拍手小話

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予兆

 アニスは確かに聞いた。目の前に立っている軍人が息を呑んだ。この冷静が服を着て歩いているような男が息を呑む姿を見られなかったのが、残念だった。普通の人間のような反応をするとは思っていなかったので、怪しい機械に気を奪われて、斜め前に立っている男を観察しそこなった。
 荒れ果てた城の奥に設置された機械を目にしたとき、男は一瞬ではあったが、はっと息を吸い込み、立ち止まった。ああ、こんな人間らしい動作をすることもあるのだと、アニスはすごく驚き、少しだけ残念に思った。
 この男だけは、機械のように無機質な物から成り立っていて、人間らしい姿とは無縁であって欲しかった。こんなに何でもできる人間は、優秀さという贈り物を貰った代わりに、どこか別のところでその人間らしさが欠落していると思っていた。そうでなければ、人生、あまりに不公平というものだろう。
 アニスは落胆した自分がおかしかった。目の前の軍人は、彼女とは全く異なる世界に属しているのだ。忠誠を捧げる相手も、信条も、生まれも、育ちも、能力も持っているものは一つも重なっていない。それを言えば、他の仲間も全員が彼女とは違っていた。だから、態度にこそ露にしなかったが、アニスは誰にも共感を感じることはなかった。表面だけ浮かれてみせる彼女に、真正直に反応を返すルークなんて、側にもいたくないほどだった。もちろん、そんなことを気取らせるようなへまはしない。
 アニスは気付いていた。きっと、斜め前に立つ男も気付いているだろう。この男にはそんなに違っているにも関わらず、少しだけ共通するものがあった。アニスが自然に皆に溶け込んだ振りをしているとすれば、男はあからさまに他人と違うことを、その慇懃な態度や口ぶりで見せつけていた。そうすることで、男の奥底にあるものを何一つ誰にも見せることがなかった。
 今、何の用途に使うのかも分からない機械の前で、無防備に反応した。アニスはそれが意外だった。一方で、この世界に冠たる軍人に一瞬でも反応させた機械は何なのだろうと好奇心が沸いてきた。
「大佐、どうしたんですか」
 アニスはあくまでも無邪気に尋ねた。
「いえ、……。そうですね。確証が持てるようになるまではお話することはありません」
 いつもの型にはまった答えが返ってきた。だが、大佐の目はどこか遠くを見ていた。
 この男の中に潜んでいる物を浮かび上がらせた機械をアニスは再度眺めた。これが何であるか分かったら、ひょっとして、大佐の中にあるものを彼女も分かるのではないだろうか。だが、悲しいかな、彼女には冷たく大きな鉄の塊にしか見えなかった。
「アニース、先に行きますよ」
 とうに先に進んだ男がいつもの調子で彼女の名を呼んだ。
「はあい、大佐」
 いつの間にか、不審そうに、男の赤い瞳が彼女に焦点を当てていた。アニスは波が打ち寄せる音に負けないよう、声を張り上げた。
 何も気付いてはならない。何も知ってはいけない。
 ふいに脊筋を何かが這い上がり、海から吹き付ける風はぞくりと冷たかった。
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