拍手小話

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慰撫

 色とりどりの紙ふぶきが大通りに舞い上がる。ダアトの参道は立錐の余地もないほど、人で溢れ、店々に景気の良い掛け声が飛び交う。それもそのはず。長らく空席であった導師の席がついに埋まったのだ。新たな導師の誕生を祝う信者達がぞくぞくと教団本部へと駆けつけ、門前町は空前絶後の賑わいを見せている。
 マルクト帝国の使節団はローレライ教団から派遣された警備兵に守られ、混雑した道を教団本部と向う。明日の導師就任式には皇帝陛下自らが出席するため、事前の打合せと警備の確認に来ている。青い軍服の群れは周囲を警戒するオラクル騎士団共々、真っ直ぐに進んでいく。
「御覧なさい、アニスちゃん」
 父親に抱え挙げら、小さなアニスは人々の頭の向こうに軍人達が足音揃えて進む姿を見送った。
「格好いい。兵隊さんって素敵」
 無邪気にアニスは手を振った。
「そうか、そうか」
 彼女を肩車する父親も一緒になって手を振った。兵士達は周囲に目もくれず、規則正しいリズムで進んでいく。幼いアニスはその様子に目を奪われた。
「ステキ……」
 小さな手をたたく。歩いていた兵士が彼女の喜びを聞きつけたかのように振り向いた。一際背の高い兵士の目線は、人々の頭の上を通り過ぎる。くすんだ金髪が風に靡き、青い軍服を彩る。幼いながらも、アニスは調和の取れた兵士の姿に目を奪われた。鋭い目つきでさえも、その兵士の魅力をさらに増している。もちろん、幼いアニスはそんな分析が出来たわけではない。ただ、本能がその兵士を見つけさせた。
 アニスと両親はゆったりと進む信徒達の後を群集と共に移動し、教団本部前の広場までたどりついた。すでに各国の使節団は本部の中へ招き入れられるところだった。そうとは知らず、小さなアニスはさきほど見かけた兵士を随分と長い間探していた。たくさんの兵隊さんが広場に整列していたが、彼女の目を捉えた兵士の姿はどこにもなかった。もう一回だけ見たかった、と幼心にも結構落胆した。


