拍手小話

PREV | NEXT | INDEX

淡雪 

 ちらほらと小雪が舞い、夕闇にちらつく街灯の周囲を覆う。青白い雪の結晶が、淡い橙色に照らされ、心持ち暖かく瞬く。人通りの絶えたケテルブルクの小道は雪で埋め尽くされ、街灯の根本に小さな吹き溜まりが出来ていた。人っ子一人いない公園の東屋のベンチにアニスは座っていた。放心した彼女にも、風に漂う雪が降りかかり、巻き髪にも、長い睫にも、薄っぺらの外套にも雪の結晶が散りばめられた。
 白い手袋の上にも雪が乗る。小さな結晶は一気に下がった外気温のおかげで、手袋の上でも美しい六角形を保っている。凛とした形をほれぼれと眺め、やがてアニスはその手を握り締めた。ゆっくりと広げた手の平の上には、もう小さな結晶はなかった。抗えない力の中で溶け、その形を留められなかった。身動きもせず、溶けた水滴をアニスは見つめた。


 ダアトの同僚の間でその話が持ち上がるのは恒例だ。手作りがいいのか、市販品にするのか、何をつけるのか、何時渡すのか、何を言うのか、そして、最も重要なこと、誰に渡すのか。その話は一ヶ月も前から、延々と繰り返されきた。一端決められたはずの予定はすぐに余計な友人の助言で変更される。誰かが力強く宣言する横で、誰かが項垂れている。あるいは、こっそりとお店に出かけては、ばったりと同僚に出くわし、冷やかされる。
 そんな仲間達の姿をアニスは横から傍観していた。いや、傍観するつもりだった。何せ、一ガルドだって惜しいアニスに、こんな無駄な投資はありえない。
「玉の輿に乗るつもりだったら、最低限の投資は必要じゃないの」
 アニスの態度に同僚達が冷やかしたが、彼女は首を横に振った。
「何言ってるのよ。玉の輿の対象は、いろんな人からうんと貰うわけ。だから、当日に一山まとめて片付けちゃうようなところに送っても意味ないでしょ」
「なるほどねぇ。でも、アニス、現実を見たほうがいいんじゃない」
 感心したように返事をした同僚達は、その後、からかうようにアニスに忠告した。そうかもね、とアニスは生返事をした。


 自分では、すっかり騒動の外にいるつもりだった。ところが、バチカルから戻ってきたティアの一言がアニスをこの手作り騒ぎにへと叩き込んだ。
「アニス、お久しぶり。元気にしているの」
 お気に入りのケーキ屋に立ち寄ると、いかにも場違いなティアが立っていた。
「私は元気一杯だよ。それで、ティア、いつの間にバチカルから戻ってきたの。今日はおいしいケーキでも買う気。なんなら、アニスちゃんのお薦めを教えてあげるけど」
 アニスの言葉にティアは素直に喜んだ。
「ケーキはいいの。私もアニスと一緒の用件よ。ルークがね、バチカルでもバレンタイン・デーがあるって言うの。それでね、ナタリアが自分で作るって譲らないのですって。アッシュとルークとナタリアで食事会をするから、私にも是非出席してほしいって言うのよ。これって、私の手作りを期待しているっていうことよね」
 恥ずかしそうに目を伏せながら話すティアに、それって、単に強力な回復要員が必要ってことじゃないの、と咄嗟に口から出かけたが、アニスはどうにか押さえた。その間もすっかり頬を染めたティアがアニスの手を握って頼む。
「アニス、お願いよ。あなたが作るときに、私にも作り方を教えてくれないかしら。もちろん、アニスの分の材料費は私が負担するわ」
「へっ」
 猛烈な勢いで握った手に力が籠められ、アニスは断りを言う機会を失った。
「ルークが言ってたけど、ジェイドも楽しみにしているらしいわよ。何でも、夜に約束しているんですって。それを聞いて、俄然、アッシュが張り切っちゃってね。そのくせ、ルークまで誘うのですもの。ナタリアには悪いけれど、ルークには……私から上げたいの。本当にお願い。私を助けて」
 ケテルブルクでバレンタイン・デーに会う約束はしていた。その日は、カジノが財布の紐の緩んだ男達を当てにして、それなりの出物があるらしい。そう聞き込んだ大佐がアニスをカジノへ誘ってきた。アニスも二つ返事で了承した。互いに、あのカジノには何かと興味が尽きない。二人の利害関係は一致して、乗り込むことになっていた。
 楽しみって、カジノで大儲けのことじゃなかったんだ。ティアの言葉にアニスは我知らず頬が火照った。大佐が彼女のチョコレートを楽しみにしていたんだ。急に胸がきゅんと絞られ、どくりと自分の心臓が跳ね上がった。
「しょうがないなぁ。それでは、このアニスちゃんがティアに指南いたしましょう。まずは材料選びからだよ」
 自分の反応をごまかすように、アニスは店の品を調べ始めた。


