拍手小話

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代償

 アニスはとぼとぼと歩きなれた薄暗い通路をたどっていた。聖堂で泣き腫らした目には、その暗さがちょうど良かった。


 泣いても何も解決しないことは、幼いときから知っていた。だが、涙が止まらないこともある。そんなときは、人知れず、止まるまでやり過ごさなくてはならない。アニスは聖堂の隅で、膝をかかえ、そのときが来るのを待った。脇でルークが優しく慰めてくれた。とても有難かったが、それで涙が止まるわけでも、心の中でぱっくりと口をあけている傷が閉じるわけでもなかった。
 他人の慰めを享けるには、彼女の罪は深かった。
 何時間過ぎたのだろう。いつの間にか、横にいたルークの姿も消えていた。聖堂はひっそりと静まりかえり、人の気配はどこにもなかった。無理もない。導師がこの世から消えたのだ。教団全体が喪に服している。皆が息をひそめて、嘆きに身を任しているのだ。それもこれも、すべて彼女が原因だ。
 アニスは強張った体をどうにか伸ばし、立ち上がった。濡れた制服の袖が気持ち悪く、何時間も同じ姿勢でいたせいか、足が痺れて思うように歩けなかった。


 無意識に足は自分の家へと向かっていた。アニスはそんな自分がおかしかった。家に戻ったところで、もうそこは自分がいられる場所ではない。パパとママの目の前で、自分の正体がなんであるか、ばらしてしまったのだ。あんなに騎士団に入ったことを誇りに思ってくれていた両親に、期待を裏切ったことを教えてしまった。その原因が両親の借金にあるということも知られてしまった。パパとママはそれを深く悲しんでいるだろう。彼女の姿をみたら、もっと傷ついてしまうに違いない。いつだって、パパとママの自慢の子でいたかったのに、もう駄目だ。
 ただでさえ暗い通路は、先が見えず、迷路のようだった。アニスは痺れて重たい足をどうにか一歩ずつ前に運んだ。深い沼に足をとられたように、進まなかった。
 浮かび上がる通路の灯が涙で揺らいだ。きらきらと頼りなく瞬く光は、目の前で散っていった導師の残照にも似ていた。アニスは力なく通路の壁に寄りかかった。あの側を通ることはできない。来た道を戻ろうと振り返れば、そちらにもちかちかと光が見えた。どこにも行くことが出来ない。どこも行く場所などない。
 アニスは息を吸おうともがいた。押し寄せる光の粒に溺れそうだった。
「アニス」
 頭上から厳しい声が彼女を呼び、その声に込められた意志の力にアニスは再び息をした。
「アニス、さあ、家まで送りましょう」
 逃げ出そうとするアニスの体は容易く男に遮られた。大きな手がしっかりとアニスの手を捕まえ、二人は歩き始めた。夢遊病者のようにふらふらとした足取りで、アニスは連れられるままに歩いた。やがて、見なれた我が家の扉の前に着いた。
「……」
 アニスは扉を凝視した。
「ご両親はあなたを待っていますよ。無事な姿を見せてあげなくては」
 背後から、静かな男の声が聞こえた。アニスは首を横に振った。
「さあ……、アニス」
 声は執拗に促す。アニスは振り向くと、恐る恐る、脊の高い軍人の顔を見上げた。
「怒っていないの」
 アニスの掠れた声に、男は軽く形良い眉毛をつりあげた。
「それは怒っていますよ。あなたが自分の中にすべて抱え込んでいたことに。あなたに頼られなかった己の力不足に。ご両親も、そして、私も」
 大佐はふうと息を吐くと、肩を竦めた。
「ですが、最初に怒る権利はご両親がお持ちでしょう。無事な姿を見せて、ちゃんと叱られて来なさい」
 青い手袋に包まれた手が彼女の肩をつかみ、扉へと振り向かせた。なおも躊躇う彼女の脊を、その手が断固とした優しさで押した。
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