拍手小話

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桜並木(その四)

 ジェイド・バルフォア・カーティスはその日何度目かのため息をこっそりとこぼした。春爛漫のその日は、確かに外をそぞろ歩くには申し分のない陽気であった。グランコクマの春は様々な花に彩られ、日頃はそういうことに疎い彼も何かしらさんざめいた気分になった。朝方、王宮に向う足取りも軽く、ジェイドはほとんど鼻歌気分でピオニーの私室を訪ねた。ダアトから訪問者があるからだ。使者が到着するまでの間に、何か準備しなくてはならないことはあっただろうか。ジェイドも一応は私情を脇におき、今日の予定を頭の中でさらった。
 皇帝陛下の私室も窓を広く開け放たれ、明るい日差しが部屋の中へ伸びている。ジェイドは入口で立ち止まると、習慣で軽く頭を下げた。誰もいなくても、何はともあれ皇帝の部屋だ。儀礼を欠いてはならない。そのまま、ジェイドは寝室へとまっすぐに進んだ。いつも片付けられている前室には、座り心地の好さそうなソファが窓際に置かれ、炉の前には円卓が据えられている。話をするためにはお誂えのその場所は、整理整頓されているがために、部屋の主から無視されている。
 ジェイドは寝室の扉を軽く叩いた。
「そこに俺はいないぞ」
「失礼しま……」
 習慣で寝室の扉を開けたジェイドはそこでどうにか踏みとどまった。
「いきなり、背後から声をかけないでください。驚くではないですか、陛下」
 くるりと回れ右をしたジェイドは円卓の上にだらしなく頬杖をついている皇帝に軽く膝をかがめ、挨拶を送った。ピオニーは頬杖をついたまま、空いた手で隣の席をさした。
「あなたが寝室にいないなんて、ひょっとしてブウサギどもがついに片付きましたか」
 指定された席に腰をおろすと、ジェイドは嬉しげにピオニーに尋ねた。さすがの皇帝陛下も親友の言葉にむっとしたのだろう。だらりと円卓に寄せていた体を起こし、にこにこと悪気満載の笑みを浮かべる軍人をピオニーは睨みつけた。
「お前には残念な知らせだろうが、俺の可愛いジェイドもサフィールも皆元気だ」
「それは、それは。今日一番の悲報ですよ」
 ジェイドは目の前に座る幼馴染の表情を観察した。弱ったふりをしているときは、やっかいごとの頼みに決まっている。ここに彼を呼び出したからには、個人的なことだ。先日、ネフリーへの贈り物は握りつぶしたことに気付かれたのだろうか。それとも、あのいまいましいブウサギをまた一頭増やしたいのだろうか。いくら何でも、シンデレラを探すのではないから、ブウサギ探しのために、そうそうガイを国中歩かせるわけにもいかない。軍の予算はこの前円満に収まったし、どちらかと言えば、不満があるのはこの自分だ。ダアトからの用件は、ジェイド自らが作りだしたのだから、ピオニーの頭痛の種になるわけがない。
 あれこれと考え込むジェイドに向い、ピオニーは口を開きかけ、結局何も言わなかった。
「……」
 青く澄んだ目がぴたりと照準を合わせ、ジェイドを見つめる。
「お断りします」
 条件反射でジェイドはきっぱりと答えた。
「おい、用件を言う前から断るなよ」
「プライベートなことはご自分で解決してください。さて、今日は昼前に師団の人事案件を決め、それから参謀総長と昨日の予算案の詳細を確認し、午後はダアトからの使者と会見が入っています。時間もございませんので、これにて」
 淀みなく今日の予定をあげるジェイドの声に、ピオニーがぐしゃりと顔を顰めた。
「ダアトの会見て言ったって、アニスちゃんと会うだけだろう。お前のお楽しみで設定したくせに、忙しいなんて言えないだろう」
「では、一分ほど差し上げましょう。あなたのご用件を手短におっしゃってください」
「わかった。一分だな」
 しかし、ピオニーはそこで口をつぐんだ。ジェイドは心底困り果てているピオニーの表情を希少動物で見るかのように仔細に観察する。自分にもあまり言いたくないプライベートな出来事とはなんだろう。
 こっそり拝借した武器は返した。どうせ雑然とした陛下の私室だ。何があって、何がなくなっているか、本人でも分かるまい。昇進は断ったが、それは師団を預けるに足る者がまだ育っていないからだ。ジェイドも後進に道を譲らねばならないことぐらい理解している。やはり、ブウサギだろうか。ひょっとして、サフィールがネフリーに襲いかかったのか。あの下僕と同じ名前のブウサギめ、ただじゃすませない。いや、そう言えば、人間の方の下僕の恩赦の書類にまだ署名をしていなかった。忙しくて、書類をすみずみまで点検している時間がないのだ。それに、たった三か月程度の遅れ、ピオニーだって気にしてはいなかったはず。サフィールは有難くもマルクト帝国が金も取らずに三食および寝る場所を提供しているのだから、当然文句はないはずだ。とすると、一体なんだ。
 ピオニーとは長年の付き合いだが、案外、分からないことがあるものだな。ジェイドは考え込んでいるマルクト帝国皇帝陛下を珍獣でも見るように観察した。
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