 とっぷりと日が暮れた。アニスはのろのろと立ち上がると、カジノとは正反対の港の方向へと歩き出した。ちょうど、港からこの日最後のダアト行きの定期船が出るはずだ。乗り遅れないようにしよう。
 昼間の光景がアニスの頭の中で何度も繰り返される。
 早目にケテルブルク港に着いたアニスは、暖を取るために港正面の伝統ある酒場へと飛び込んだ。いつにもまして賑やかな酒場は人でごった返している。空いた席を見つけようと、店をぐるりと見渡したアニスは、二階席に見覚えある軍服を捉えた。人待ち顔で大佐が座り、グラスを傾けている。アニスは喜び勇んで二階席を駆け寄ろうとした。だが、階段に足をかける前に、大佐に近寄る女性の姿が目に入った。かわいらしいメイドさんだった。
 素早くアニスは奥の一階席にと座った。ほんの数分もすると、件の女性が大佐と腕を組んで、一階に下りてきた。そのまま、ぺこぺこと頭を下げる店主に挨拶をし、二人は外へと姿を消した。アニスは手にした小さな袋をくしゃりと握り締めた。
 小一時間ほど酒場で座っていたアニスは、気を取り直し、ケテルブルクへと向った。約束の時間は夕刻だ。それまで、ホテルで優雅にお茶をするつもりだったのに、盛り上がっていたアニスの気分は、一気にケテルブルクの気温よりも下がった。小雪がちらつく街中はほとんど人は歩いていない。結局、小さな公園に入り込み、一人でぐずぐずと過ごしていた。
 大佐は大人だし、昼間は何も約束をしていなかった。だから、アニスが気にしてはならない。それなのに、こんなに気持ちが沈むなんて、馬鹿みたい。自分に言い聞かせたが、結局、ますます惨めになるだけだった。
 

 下を俯いて歩いていたアニスは突然、がっしりと抱きとめられた。
「アニス、こんな所にいたのですか。カジノが開く前に準備があるというのに……」
 目の前に、同じだけ雪まみれになった大佐が立っていた。
「ほぇ……」
「さっきの定期船で着くと思って、港で待っていたというのに、どこにいたんですか。この寒さにさすがの私も堪えます」
 有無を言わさず、アニスの手を繋いだ大佐が歩き始めた。
「あなたも随分と冷えているようですね。大丈夫ですか。まあ、カジノが開くまではまだ時間がありますから、間に合うでしょう」
 大股に歩く大佐の歩調に合わせるため、アニスはほとんど小走りになった。
「大佐、何を急いでいるの。どうしたっていうの」
「ああ、アニス。こんなに楽しみに準備していたのに、肝心のあたなが見つからないから、本当に心配してましたよ。今までの準備が全部ぱあになったらどうするんですか」
 アニスの反応などお構いなく、大佐はカジノの入り口を通り過ぎ、その先にある店へと入った。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
 メイドの姿をした店員達が一斉に声を合わせて挨拶した。
「お待たせしました。私の連れがようやく来ました」
 朗らかに大佐が告げる先に、見覚えのある女性が立っていた。
「まあ、かわいらしいお嬢さんですこと。ええ、さきほどのオーダーですべて揃えておきました。さあ、どうぞ、こちらにいらしてください。ジェイド大佐も殿方の衣装室で着替えてきてくださいませ」
 え、なに、と尋ねるアニスはそのまま、衣装室へと連れ込まれた。
「ジェイド大佐、アニスさんの準備が出来ました」
 高い声と一緒に、アニスは衣装室から勢い良く突き出された。
「大佐のご指示どおりに準備いたしました。大層、お似合いですわ」
 小悪魔の衣装を身にまとったアニスに、店中の店員がきゃー、かわいいと嬌声をあげた。
「私、こ、こんな格好頼んでいないから……。折角のカジノに……」
 そこで、アニスも文句を言うのを忘れた。彼女の前に、中世風な長いマントを羽織った大佐が優雅に立っていたからだ。
「お二人とも、すごくお似合いですわ。並んで歩かれれば、今夜のベストカップル賞、間違いありません。どうぞ、お楽しみになって下さいね」
 とんでもない褒め言葉に、アニスはぱあっと頬を染めた。
「アニス、お似合いですよ。これほどとは思っていませんでした」
 なぜか、そちらも半ば上気した表情の大佐がアニスを穴が開くほど見つめる。
「さあ、さあ、お二人とも優勝をお祈りしてますわ。いってらっしゃいませ、ご主人様」
 意気揚々とアニスの腕を取る大佐と何がなんだか分からないアニスは、馬鹿丁寧な店員達に見送られて店を出た。


