拍手小話

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桜並木(その一)

 マルクトの春はどこもかしこも明るい。穏やかな海には柔らかな春の日差しが降り注ぎ、砕け散った鏡のように光が散乱している。グランコクマをぐるりと取り囲み水壁も永遠に続く水音を背景に、見事な虹がそこかしこに出現する。テオルの森は萌え出でる若葉の明るい緑に辛夷、木蓮、海棠、桜と次から次へと木々が花をつけ、その足元をこちらも溢れるほどの花をつけた雪柳やレンギョウ、ボケが色鮮やかに覆う。
 アニスは良く手入れされた公園の中をのんびりと歩いていた。任務中とはいえ、良い季節なのだから少しぐらい寄り道をしても構わないだろう。のんびりと客船に揺られ、活気ある波止場を潜り抜け、大勢の人でごった返す大通りの商店街を突き抜けると、そこは広くゆったりとした緑地が広がっていた。向うに見える広大な王宮と背後の雄大な瀑布の景色が、公園にその規模以上の奥行を与えている。ダアトの左右対称な門前町とは異なる緩やかな曲線の町は、アニスをほっとさせた。
 ひらりと舞う白い蝶を追いかけ、アニスは人影の少ない公園を軽くスキップしながら進む。ふわりと蝶が風にのって舞い上がると、見上げる先に長く続く桜並木が現れた。
「わぁ」
 アニスは足を止めると、ぽかんとその光景に見惚れた。見事な桜の大木が遊歩道沿いの両側にずらりと並び、淡い桃色のアーチを作っている。奥まで見通せないほど続く桜並木のトンネルは、差し込む光の筋にひらひらと花びらが舞い落ち、別世界のようにも見える。アニスは恐る恐る、足を進めた。
 一歩踏み込むと、彼女の手の上にはらりと花びらが落ちる。上を見上げれば、空も見えないほど密に咲き誇る花で覆われている。どの木も薄桃色かと思えば、一本一本の花の色が微妙に異なり、水に溶かされた絵の具のように淡い色の帯が続いている。アニスはほうと感嘆のため息をこぼし、脇にある木に寄りかかった。穏やかな春風に枝が揺らがされると、無尽蔵とも思えるほどの花びらが一斉に落ちてくる。アニスはあまりにもったいなくて、落とすまいと両手を差し伸べた。
 どれほど、その景色を堪能していただろう。人の気配に、アニスは寄りかかっていた幹から身を起こし、花のトンネルの向こうを覗った。尽きずにはらはらと落ちる花びらの幕の奥に人影が見えた。さしたる理由もなく、アニスは今まで身を預けていた木の背後に隠れた。どうせ王宮で会う予定であるから、今会う必要はない。アニスは息を潜めた。見慣れた青い制服がこの時間にこの場所にいることがそもそもおかしいのだ。仕事中毒の軍人は真昼間にこんな場所にいることを彼女に目撃されたくないだろう。しかも、女を連れているときたら。
 アニスの胸は、本人の思いに反してずきんと痛んだ。これほど素晴らしい陽気の日に、たった一人で歩くにはもったいない場所だ。しかも、グランコクマではあらゆる意味で名を馳せた男だ。たまの自由時間を楽しく過ごしても当然だ。アニスはどきどきとする胸の前で手を組んだ。大佐のお楽しみを邪魔してはいけない。それに、このアニスちゃんが一人でいるのに、あの男が二人連れなんて悔しい。からかいの種にされないように、隠れるのだ。何もやましいことがあるから隠れているわけじゃあない。もちろん、焼きもちなんて関係ない。アニスは木の幹に火照る頬を押しつけた。
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