拍手小話

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夏:金魚すくい

 色取り取りの金魚が広く浅い桶の中をすいすいと行き交っている。たまに水面で口をぱくぱくさせる姿も、ついと水底に沈んでいく様子も、小さな掬い網に追われて必死で尾を振るのも面白い。
 アニスはしゃがんで観察している。とても小さなあの金魚はどの子供に良いターゲットだと思われるのか、すぐに追いかけられている。ところがどっこい、とても小さい上に素早い金魚はささっと大きな魚の下に潜り込む。そうすれば、興奮した子供達はずっと追いかけていれば疲れることなど忘れて、より大きなターゲットへと照準を変える。大きな魚は小さくてもろい掬い網をあっという間に壊しています。そうして、最後にはこの露天商が一番儲けるというわけだ。
「アニース」
 どこかで彼女の名前を男が呼んでいる。もちろん、無視して答えない。何といったって、「パパ、お小遣い」と言ったら、間髪要れずに「お断りします」と返すようなケチな大人を相手にする必要はない。アニスは子供達の間に挟まったまま、目の前のゲームの成り行きを楽しんでいる。
「アニス、ようやく見つけました。何、隠れん坊しているのですか」
 さすがにこの金魚掬いも見飽きたと思った頃、ようやく背後から大佐の声がした。
「だって、これ、見ているの面白いんだもの」
 アニスは振り向かずに答えた。
「では、あなたも一度くらい挑戦してみますか」
 彼女の横に大佐が一緒になってしゃがんだ。
「いいよ。金魚は連れて帰りたいけど、今の状況じゃあね」
 アニスは横で首を振った。彼女だって、こんな露店が並ぶごみごみした通りで遊んでいる場合ではないことは百も承知だった。でも、子供達の歓声を聞いたら、どうしても寄りたくなってしまった。世界がどうとか、そんなことは何も気にしないで、思い切り今ある時間を楽しんでみたいと、何故かそう思ったのだ。
「大丈夫ですよ。アニスなら、金魚が掴まりませんから、そんな余計な心配は無用ですよ」
 お小遣いの提供を拒否したはずの男は白い掬い網を彼女の前に差し出した。小さなボールに水がはられ、ゆらりと彼女の前に浮かんでいる。
「大佐、ちょっと、聞き捨てならないこといいますね。このアニスちゃんがどれだけの腕か見せてあげましょう」
 アニスはじっと水面を観察した。息を吸いに上がってきた小さな金魚を掬えば、それでいいはずだ。だが、予想外に相手は手ごわかった。
「むむむ……。なんだか、大佐みたい。へろへろと見せかけて、案外逃げ足速いですね。金魚のくせに生意気」
「アニース、私のこと、何だと思っているのですか」
 三枚目の網がやぶれたところで、大佐が何を思ったのか、私にやらせなさいと手を出してきた。
「大佐、私に捕まえられないものが出来るわけないよ」
「十分、観察しました。見てて御覧なさい」
 結局、男も二枚目の網が敗れたところで、降参とばかりに両手を挙げた。
「アニス、私達はどうやら生け捕りするのには向いていないようですね。どうです。ここでサンダーブレードを落とせば、一網打尽ですよ」
「大佐、大人げないよ」
 二人は顔を見合わせて、大笑いした。
「さて、そろそろ宿に戻りますか」
 まだ笑いの発作から立ち直っていないアニスへ大佐が声をかけた。
「うん、付き合ってくれてありがとう。すっきりしたよ」
 二人が立ち上がると後ろから露天商が声をかけてきた。
「そこのお二人さん、残念賞の金魚だよ。もっていきなよ」
 小さな赤い金魚が一尾透明な入れ物の中を泳いでいる。アニスは欲しそうに手を途中まで出しかけ、今の状況を思い出して首を振った。
「あの、ありがとう。でも、今は育てられないから」
 彼女が言いかけている途中に、大佐が手を伸ばしてそれを受け取った。
「ありがとうございます。今日の記念にいただいていきます」
「ああ、仲良く二人で育ててくれよな」
「ええ、二人で大切に育てます」
 最後の言葉に当たり前のように大佐は頷くと、透明な容器をぽんとアニスの手の上にのせた。
 アニスはゆらゆらと水の揺れる容器を抱えて歩き出した。
「大佐、どうするの。放り出せないよ」
「もちろん、放り出しはしませんよ。さしあたって、宿の親父さんに預かってもらいましょう。後で取りにくればいいだけでしょう」
「え……」
「あなたが気分転換できて良かったです」
 アニスははっと大佐の顔を見上げた。
「もう、今日も終わりです。明日はあなたも私達と一緒にあの出来の悪い複製の町に行かねばなりません。本来、あなたはまだ守られる立場なのに、ここまでずっと私達と同じだけ活躍してくれましたから、たまには、休息も必要です」
「それにしては、大佐、お小遣いくれなかったね」
「だって、アニス。私だって『パパ』なんてあなたから呼ばれたら、それはショックですよ」
「え、大佐、そんなこと気にしていたの」
「もっと別の呼び方があるでしょうに。気づいてもらえなくて残念です。さあ、宿に金魚を預けてきましょう。その後で冷たい飲み物でも酒場で奢ってあげますよ」
「え、大佐。ちょっと、待ってよぅ」
 大佐はすたすたと先を歩き始めた。ケセドニアの埃舞い上がる道を大佐の背中を見ながら、アニスは一所懸命追いかけた。手の中の容器がちゃぷちゃぷと音を立て、小さな金魚がふりふりと尾を振っている。そういえば、大佐は二人で育てると答えたけど、どういうつもりなのだろう。アニスの脳裏にちらと小さな疑問が浮かんだ。
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