拍手小話

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ラブ・コール

 第三師団はマルクト帝国が誇る最新鋭の装備を持つ最強の軍団である。当然、その師団を統べるジェイド・カーティス大佐はマルクト帝国の軍人はもとより、政府の主だった者達からも一目置かれている。切れ者にして、容赦のない舌鋒を持つこの男を恐れない者はほとんどいない。
 そして、第三師団師団長の執務室に、師団長を恐れない例外ともいうべき人物が一人居座っている。師団長のけんもほろろな態度を意に介さないのは、世界広しと言えども、マルクト帝国皇帝陛下以外には存在しない。何せ、もう一人いる例外中の例外の人物には、師団長はいたって甘いのである。
 ジェイド・カーティス大佐は、今日も今日とて、積み重ねられた書類にペンを走らせ、その前でうろうろと彼の気を引こうとする、一応は彼の主である男を敢然と無視している。
「なあ、ジェイド」
「……」
 当然、ジェイドからの返事はなかった。皇帝はなおもしつこく声をかけた。
「俺、すごーく聞きたいことがあるんだが、聞いてもいいか」
「仕事中です。しかもあなたはおよびじゃありません」
「お前さ、お前の寝台の上で人妻二人と鉢合わせしたっていう噂、本当か」
「馬鹿らしい。誰がそんな話を言っているのです」
 鼻先で笑うと、ジェイドは冷たい声で答えた。
「すごい修羅場だったって聞いたけどさ……」
「戯言も休み休み言ってください。聞くだけで疲れます」
「で、本当のところ、どうだったわけ」
「どんな結末が噂になっているのですか」
「俺が聞いたのは、女同士が取っ組み合いをしたとか、裸のまま片方の女が逃げ出したとか、お前が両方の女に殴られたとか」
「ふぅ……」
「で、実際はどうだったんだ。殴られちゃいないな。顔、腫れていないもんな」
「どうもこうも、そんな事実はありません」
 ジェイドがきっぱりと否定する声が途切れると、部屋の外を何者かがものすごい勢いで走っている音がした。皇帝が首をかしげている間にもばたんと大きな音がして、アニスが執務室へと飛び込んできた。
「大佐ぁぁーー」
「アニス、お久しぶりです」
 ジェイドが持っていたペンを放り出すと、うれしそうに立ち上がった。
「おい、俺のときは立ち上がりもしなきゃ、挨拶も寄越さないのに、アニスにはそれかよ」
 もごもごとジェイドの胸の中で何かを叫んでいるアニスをぐっと抱きしめながら、ジェイドが鼻先で笑った。
「ピオニー陛下、男の嫉妬は見苦しいですよ」
「お前たちに俺が嫉妬なんかするわけないだろう。ただ、皇帝に対する態度がなってないって言ってんだ。アニスちゃん、お久しぶり」
 ジェイドの腕の中から逃げ出したアニスが大きな息をつき、皇帝陛下に向って、片手をあげて挨拶をした。
「……、陛下、お久しぶり。もう、大佐、いきなり何するのよ。私は聞きたいことがあるだけ。会いたくて来たわけじゃないんだから」
 アニスが小脇に両手をついて、ぷくっと頬をふくらました。
「久しぶりでしたので、つい」
「久しぶりって、先週も会ったでしょ」
「一週間も会えなかったんですよ」
「そんなことはどうでも良くって。アニスちゃん、お尋ねしたいことがあるんですけど。大佐、人妻と悶着があったって、どういうことよ」
「おやぁ、早いですね」
 死霊使い(ネクロマンサー)などと呼ばれていれば、二周りも年の違う恋人が真赤になって怒っても、顔色も変えない。さすがだ、と観察をしていたピオニーは、ようやく事実を悟った。この確信犯的笑顔は自分で噂を振りまいていたに違いない。どうりで、噂の結末が適当だったわけだ。そもそも、この男がそんな修羅場になるわけがない。
 だが、なんて屈折しているんだ。恋人を呼び出すのなら、もっとまっすぐにお食事とか、お買い物とかあるだろうに。唇を尖らして文句を言う少女を満面の笑顔で眺めている中年男の心情は、さすがに長年親友をしていてもさっぱりわからなかった。
「早いですね、じゃないでしょ。人妻がジェイドを取り合ったて聞いたけど、どういうこと。釈明をききましょうか」
「何人の人妻と言われましたか」
「は……」
「アニスちゃんはどこって聞いたんだ。俺はジェイドの寝台の上だったけど」
「大佐の執務室……に、三人の人妻が入るわけないよね」
 アニスはぐるりと部屋の中を見渡した。
「どうみても、いるのは陛下だけだし」
「いやいや、俺も人妻みたいなもんだぞ。俺とおまえなら後腐れないお付き合いができるぞ、な、ジェイド」
「ひぃぃぃ、大佐って、そういう趣味だったの」
「アニス、つっこむところが違いますよ。それで、陛下、お付き合いはきっぱり、お断りします」
「はぁぁ、現場を押さえようと思ったら、無駄足だったのか」
 アニスが脱力する横で、ジェイドが机の上の資料をぱたぱたと片付けている。俺がいるときには、絶対にペンを手から離さないくせにと、ピオニー陛下は親友の行動を観察した。
「アニス、せっかく私に会いに来てくださったのですから、何かごちそうしましょう」
「ええ、いいの」
「久し振りですからねぇ。あ、陛下、あなたに邪魔された書類はこちらにまとめて置きましたので、後はよろしくお願いいたします」
「おい、ジェイド、待てよ」
 皇帝の制止などどこ吹く風で、二人はさっと扉の向こうへと消えていった。
「アニース、私のことを信じてくださらなかったのですね。せっかく会いに来てくれたのだから我慢しますが、少し悲しいですよ」
「大佐、ごめん。だって、……」
「では私のことをジェイドと呼んでください」
「そんな……恥ずかしいよぉ」
「じゃあ、食事の後はお仕置きですからね」
「はうぁ……、ジェ、ジェイド……」
「もう一回、お願いします」
 聞くのも馬鹿らしい二人の会話が耳に入り、マルクト帝国皇帝は自分の部下の机に突っ伏した。
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