葬儀のようだ。葬列はアニスの前を通り、ローレライ教団の教会へと静かに向う。喪服に身を包んだ人々が棺の後につき従っていた。
「カーティス将軍の葬列だ」
 前から囁き声がする。アニスはその言葉に慌てて背延びをした。見覚えのある金髪が葬列の人の間に垣間見えた。とっさに本人の葬儀と勘違いしたことに苦笑した。あの男が死んだら、世界を震撼させるだけの騒ぎになる。このところ、ダアトに籠りっきりのアニスだって噂を聞いたことだろう。カーティス将軍とは退役したあの男の義理の父親に違いない。びっしりと並ぶ人垣をかき分け、前へと出る。
 国の重鎮だった人への敬慕からか、沿道の人々は通りかかる葬列に帽子を取り、頭を下げる。厳粛に進む黒い布をかけられた棺の後ろに、相変わらず姿勢よくあの男が歩いていた。軍の制服は以前の見慣れた形ではない。階級が上がったことも、今は第三師団から参謀統合本部へ移動したことも、軍事というよりは外交で活躍していることも知っていた。道沿いに知り合いの顔でも見つけたのだろうか。男が優雅に挨拶をした。以前と変わらぬ長い金髪が男の動作に合わせて揺れた。アニスは食い入るように男の姿を追った。
 教団前で葬列は止まった。兵士達が威儀を正し、重そうな棺を教会の中へと運びこむ。棺の後についてきた家族達がやはりゆっくりと階段を上っていく。黒いベールをかけた女性が足元を見ていなかったのだろうか、よろけた。咄嗟に男が手を貸すと、その女性は男の胸へと寄りかかった。自然に男の手が女の背を支え、悲しみをこらえているらしいその女を慰めた。透けた黒いベールの下の髪は、男よりも明るい金髪だった。
 皇帝の親族と近々婚約すると噂には聞いていた。それも去年の話だ。渡された白い花はアニスの日記に挟まれたまま、二度とそのページが開いたことはない。見なくても、あのときのことはいつも鮮明に思い出せる。少し震えていた自分の手。風に揺れた小さな花。真剣に彼女を見つめる赤い瞳。結ばれた薄い唇。さらりと肩から落ちる鈍い金髪。かがめられた男の影にのけぞるように逃げる幼い自分。
 今なら怯えることもない。今ならあの男を前にしてまっすぐに視線を受け止められる。差し出された花を胸をはって受け取られただろう。だが、二度と機会は巡ってこず、時はたちどころに去っていく。胸を締め付ける苦しさはあのときと同じだった。
 ベールを軽く持ち上げ、男が何事か囁くと、女性の目元を拭っている。ざらりとたこで固くなった男の手が彼女の頬に触れたときの感触が蘇った。しかし、男の前に立つのはアニスではない。女の腰に長い腕が廻され、二人は一歩一歩階段を上がっていく。教会の扉の中に二人の姿が吸い込まれ、背後でゆっくりと扉は閉じられた。



 夕暮れのグランコクマは昼間とは全く違った静かな趣を漂わせている。滔々と流れる水は濃い藍色となり、小さな飛沫をあげながら、橋の下へと消えていく。欄干に寄りかかり、アニスは暮れゆく空を仰いだ。白い雲が薄らと茜色に染まり、のんびりと東へと流れていく。あの先にテオルの森がある。白い花を差し出した手袋の色はもって薄かった。藍色に滲む空の端は町並みへと落ちていく。
 ゆっくりと目を閉じ、アニスは深く息を吸った。ケセドニアの埃っぽり空気でも、ダアトの古い町並みの緑の色でも、バチカルの華やいだ香料とも違う、水の香。ひんやりと彼女の心を落ち着かせた。どきりと弾んだ鼓動も宥められ、懐かしい思いが込みあげてきた。何事も戻ることは出来ない。時を巻き戻すことが可能なら、ダアトの導師は誰が務めているのだろう。彼女は古い漆喰の壁と揺れる蝋燭に照らされた廊下をかけずりまわっているのだろうか。
 さわさわと風が彼女の髪を靡かせた。
「側にいたかったよ」
 あのときは言えなかった言葉を口に出してみた。大切な導師なのか、それとも、あの年のかけ離れた軍人なのか、伝えたい人は判然としなかった。
 軽く頭を左右に振り、アニスは長く伸びた黒髪を後ろへと撥ね退けた。素敵な思い出は、だけど思い出のままだ。グランコクマの空はどこまでも広く、宵も素晴らしい天気だろう。支部の会議は長引いたけれど、久し振りに来たのだ。名物の水の壁を近くまで眺めにいこう。素敵な人と出会えるかもしれないじゃない。
 石畳に軽い足音が響き、颯爽と歩く少女は緑したたる公園の中へと消えた。
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