 過去の思い出はいつだってきれいなものですよ、と背後の男がさも分かっているとばかり、アニスに語りかけてくる。
「さすが、大佐ぁ、年の功ですね。うんとたくさんの過去の思い出があれば、きっと素敵なものばかりなんでしょうね」
 うんざりしながら、アニスは答えた。ザレッホ火山のあの出来事があってから、仲間達は皆、腫れ物に触るようにアニスを扱った。有難くもあり、迷惑でもある仲間の態度に、アニスは極力普段と変わらない姿で節してきた。そうしなければならないと自分で決めたからだ。たまに胸の内がつぶれるほど苦しくなるときは、こっそり一人で外に抜け出した。
 フェレス島を経過し、アリエッタとの戦いが終わり、一行はバチカルで休息している。噂ではレプリカ達に何か異変があるらしい。釈然としない元導師守護役同士の戦いは、アニスの勝利だった。だが、彼女も周囲の仲間も手放しで喜べるものではなかった。ふらりとファブレ公爵邸から離れたアニスは、バチカルの港に一人佇んでいた。ほんの一年前に、彼女の主と共に訪れたとき、光に溢れたバチカルは目にも眩かった。今、キムラスカ王国が誇る都のいながら、アニスの胸は全く躍り上がらない。世界が崩落したせいではない。彼女が変わってしまったのだ。
 荒れた波に浮かぶ水鳥を数えていたら、大佐にいきなり背後を取られた。この人だけは、全く以前と変わらず、彼女に接していた。大佐らしい態度ではあったが、どこかで突き放されている事実に落胆していた。だが、いざ、大佐から妙に優しく声を掛けられると、アニスの心はぎゅっと音を立てて、凝縮した。大佐にだけは、触れてほしくないと思った。
 だから、アニスは思い切りうさんくさそうな表情で、大佐に振り向いた。もちろん、男は冷たいというには無機質な表情を浮かべているはずだった。だが、彼女が見たものは、この男が浮かべるには最も似つかわしくない表情、つまり、郷愁の入り混じった穏やかな笑みだった。
 この男に過去の思い出が美しいなんてことがあるのだろうか。ひょっとして、こんな男でも、あんなことしでかしていても、恩師の思い出はそれは天上の楽園に天使が佇む按配なのだろうか。それとも、ディストをぎったぎたに苛め抜いた経験は、地獄を支配する冥府の王になった気分なのだろうか。あるいは、幼い皇帝陛下が雪降りしきるなか、妹の耳に愛を囁く姿は極彩色の水彩画を観賞しているようなのだろうか。すぐに色褪せると確信していたに違いないけど。
 さすがのアニスもそうは尋ねられなかったので、黙り込んだ。この人がそもそも感傷に浸ることが、自然の摂理に合わない気がする。だが、目の前の男は沈黙を守るアニスの態度をすっかり勘違いしたらしい。男にしては出来うる限りの優しさを込めた眼差しは、却って心の底を見透かされているようで逆効果だとアニスは思ったが、とにもかくにも、赤い瞳の照準はアニスに合わされた。
「過去は思い出すだけならきれいです。しかし、変えることは出来ない。私達に出来るのは、この時間を進むだけです。あなたなら、失った過去を忘れることなく、先へと歩けるはずです。今は辛いかもしれませんが、あなたは若い」
 ひょっとして、私を慰めているつもりなの。アニスは驚きのあまり、ぼかんと口を開けたまま、男を見上げた。眼鏡の奥で、紅玉が煌いた。
「きれいだからと言って、振り返ってばかりでは時間の無駄ですよ」
 そこで、男はアニスの態度に気づき、ごほんと咳払いをした。
「アニース、私の顔に何かついていますか。人が真剣に話をしているときに、呆けた顔をしないでください」
 急にアニスの脳裏に幼い頃の記憶が蘇った。
 過去の思い出の中で、きれいな兵士がいた。本当にこの男だったのか、他の人だったのか、それは分からない。でも、過去の思い出は美しいけれど、それだけだ。だって、その人が、とてつもなく嫌味で、厳しい軍人だって分からなかった。しかも、こんなに賢くて、そのくせ、どこか常識から逸脱している。どこをどう切り取っても、普通の人間ではないのに、こんな詰まらない小娘を真面目に心配している。
 急におかしくなって、けらけらとアニスは笑い始めた。
 大佐の言うとおりだ。過去は過去。あのとき、もう一度会いたいと思ったけれど、それだけ。万が一にも幼いアニスが実物と会うことがあったら、この男の内面など全く分からず、外見と裏腹の言動に、あっさり、人間不信になっただろう。今は違う。外見と言動からは伺いしれな人間の複雑さに驚かされても、この人を信じられる。そして、なんと、この人は私を心配し、私もこの人について考えている。
「人の話を真面目に聞きなさい」
 師団長らしい叱責が飛び、アニスはその姿に笑いをどうにか堪えた。彼女を慰めようとするには、全くお門違いの態度と言えるだろう。大佐らしくて、どこかずれている。くすくす笑いがまたアニスの唇から漏れた。これ以上叱責しても無駄だと分かったのだろう。大佐が呆れたように眼鏡を直した。
「これだけ笑えるのなら、もう大丈夫ですね。ほら、意味もなく笑うのもいい加減にしてくださいよ」
 笑いすぎて涙を零しながら、アニスはうんうんと頷いた。
 過去に戻りたいと思うときもある。主を取り戻せるならと何度も考えたのも本当だ。だけど、戻れない。この人の言うとおり。大佐に言われたら、なぜだか、先に歩けそうな気がしている。
 青い軍服から目にも鮮やかな白いハンカチがアニスの前に黙って差し出された。
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