拍手小話

PREV | NEXT | INDEX

想い:仮面舞踏会

 グランコクマの王宮は相も変わらず美しい水壁に守られ、春の夕日に白い大理石と青い水の色が一層映えている。王宮で開かれた豪奢な宴会は多くの人が入り乱れ、さしもの謁見室とその広間もごった返していた。アニスは連れと一緒に込み合うフロアを奥の目立たない場所へと歩を進めた。各国の要人とその随行員、教団のお偉いさんから知合いがそこかしこで話している。知合いに軽く会釈をしながら、二人は落ち着ける場所を求めて人混みを掻い潜る。
 シャンパン、カクテル、ワインと盆に乗せて、召使達が器用に話し込む人の群の間を行き交う。慣れた様子で足早に前を通り過ぎる召使を避けたアニスは新しいサンダルのヒールが毛足の長い絨毯に引っかかった。思わず前につんのめったアニスは、グラスが落ちる音を予期して目を瞑った。しかし、予想に反し、アニスの腰が力強く引っ張られ、体勢を崩したはずのアニスは軽々と引き上げられた。
「あ、ありがとう、エリオン」
 思いのほか役立つ連れに礼を言おうとアニスは横を向いた。彼女の目の前にマルクト帝国軍の青い軍服が立っていた。
「どういたしまして。私はエリオンではありませんが」
 懐かしい低く柔らかな声に、アニスは慌てて一歩下がった。とたんに、背後に突っ立っていた連れにぶつかり、彼女は再度よろけた。脇に立っている男は慌てず騒がず、アニスをもう一度支え、以前と変わらぬ涼しい笑顔を浮かべた。
「アニス、あなたには、まだ大人のヒールは無理なようですね」
 笑いを含んだ声がアニスの頭上に掛けられた。むっとしたアニスは、彼女の腕を掴んだままの腕をぐっと持ち上げ突き放すと、自分で真っ直ぐに立った。
「ジェイド・カーティス将軍、助けていただいて深く感謝しております。そして、ご丁寧な忠告、ありがとうございます」
 馬鹿丁寧な礼を伝えながら、アニスはさりげなくドレスを腰のあたりでひっぱり、皺を整えた。この人と会うことは予想できたのだから、もう少し大人の雰囲気が出そうなドレスにすれば良かった。淡いパールピンクのシフォンのイブニングドレスは腰からふわりと広がり、よく似合っていると昨晩同僚たちからも褒められた。だが、どうしたって周囲のマルクトやキムラスカの貴族達のようにはいかない。
「足首は大丈夫ですか」
 男の気づかいに、アニスはにっこりとほほ笑んだ。せめて、余裕の笑顔ぐらい見せてやろう。
「おかげ様で大丈夫です」
 膝をかがめ、アニスは上位の貴族に対するように馬鹿丁寧に礼をした。もちろん、対する男もずらりと勲章をぶら下げた胸に手をあて、絵に描いたような優雅な返礼をみせた。
「美しいご婦人の手助けをさせていただき、こちらこそ光栄です」
 さらりと滑り落ちる長い金髪の男の背後に、背の高い金髪の女性が現れた。体にぴたりと張り付いたオフホワイトのドレスは見事な肢体を強調し、きっちりと結いあげられた金髪は一筋も乱れがなく、豊かな胸の上にはシャンデリアの下で立派な宝石が煌めく。女のアニスでさせ惚れぼれとする青い目とそれに合わせたサファイアのイアリングが印象的だった。
「ジェイド、探したわよ。あら、どちらの方なの」
 その女性はアニスとその連れに艶やかに笑みを振りまき、さりげなく著名な軍人の腕をとった。あまりに自然な動作だったので、却ってアニスの目にその仕草は焼きついた。
「ごきげんよう、皆さん。ジェイド、紹介してくださらないの」
 悪気のないアルトの声に促され、軍人はぎこちなく紹介を始めた。
「こちらはダアトのアニス・タトリン。先の大地降下異変で一緒に行動した人だ」
 アニスは出来うる限りもっともにこやかに頭を下げた。
「初めまして。アニス・タトリン詠師付です。そして、こちらがエリオン・ライナー律師です」
「こちらの女性は」
 いかにもしぶしぶという雰囲気でジェイドが紹介しようとしたとき、背後からジェイド、マリアンとピオニー9世皇帝陛下の呼ぶ声が響いた。
「あら、大変。陛下がお呼びだわ、ジェイド。私、マリアン・フリングスですわ。後でゆっくりお話させてくださいな。今はこれで失礼しますわ」
「それでは後ほど」
 アニスに軽く会釈をすると、二人は腕を組んだまま、彼らの主であるピオニー皇帝陛下の元へ歩き出した。



 アニスは周囲の人と共に目立つ二人を見送った。彼女の連れが偶然出会った著名な軍人とその美しい同伴者へ興奮気味に賛辞を送る。アニスは適当に相槌を打ちながら、皇帝陛下の脇に近づく二人の姿を後にその場を離れた。振りかえり、振りかえり歩く連れの男の手を引き、なるべくその場から遠ざかろうと急いだ。後ほど、の挨拶は儀礼以外のなにものでもなかった。一緒に戦い、一緒に旅をした時間は互いの思い出の中にしか残っていない。二人の道が重なることはもうない。吹き抜ける胸内の風を押しやり、アニスはにこりと隣を歩く男に笑いかけた。
 幼馴染みの皇帝と無理矢理エスコートをせがまれた女性が陽気に笑っている。その横でジェイドは成長した少女の背中を追った。いや、もう立派な一人前の女性だ。相手の男はいかにも人が良さそうな、そう、彼女の父親と似た雰囲気があった。広間の端までたどり着いたアニスの手の甲に軽く口づけを送る男は、彼とは全くの別人種だ。アニスから目を逸らしたジェイドは、ピオニーの馬鹿話に気のない返事をし、詰らない女の話にそれ相応の笑みを浮かべた。
 舞曲が奏でられる。相手に急かされ、ジェイドは大人しく美しく手入れされた働くことを知らない手をとる。優雅に踊り出す二人の向こうにグランコクマの王宮御自慢の飾り窓が広がる。濃い夕闇に水壁が煌めく真珠のように飛沫を散らし、深い狭間へと飲みこまれる。それは、彼の胸の中に、冷たく滴る水滴と同じく、尽きることはなかった。
PREV | NEXT | INDEX
 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送