拍手小話

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デオ峠

 古くはキムラスカとアクゼリュスの間を行き来するために作られたのであろう街道は狭く、ほとんど打ち捨てられたままになっている。両国の利権争いに端を発する国同士の諍いが道のそこかしこに影を落としている。両国の対立から、国内事情まで様々な要因がからみあい、以前は丁寧に整備されていたであろう道は見る影もない。道の真ん中に、大きな落石が放置されたままになり、急勾配の道を付け替えようとしたのだろうか、中途半端に削られた崖の先は、今にも倒れそうな柵が風に揺れていた。
 先を仰ぎみれば、日差しを遮るほどの木々はさしてなく、随分と上までくねくねと続く道が見えている。この街道の入り口からすでに数時間は上った。だが、少なくとも同じだけ、上りが続いているようだ。アニスは目に入った状況だけで、うんざりした。敷石が敷き詰められた歩きやすい道でさえつらいのに、瓦礫で足がとられるような場所なのだ。
 赤毛の王族の少年ときたら、何を張り切っているのか、後ろの者達の様子など構わず、どんどんと先に進む。ザオ砂漠のときとは大違いだ。砂漠では、守るべき人を探すためにアニスは急いでいた。だが、今は逆だ。人が変わったように頑張ってくれるのも考えものだ。横をゆっくりと歩む主が、ぐらりと揺れた。
 アニスはきょろりと周囲を見た。無鉄砲に前へ進む少年はともかく、他の仲間はすぐ目の前にいる。
「ああ、もう疲れてだめ。かわいいアニスちゃん、汗まみれで動けません」
 アニスは弱音を吐いて、ちょうど好さそうな木陰を指差した。
「なんだよ。もう少しで峠を越えるぞ」
 ルークが上から文句を言る。道の先を確かめなくても、もう少しのわけがなかった。空と地面のはざかいは遥か遠く、どう見ても、後数時間はかかるであろう。
「足が痛いよぉ……」
 もう一度泣き声をあげようとしたアニスの脇に、大佐が立った。
「アニス、大丈夫ですか。無理をしてはなりません。ルーク、少し休憩を取りましょう。この先、ほどよい日陰も少なさそうですしね」
 そういう大佐は砂漠を歩いていたときもそうだったが、汗もかかず、息もはずませず、普段となんら変わりなかった。
「なんだよ、俺の言うことが聞けないのかよ」
 少年がまだ言い張った。
「私もいい年ですしねぇ。この荒れた道の上りは足腰に堪えます」
 大佐が腰に手をあてて、大袈裟にうめいた。だが、アニスは見た。うめき声をあげる前に、大佐は軽く口の端を持ち上げて笑っていた。
「ジェイド大佐の言うとおりですわ。ルーク、先はまだ長いのですから、一息いれましょう。アニス、大丈夫ですか」
 ナタリアがアニスの肩に手を回し、木陰へと進む。主の様子が気がかりでアニスが振り向くと、脇で大佐が恭しくイオン様に向って手を差し伸べていた。
 どすどすと音を立ててルークが下りてくる。脇でガイが苦笑していた。ティアは慣れた仕草で水を取り出し、皆に配る。アニスは顔を顰めて、ことさらに足が痛いことを強調した。横に座った導師がそんなアニスに水の入ったカップを渡した。
「アニス、すみません。私のことなら、そんな気にしないでください。まだ、大丈夫ですよ」
 息を弾ませているイオン様の言葉にアニスは首を振った。貧血なのだろうか。冷え切った主の手にアニスはカップを押し付けた。
「イオン様、先に飲んでください」
「休みなさい、イオン様。せっかく、アニスが作った機会です」
 男はアニスの脇に座り、イオンに囁いた。何を言うんだと振り返ったアニスに男は嬉しそうに告げた。
「アニス、大丈夫ですか。痛みは取れましたか。ゆっくり休んでくださいね。さて、私があなたの足の様子をみましょうか」
 大きな男の影がアニスの上に落ちると、止めるまもなく、彼女の前に男がしゃがみ、大きな手が細い足に触れた。
「大佐、何するんですか」
 アニスの制止の声は完全に無視された。
「おやぁ、足が痛そうですね、アニス。私が見てあげるのだから、大人しくしていなさい」
 背後でやってられないよ、と文句をつけるルークの声がする。だが、アニスは大きな手が静かに足を撫でさする様に、身動きできなかった。彼女の前に跪いた男が下からアニスを見上げる。冷徹な赤い瞳が愉悦に揺らめき、形の良い唇が極上の笑みを浮かべている。
 こいつ、楽しんでやっている。いつものアニスなら滅多にない隙だらけの大男を蹴倒すところだ。だが、彼女の演技に共謀している男の協力はこの峠を無事に越えるまで必要だろう。彼女がぐっと唇をかみしめる。
 むき出しのアニスの太ももに遠慮なく押し当てられた男の熱は手袋越しでも思いのほか熱い。アニスが身動きしないのをいいことに数回余計に動いたかと思うと、それはゆっくりと白い靴下が引き下げられていく。木陰にいるのに、夏の日差しに当てられたかのように、アニスの胸は動悸に弾んだ。逃げ出そうと思えば逃げ出せるはずなのに、少女の足は男の手の中で震えるばかりだった。
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