拍手小話

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夜間行動

 小さい手がこっそり伸ばされ、大きな手の指先をかすめると、さっと引っ込められた。風が大きな木々の間を吹き抜け、さわさわと葉を揺らした。その動きに、地面の上に落ちる月影もゆらりと動き、足元をいっそ覚束ないものにした。
 ぱたぱたと脇をついてくる足音が彼にしか気付けない程度に地面を引きずる音がいりまじった。ジェイドは半歩下がって彼を追いかける少女が疲れていると気づいた。偵察に一緒に連れてくるのではなかった。昨晩からの長い移動で疲れているだろうに、少女は文句を言うこともなく、彼の指示に従い、夕食前に野営地の安全を確認するためについてきた。
 彼の歩みに遅れそうになると無意識に手を伸ばすのだろう。少女の小さな靴音が不規則になったとたん、再び小さな手先が彼の指を掠めた。
 今度はジェイドも機会をのがさなった。ぐいと自分の手を握られ、アニスは慌てふためいた。
「あ、あの、大佐、なんですか」
 いつもの媚びたような声音ではなく、驚愕に彩られた声にジェイドはくすりと忍び笑いを漏らした。彼の手の中にすっぽりと収まった小さな手がぴくりと動いた。
「アニス、今、ころびそうになったでしょう。少し地面がでこぼこしていますし、この暗闇です。うかつに怪我をされては、これからの移動に響きますから、しばらく私につかまっていなさい」
「ええ、いいですよ。アニスちゃん、大丈夫でーす」
「静かに。どこに敵がいるかわかりません」
 アニスは口では強がりを言ったが、小さな手は抵抗を見せず、大人しく彼の手の中に置かれたままだった。まるで、親を頼りにする子供のように、アニスは彼の引くままに付いてくる。足元の悪い場所で彼が手に力を込めると、アニスは分かったと言うかのように、その手を握り返してきた。
 頼りない小さな手の感触に胸がざわめく。わが子を守る親の気持ちとはこんなものなのかもしれない。ジェイドは必死の面持ちで彼の脇を歩く少女の代わりに、グランコクマでよく見かける幼子を思い浮かべようとした。だが、暗闇の中、互いの息使いもはっきりと分かる近さでアニスが横を歩いている今、それ以外の者を思い浮かべることができなかった。
 二人は暗い夜道を何も語らず急いだ。行きしなと違い、復路はさほど時間もかからず、抜けることができた。
 やがて、兵士や村人が野営している丘と思しき場所にたどりついた。さきほどまで二人を覆っていた木々の影は薄くなり、なだらかな草地が目の前に広がっている。天頂に月がかかり、道ははっきりとたどれるようになった。
「あ、ガイが立っている。大佐、どうもありがとう」
 アニスが小声で囁くと、ぱっと彼の手から離れ、先へと小走りに進んだ。アニスの手が抜け出しとたん、手の中が寂しくなった。ジェイドは今まで知らなかった感触に、月明かりの元、自分の手を眺めた。何の変りもない軍務用の手袋は月の光に黒く見えるだけだった。少女の手はまるで磁石のように彼の手の中に吸いついた。急かして歩かせたせいなのだろうか、彼の体温よりわずかに少女の手は熱かった。
 初夏の風が暗がりの藪に咲くジャスミンの花の香を運んできた。甘い香と少女の甘い体臭が入り混じり、彼の周りを押し包む。オラクル騎士団を避け、民間人を連れて移動する現在の状況からはあまりかけ離れた平穏があたりを支配した。
 ジェイドはこのままもう少し歩き続けられれば良かったですね、と先を行く小さな背中につぶやいた。もちろん、アニスには聞こえず、二つのお下げが揺れる影は丘陵の上へとどんどんと離れていった。
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