王国

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夕餉

 王都にありながら、人の生活とはずっと無縁である。
 物心ついてからというもの、王宮に呼び出されるまでは、王都のはずれのさびれた修道院内の孤児院にいた。そこは、まことに規律正しい修道僧に運営されていたから、一日はそこしか知らぬ彼のような者以外ならうんざりする代わり映えのない日々だった。
 唯一の楽しみである食事の時間などほぼわずかで、後は、指示されるままに畑の労働か、庭の手入れか、修道院内の掃除か、勉学か、自由に振舞える時間はないに等しかった。物資的にも恵まれていなかったから、生きるために必要なものへの渇望を押さえるだけで過ぎていく一日。あのときは何事も単純だった。
 孤児たちは皆一様に持たざるものであり、お情けで生きているものだった。だから、彼も他の孤児たちと同じく与えられることだけを黙々とし、後はすべてをあきらめていればよかった。


 王立学問所に入っても、さして彼の生活は変わらない。
 王に呼び出されなければ、午前中は学問所で学び、午後は特例ということで王立研究所に出向いて与えられた課題について研究する。王宮と学問所と王立研究所を移動する以外、どこへ行くでもない。自分が知らない世界は恐かった。
 孤児院のときでさえ、自分が人間たちから受け入れられていないことは分かっていたので、いつも目立たぬようしていた。しかし、ここには様々な人間がおり、回りは彼をほっておいてはくれない。学問所の同級生達からは、異端のものへの畏怖を感じ、研究所では、彼の出す成果への驚嘆と逆に脅威を感じる。もとより、王宮での貴族達の目線は、美しい異形のものへの好奇と王のただならぬ関心が寄せられていることへの蔑みでさらに痛い。
 だから、孤児院にいたとき以上に、内に閉じこもる。人とは触れ合わない。同級生といえども、個人的な話には加わらない。彼も語らない。生れ落ちたときから孤児院という狭い閉じられた空間にいたせいで、そもそも、回りのものが普通に暮らしていく上で持っているはずの常識、知識がないため、学問所の会話についていけないことも多い。係わりさえしなければ、自分に降りかかってこないと思い込み、わずかな狭い世界にしがみついている。


 クラトスは平気で彼の側に近づく。クラトスの父の館にいたときはそれでも良かったかもしれないが、学問所や王宮で彼の側にいると、却ってクラトスが困らないかと、いつも、内心心配している。だから、クラトスが近づいても、最低限の言葉しか返さないようにしているつもりだ。
 そんな彼の気持ちも知らずに、今日もクラトスが手を振りながら走ってくる。通路を共に移動していた学問所の同級生が驚いたように彼を見る。
「おい、アウリオン家のクラトスだぞ。知り合いなのか」
「はい、ちょっとお世話になったことがあるのです」
 そういう間に、彼の傍に来たクラトスは、皆に陽気に挨拶をする。
「初めまして。先輩方、5年生に所属しておりますクラトス・アウリオンです。ユアンに話があるのですが、お邪魔してもよろしいでしょうか」
「クラトス。よろしく」
 如才のない同級生達は軽くクラトスに挨拶をし、側から離れていく。学問所で平等と言っても、そんなものだ。王族に逆らうものはいない。
「ユアン、今日の午後の約束を覚えている。大丈夫だよね」
 わざわざ、確かめるためだけに来たのだろうか。
「もちろん、クラトス様のお約束は覚えておりますし、王立研究所からは許可をいただきました。どうぞ、ご安心ください」
「良かった。お前は忙しいって、父上が言ってたので心配していたんだよ」
 クラトスは真剣に彼を見る。
 以前、クラトスの誕生日が近いことを聞いた。その後、回りの同級生が家族への贈り物の話をしていたのを小耳に挟んで、世間では生まれた日を祝うことは理解した。だから、お祝いを差し上げたいとクラトスに言ったら、なぜか、一緒に探しに行くことになった。お金もほとんど使ったことがないのでよく分からないが、生活費として余りあるだけ渡されていたから、きっと、少しくらい使っても大丈夫なはずである。
 だから、彼もクラトスににっこりと笑いかけながら、もう一度繰り返す。
「今日はご一緒できますよ」
「ユアン、お前の笑顔は本当にきれいだね」
 クラトスは全く関係のないことを言い、「また、後で」と手を振り去っていった。


 彼が去ると、同級生に取り囲まれる。
「クラトスは何のようだったのだい」
「ずいぶん、親しいよね」
「私が以前病気になったときに、クラトス様の家に大変お世話になったのです。御礼にお誕生日の贈り物を差し上げようとしたら、今日、ご一緒することになりました。こういうときは、何を差し上げればいいのでしょう。」
 思い切ってたずねると、回りの皆も結構口々に自分達が欲しいものやら、興味のあるものを教えてくれる。親切な同級生は、心辺りの店の地図まで書いてくれる。
「ユアン、そのみょうに丁寧な話し方はやめた方がいいぞ。店でなめられてしまうぞ」
 口の悪い商家の出の同級生はそう言いながら、やはり、彼の知り合いの店をいくつかリストしてくれている。回りの同級生もうなずく。
「教会の監督官と話すわけでもなし、よく、お前はくたびれないな」
「すみません。修道院と教会にしかいたことがないものですから」
「謝るなよ。お前が悪いわけじゃないものな」
 なにげなく答えながらなぐり書きの紙を渡してくれる彼に、思い切ってにっこりと笑いかける。
「おい、そんな顔されると、俺、お前に惚れちまうぞ」
 その台詞に、回りの同級生が彼をつつき、彼がユアンの肩に手を回し、皆で大笑いをしながら、回廊を歩いていけば、学問所の冷たかった教室がわずかながらも明るく彼を迎えてくれているようだ。


