拍手小話

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お花見;午睡

 王宮への近道ではあったが、幾重にも丘が重なり、要所の谷筋の道には見張りの兵が隙無く詰めている。だが、立派な中央の通り道を避ければ、人影も少なく、豊かな自然がそこかしこに息づいている。ぽこぽこと水音を立てて流れる小さな小川の脇には、紫色、黄色、桃色、白と色取り取りの花達が咲き乱れ、新緑の梢の上では、春を告げる鳥達の歌が木霊している。
 一度は命を失くしたと思われたため、大佐でさえ簡単には通り抜けられなかったテオルの森も、ピオニーにあっさりと迎え入れられた後は簡単に出入りできた。アニスはこそりとグランコクマの王宮を抜け出すと一人で森の中へと入った。足音を忍ばせ、声を潜めての侵入のとき、ふと目に入ったものがあった。大事な主に見せてあげたかったが、今は彼はいない。でも、これから何度も来る機会はあるだる。そのときのために、場所を確かめるつもりだった。
 威容を誇る灰色がかった大理石の門を右手に眺めながら、東の方へと進むと、果たして、アニスが覚えていたとおりにその大木はあった。遠くからでも、明るい緑の中に一際明るく日差しに照り映えていた。ここを盛りとばかりに薄桃色の花を咲かせている桜の古木に向かって、アニスは足取りも軽く丘を駆け上がった。
「やった。花がちょうど咲いている」
 背中のトクナガに声をかけると、登りきった丘の草地を眺め渡した。柔らかい芝に覆われた丘陵は、そよそよと吹く風に蝶が舞い、いかにも居心地が良さそうだった。うっとりと上を見上げれば、白い霞のように互いに重なり合った花が青い空を背景に揺らいでいる。
 鼻歌交じりでブーツを脱ぎ捨てると、いかにも足ざわりのよさそうな草地の中を、アニスは裸足で歩き始めた。こんな陽気の日に、この大木の下で昼寝をしたらさぞかし気持ちがよいだろう。
 突然、足元に何かがひっかかり、アニスは勢いよく地面へと倒れ掛かった。慌てて地へつこうとした手は何も触らず、そのかわり、体ごと誰かに抱えられていた。
「アニース、昼寝の邪魔をしないで下さい」
 よりによって、大佐の声が聞こえた。アニスは鼻先にある大佐の制服を穴があくほど凝視し、ようやく自分が寝転んでいた大佐に気づかず、その上へと倒れこんだことを理解した。
「アニス、どこか打ちましたか」
 大佐の手がアニスの背中を軽く撫でた。
「え、いや、……。うわっ……」
 アニスは飛び起きようと大佐の胸に手をついた。とたんに、目の前の大佐のにんまりと笑う顔と出会った。
「アニース。私に抱きついたと思ったら、なんでそんな色気のない声を出すんですか。せっかくの雰囲気が台無しですよ」
「ふ、雰囲気って、馬鹿なこと言わないでよ。こっちこそ、せっかくの場所だと思ったのに、大佐がいるなんて」
「それは、ますますせっかくの場所ではないですか」
「はぁ、昼寝して寝ぼけているんじゃないの」
 アニスは慌てて起き上がろうとすると、男はくすくすと笑いながら、アニスの手を再度引っ張った。
「ここは寝心地いいですよ。あなたもご一緒にいかがですか。緊張続きでしたからね。我々兵士も休養が必要です」
 大きな手から伝わる温もりに、アニスは抵抗できず、男が寝転んでいる脇へばたりと倒れこんだ。見上げる空は目に眩しく、枝も見えないほど重なり合っている花は泣きたくなるほど美しかった。目を瞑ると、握られている手の優しい感触にどきりとした。
 春の午後ののどかな日差しがアニスを眠りへと誘う。ぶーんと低い蜂の羽音がどこか遠くでする。風に揺れる草の葉が耳を擽り、近くから花の甘い香が漂ってきた。
「あなたもこの木に気づいたのですか。私達、意外と気が合いますね」
 無防備に眠ってしまった少女の顔を肘をついて眺めながら、ジェイドは独り言のように囁いた。もちろん、答えはなかったし、起きていたら、猛烈な抗議を受けたことだろう。寝顔は年相応に幼く見える少女の顔にかかった髪をそっと避けてやりながら、男はこの先の旅の行く末と少女の未来へと思いを馳せる。
 ひとひらの花びらがふんわりとアニスの唇に落ちてきた。何も飾らずとも艶やかに赤いその上の白い花びらだけが、ジェイドの影がひっそりと近づいたことを知っている。
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