拍手小話

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初紅葉

 ふわりと黄色の葉が舞い落ちる。
 白い手がとまどうように空に伸ばされ、かすかなその動きに反応した落ち葉は指先を掠め、地面へと音も無く着地した。
「残念でした」
 アニスは小さく声をかけた。男にしては華奢な手の持ち主も、その声にくるりと振り向くと、照れたように首を傾げた。
「簡単なようで、意外と難しいのですね。少しの風でも、どう動くのか、想像がつきませんね。アニス、こつを教えてもらえませんか」
 そう言うと、アニスの主は彼女に向って、微笑んだ。アニスはその表情に釘付けになり、ぼうぅと見惚れた。


 ダアトの導師は、アニスが想像していたような気難しい人物とは全く異なっていた。
 オラクル騎士団の上司はともかく、教会で彼女達に指示を出すお偉いさんは、モースを筆頭に、皆、鼻もちならない。勝手なことを言っては、出来ないとすぐに怒る。アニス達のことを見下し、何も分からないとばかりに横柄な態度で命令をする。地位もなければ、お金もなく、あるのは深い信心と底なしの人の良さばかりのアニスの両親なんて、本当にいいように扱われていた。
 アニスは頭ごなしに命令される度に、じっと唇を噛んだ。どうしてですか、と一回だけ質問をしたことがある。モースの言うことが、余りに理不尽だったからだ。モースは目を細めると、お前の両親の借金が増えてもいいのか、と吠えた。アニスはそのとき分かった。彼女の両親がいきなりものすごい借金を被ったのには、やはり理由があったのだ。丁度よく、オラクル騎士団の導師守護役に空きができたのも理由があったのだ。教団の底辺にあるアニスの両親はもとより、彼女にも選択権などなかった。ユリア様のおかげで自分達の娘が騎士団で抜擢されたと、単純に感激していた。ただでさえ無いお金を感謝の燈明に使う両親なんて、お偉いさんにとっては、笑止千万な虫けらに他ならなかった。
 だから、アニスは導師守護役として導師に初お目見えするまで、教団の最も上にいる人は、最も信用ならない嫌な奴に違いないと信じていた。守護役から離れたアリエッタが、引き継ぎのために、彼女に仕事について説明してくれた。アリエッタが語る導師の姿があまりにアニスの予想とかけ離れていたので、アリエッタの正気を疑ったほどだ。
 導師の部屋に最初の一歩を踏み入れたとき、アニスは自分の想像の中の導師の嫌味にすでにうんざりしていた。部屋の奥にいる人物に目も合わせず、足元を見つめている間、横で導師守護役のまとめ役である詠師がアニスのことを紹介していた。
「アニス、ぼうっとしていないで、挨拶しなさい」
 アニスの頭上から居丈高に命令が下された。命令には黙って機械的に従うだけだ。アニスは深く礼をした。
「イオン導師、この度、導師守護役につきましたアニス・タトリンです。誠心誠意お仕えいたします」
 教えられたとおりに頭を下げるアニスの前に、ぴたりと白いきゃしゃな足が止まった。
「アニスと言うのですか。いい名前ですね。これから、よろしくお願いしますね、アニス」
 何一つ労働したことのない真っ白な手が伸ばされ、荒れたアニスの手は温かいその手に包まれた。思いもかけない行為にぱっと顔をあげると、濃い緑の髪に縁取られた少年の優しい笑顔があった。大きく澄み切った翡翠の瞳がじっとアニスを見つめ、何かが分かったかのように、少年は軽く頷いた。
「イオン様……」
 アニスは恭しくその名前を呼んだ。



「アニス、アニス。どうしたのですか」
 導師の声に、アニスははっと我に返った。
「イオン様、すみません。うっかりぼうっとしていました」
 アニスが慌てて答えると、導師はまた軽く笑った。
「珍しいですね。アニスが、ぼんやりするなんて。それで、コツはなんなのでしょう」
 尋ねる導師とアニスの間に、ひらひらと見事に赤く染まった葉が落ちてきた。
「無理やり追いかけては駄目なんです。手の動きで逃げちゃうんですよ。自然に、ゆっくりと、こちらに来るのを待つんです。ほら」
 アニスは葉の落ちる方向を見定め、そっと手を差し出した。アニスの手の上に赤い葉がふんわりと載る。その上から、白くきれいな手が重ねられた。アニスは予想もしていなかった導師の動きに、慌てて手を引っ込めた。とたんに、間にあった赤い葉がくるりと回転しながら、地へと落ちた。
 アニスはあたふたと林の先を指さした。
「イオン様、もう日が暮れますから、散歩は終わりにしましょう」
 そういうと、守護役の少女はお下げをふりふり、先に歩き始めた。
「無理やり追いかけては駄目なんですね」
 導師は小さな声で繰り返し、地に落ちた赤い葉を拾った。
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