 商店が軒をつらねている賑やかな裏通りをクラトスとともに歩く。
 王都にこんな場所があったなんて、知らなかった。そこでは、彼を見るものもなく、それこそ、彼が会ったこともないような皮膚の色や聞いたことのない言葉が無秩序に飛び交っていた。誰も彼らに注意を払わない。いや、払われるときもあるが、それは、ただの客であり、それ以上でもそれ以下でもない。
 同級生たちが教えてくれた店のリストを持って、端からのぞいていく。店先にはそれこそ、彼は見たこともなかった様々な色の交じり合った飴だとか、きれいな音を立てる硝子細工だとか、蓋を開けるとうっとりするような音楽が出てくる不思議な箱だとか、あらゆるものが並んでいる。
 クラトスは何が欲しいのだろうか。そちらの店を覗き込んで、小さな玩具を持ったかと思うと、あちらの店で小さな剣を取る。彼も、クラトスと一緒に品定めをしたり、別に目についたものを手にとって、クラトスに薦めたりする。
 ある小さな店の先には、小ぶりの優雅な銀の香炉が置いてある。その優美な形に思わず魅せられ、ため息をつきながら、眺める。どう見てもその値段は彼の生活とは無縁の額だ。クラトスは、彼が眺めていることに気づき、たずねる。
「ユアン、そんなものが好きなのかい」
「ふと、マナを感じたのです。何かが溢れてくるような気がして、つい、見ただけです」
「僕にはわからないけど、確かに暖かい感じがするね」
 二人で眺めている姿がそのままピカピカに磨かれた銀器の上に映っているのに気づき、何気なく眺めると、中に映るクラトスが彼をじっと見ていることが分かる。



 時間も大分経ち、歩き疲れた頃に、食べ物や飲み物の小さな店が軒を並べている場所に出くわす。クラトスは早速嬉しげにそこかしこの店を眺め、手に持って食べられる固い生姜の焼き菓子を一袋買っている。前にも来たことがあるのだろう、さして悩まずに選んでいる。彼も一緒にながめ、隣にあるクラトスの家で食べさせてもっらたものと似ているふんわりした焼き菓子を買う。
 その後は、よい香りのする温かい飲み物を屋台で買い、クラトスと並んで、通りの先にある小さな広場の噴水の端に座って休む。
「何か欲しいものは決まりましたか」
 彼が尋ねると、クラトスはあの明るい笑顔を浮かべて、
「もう、貰ったよ」と答えた。
「ユアンと一緒に歩きたかっただけさ。だから、欲しいものは貰った」
 クラトスの言いように本当に驚く。自分と一緒にいて楽しいのだろうか。
「私などと一緒に過ごすことが良いのですか」
「そうだよ。ユアン、お前は自分のことをまるで分かっていないんだね。お前のその笑顔を見ていると、とても楽しくなるのさ。お前の同級生達だって、最近、すごく楽しそうにしているじゃないか」
 クラトスの言うことが、わからない。こんな自分と、しかも、狭間であるものと一緒にいて、楽しいのだろうか。
「皆、お前と親しくなりたくて、近づいているのに、お前ときたら、いつも俯いているから、気がついていないんだね」
 クラトスは自信たっぷりにそう言い放つ。そういうクラトスの笑顔こそが彼の心を浮き立たせてくれる。


 日も落ちかけ、そろそろ、学問所に戻らなければならない。遠く、教会の鐘がなる。孤児院にいた頃は、あの鐘がなると、夕べの祈りのために皆、教会へと集まったものだ。気づくと、通りを歩く人や子供が急ぎ足になっているようだ。
「町の人も教会へ行くのですか」
 クラトスが訳がわからないと言うように、こちらを見る。
「すみません。何か変なことを言ったでしょうか。孤児院のいたときは、あの鐘がなると、神に夕べの祈りを捧げに行く決まりでしたので、皆が急いでいるから、そうだと思っていました。」
「ああ、ユアン。ごめん、気づかなかったよ。お前は教会の鐘をよく知っているんだね。だけど、町や王宮ではあの鐘は夕餉を迎える知らせになっているのさ。町の人が急いでいるのは、家に帰るためだよ」
「夕餉の鐘で家に帰るのですか」
 どこか、声音に羨む気持ちが出てしまったのだろうか。クラトスがそっと手を握り返し、彼を見た。
「ユアン、ごめん。そんな風に言わせてすまない。今まではお前の家は教会だったかもしれないけど、今は僕の家がお前の家だ。今日は学問所へ二人で戻るけど、次は家に一緒に帰ろう」
 その言葉に、思わず、クラトスの手を再度握り締めた。クラトスは彼の気持ちをすぐに汲み取ってくれる。知らないことをいつも教えてくれる。怯えて篭っている彼をその小さな世界から広く豊な世界へと連れ出してくれる。彼を導くクラトスの小さな手は温かく、力強い。


 学問所へ向かう白い石を敷き詰めた歩道の上を夕日が赤く染め、夕餉の鐘に併せて急ぐ人の影も、急ぎ寮へと走る二人の影も、長く延びていく。それは、今の自分ではまだ見えない路の先を指し示しているかのようだ。


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