「で、大佐ぁ、もう、着替えたいんだけどぉ」
 ベストカップル賞十万ガルドと副賞のスパ十日間無料ご招待券を握り締めて、アニスが叫んだ。
「なんで……。すごくお似合いですよ。皆、あなたを見ていくじゃないですか。もう少し見せびらかしてやりましょう」
 ホテルのラウンジのバーカウンターに陣取った大佐は動く気配を見せない。皆が注目しているのは、どう考えても、中世騎士物語から飛び出したような大佐の姿の気がする。アニスはノンアルコールのカクテルを啜りながら、隣の男をじろじろと観察した。
「アニース、ひょっとして私も見直しましたか。いやぁ、あなたは正真正銘、カジノの参加者の中で一番でした。私もこの数週間、考え抜いてきましたが、これほど似合う衣装は他に一つぐらいしか思いつきませんでした」
 カジノが主催したバレンタイン・デー特設コスプレ大会で、まさかのベストカップル賞を手にした。大佐がコスプレ大会に興味があったとは知らなかった。この衣装もお腹はスースーするし、スカートは短すぎるし、どうかと思うところもあるが、終わりよければ、すべてよしだ。アニスはすっかり機嫌を直している。ちょっと趣味に走った衣装だったけど、他に何を考えていたのか、後々の参考に聞いておこう。
「で、大佐、もう一つの衣装ってどんななの」
 無邪気に尋ねるアニスにジェイドも至極真面目に答えた。
「ネコニンの着ぐるみをあなたに合わせてアレンジしたものです。しかし、アニスに似合いすぎて、他の男にちょっかい出される可能性が高いですからね、デザインまではしたのですが、断腸の思いで諦めました」
 あまりの内容にアニスが唖然としている間もジェイドがにこにこと解説を続ける。
「で、私のデザインでは、ポイントは手とお腹周りです。やはり、子猫の愛らしさを強調しなくてはなりませんからね。肉球の柔らかさと、子猫とアニス特有のかわいらしさを強調できるように、着ぐるみの素材は……」
 大佐の説明はアニスの渾身の蹴りに遮られた。
「ゲホッ……、アニス、私の説明で興奮しましたか。やはり、ネコニンの方が良かったでしょうか」
「馬鹿……、大佐の変態……、私、もう帰る」
 いきなり立ち上がるアニスに、大佐が慌てておいかける。
「アニース、折角のバレンタイン・デーで、カジノで大儲けさせてあげたのに、チョコレートを頂いておりません。私はそれは楽しみにしていたのに、どうしたのですか」
 必死の男の声がますますアニスの怒りを煽り立てる。のしのしとラウンジから出ようとするアニスを大佐が引きとめようと後から追いかける。ざわざわと周囲が騒ぎ出し、アニスは一層いたたまれない気持ちになった。見事に騎士になり切った中年男がヘソ出しの小悪魔に泣きついているなんて、それだけで見ものだろう。
 夕刻の苦い思いはあの雪の欠片のようにアニスの中で完全に消え去り、怒りのあまり、アニスは手作りチョコの袋を再び握りつぶした。
PREV | NEXT | INDEX
 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送