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桜並木(その六)

 怖々とピオニーは顔をあげた。ジェイドの目がどこか遠くを彷徨っていたかと思うと、きっと彼を見つめた。慌ててピオニーは下を向いた。
「ピオニー、今何て言った」
 静かに問い返す死霊使い(ネクロマンサー)の声とは裏腹に、ピオニーの前にある軍靴がぎしりと音を立てる。こんなに怒っているジェイドは生涯で一度しか見ていない。ピオニーがネフリーの愛と国とどちらをとるかと問われ、ネフリーと答えたときだ。うわぁ、俺、結婚する前に死ぬかもしれない。不吉な予感がピオニーの胸をよぎる。
「はい、ネフリーと結婚したい……」
「そうじゃなくて、もう一つ前だ」
 その言葉と一緒にジェイドの革靴がぎりりと軋んだと思うと、ピオニーは胸倉をジェイドに掴まれていた。自慢ではないが、それ相応に鍛えた体はかなりの重さだ。それを軽々と片手でつかみ上げるジェイドの腕力にピオニーはぎゅっと目を瞑った。ジェイドも伊達に軍人を長い間しているわけではないな。ピオニーはどうにかつま先だちになって体を支えながら、今更のようにサフィールの悲鳴を思い出した。目の前の親友の見てくれに騙されてはいけない。優男で細剣でさえ扱いかねるような体格のクセに、自分の身長よりも長い鋼鉄の槍を軽々と振り回す馬鹿力の持ち主なのだ。サフィール、悪かった。次にジェイドにつるし上げられるときは、すぐに止めてやるからな。だが、その機会はないかもな。
 ピオニーは霞む頭で考えた。 とたんに、椅子に放り投げられた。ぜいぜいと息を整えるピオニーに向って、ジェイドが冷たく付け加える。
「陛下、皇帝ともあろう方が、臣下に軽々しく土下座なんてしないでください。みっともないこと、おびただしいです」
 そう言いながら、ジェイドは許可も求めずにどさりと席に腰を下ろした。
「それなら、口で言えよ。扱いによっては、俺だって死ぬぞ」
「減らない口は閉じていてください。それで、身に覚えがないのにネフリーに子供ができたと。だから、仕方なく結婚したい。そういうことですか。そんな輩は、例え親友であっても、速やかに死んでいただいて、一向に構いませんがねぇ」
 えっとピオニーは首を横に振った。
「ジェイド、まだ、全部話していない。ネフリーに子供ができたことを黙っていたのは悪かった。そっちは身に覚えはあるに決まっているじゃないか。ほら、安定期を過ぎるまではいろいろとあるから……。ああ、俺とネフリーの子供だぞ。夢のようだ」
「では、あのぬいぐるみは」
「ああ、そういうこと。な、だから結婚は急いであげるつもりだ」
「ほう、その割には憂い顔ですね。嫌なら、ネフリーと一緒にならなくて結構ですよ。さっきからいかにも困った顔して、なんですか。実の兄としては情けないかぎりです」
「違うって。そっちはいい話。じゃなくて、……」
「じゃなくて」
 再び、ピオニーがジェイドの前に土下座した。
「怒らないで聞いてくれ。俺はネフリーだけ。他の女と付き合っていたこともあるが、ネフリーが一人になる前の話だ。そうすればあきらめられると思っていた」
「怒りませんから、その何が問題なのです。私もそれに関しては、奨めたことはあっても、苦情を言ったことはないかと存じます。まあ、ネフリーも承知していたと思いますが」
「一週間前に、付き合った覚えがほとんどない女から手紙がきた」
「……」
「子供が出来たと……」
「はぁ、なぜ今になって」
「そうだろう。なぜ、今になって言ってくるのか。そもそも、俺は身に覚えがないんだよ。確かにその女とは、爺さん連中に御膳だてされて仕方なく会った。だが、何かした覚えが全然ないんだ」
 悲鳴のように言い募る。
「ジェイド、頼む。今、ネフリーはまだ危ない時期だ。余計なことを聞かせたくない。内々に調べて、ことを荒立たないようにして欲しいんだ」
 今度は胸倉は掴まれず、ピオニーの手をジェイドがぐいと引っ張り上げた。じっとピオニーの目を覗きこむジェイドに、ピオニーはぐっと睨みかえした。
「陛下、その女の名前を教えてください。あなたのことです。目線があっただけで、妊娠するなんて言われて、頭の弱い娘がその気になっちゃったんじゃないですか」
「止せよ、ジェイド。俺はそういうことには慎重だって知っているだろう。とにかくだ。ネフリーに知られる前に穏便にすませたいんだ」
「分かりました。ただし、今回だけですよ。二度目はありません。同じ騒ぎを起こすような男を私の妹の夫にできませんからね。次に私が同じ話を耳にしたときには、皇帝と言えども息していられると思わないで下さい」
 ぴしりと言い放つジェイドに、皇帝陛下が素直に頷いた。話の内容とは不似合いなだけ明るいグランコクマの青空が窓一杯に広がる。そよりと吹き込む春風が、テラスに広がる桜の花びらを舞い上げ、皇帝陛下の金髪を揺らし、親友の髪を嬲り、部屋を通り抜けた。
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