収束

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秋霜

 秋も晩いこの季節、林の木々はほとんど葉を落とし、わずかに残っていた葉も昨晩の霜ですっかり色が褪せている。遠くまで見通せるようで、枝が重なりあい、林の中は迷路のようである。そこに行けそうでありながら、道が見つからず、思いもかけないところに空き地が現れる。目の前に垂れ下がる行く手を阻む枯れ枝を掻き分け、足首まで埋もれるような落ち葉を踏みわけると、少し木々が減り、明るくなってきた。
 その先を見ると、探していた者の場所は遠くからでも分かった。鮮やかな髪色の彼の同志は、セピア色の森のなかに溶け込むことなく、ひっそりと佇んでいた。


 今朝、目覚めるとユアンの姿がなかった。だが、マナの気配は彼がそう遠くに行っていないことを教える。
 ユアンは彼の作り上げた組織の後始末のために東奔西走しているので、クラトスも行き先について問うことはなかった。だが、いつもは出る前に必ず彼に告げていくのに、今日は何も言わずに部屋からいなくなっていた。何か今日の約束をしていたわけでも、いつも朝食を共にするわけでもなく、単にほんの一言、二言の言葉を交さないそれだけのことなのに、ひどく淋しく感じる。
 もう何百年も前に彼の手は自らが離したはずなのに、命を助けられてからというもの、また、以前と変わらぬまま律儀にクラトスに寄り添ってくれていたから、どこかに甘えが出てしまったのかもしれない。もう一度、彼の心は自分を選んでくれたと都合よく勘違いしていたかもしれない。黙っていなくなることを責める資格はないが、行き先を告げられないただそれだけのことで、見捨てられてしまったような気分になる。
 今日だけは、何としてもユアンに会わなければいけないような気がする。当面、室内で大人しくしているように言われていたが、体が動くようになったのをいいことに、ユアンのマナの跡をたどる。



 彼が近づけば、向こうも気づく。
「クラトス、もう大丈夫なのか。無理は禁物だぞ」
 ぼんやりと空を見上げているようだったユアンが、こちらを振り向くと、嬉しそうに微笑みかけ、音を立てて枯葉を蹴散らし、歩みよる。その急いで近づいてくる彼の姿はいつにもまして、クラトスの心を弾ませる。
 長い間、ユアンの前に立つ資格はないと思い、まっすぐ彼を見ることが出来なかった。彼女を失ったあの後、彼の心情を思い遣ってくれていたのか、ユアンから彼に近づくことはほとんどなかった。彼もまた、ユアンに真正面から語りかけることもなく、この十数年はまるで厚い霧が二人の間を幾重にも隔てていたかのように、互いに関してはおぼろげな記憶しか残っていない。
 今の一連のできごとが始まってからは、ユアンとは対立の連続だった。コレットのクルシスとレネゲードによる奪い合い、ロイドを間にしたオリジン開放の軋轢、大樹の暴走、互いの立場の違いとユグドラシルの監視の目を思うと、話し合いもままならないうちに、ときが過ぎた。
 ウィルガイアの奥でマーテルの残照がコレットの上に現れたあの瞬間、影で息子達の動向を見守っていたクラトスにも感じられた。懐かしいマーテルのマナとユアンのそれが以前のように一瞬だけ、煌めき、共鳴し、たちどころに消えた。だが、ユアンはあの場に現れなかった。ミトスも気づいたかもしれなかったが、ユアンも、マーテルも、すでに現世における別れの儀式はとうに終わっていたことをクラトスはあのとき悟った。その後も、ユアンがロイド達の前に現れることはなかったので、クラトスは心密かにユアンが自分ともどもクルシスとは決別したものと思っていた。
 だが、トレントの森に朝日が差しこんだあのとき、ユアンはどこからともなく現れ、ふいと彼の前に立ち、以前と同じように笑いかけてくれた。一言も彼の口から言葉がかけられることはなかったが、その笑顔で互いになすべきことを分かり合えていると理解した。息子との命をかけた一騎打ちの後は、まるで何も起きなかったかのように、病床の彼の面倒を見てくれていた。
「ああ、お前のおかげで、普通に動けるようになった」
 ユアンはこちらへと真っ直ぐに歩いてくると、直前で立ち止まり、彼の言葉を確かめるように全身を一度眺めると、しっかりとその両腕に彼を抱きしめた。その真っ直ぐな想いのこもった抱擁に、クラトスは一瞬だけその身を震わせ、後はユアンが与える静かな愛撫にゆっくりと身を委ねる。
「クラトス、今日はすごく寒い。だが、何故か胸騒ぎがして、あの部屋の中にも居られず、つい彷徨っていたのだ。本当は貴様と共にいたいと考えていたところなのだ」
 ユアンの言う寒さは、季節によって生じたものではないと思う。確かに、冷え切ったその朝、ここに来るまでの道すがらも、そこかしこの葉が霜で縁を白くし、道には霜柱が立っていた。だが、彼が指しているのは、そうではない。クラトスが感じた幼子が彷徨って誰かを探して求めているような寂しさをユアンも感じたと分かった。彼がユアンを求めて歩いたように、ユアンもクラトスを求めてくれていたのだ。
「そうだな。確かにすごく冷え切っている。だから、私もお前を探さずにはいられなかった」
 二人は互いに身を寄せ、かすかな予感に黙って待つ。


 そのときはすぐに訪れた。
 何も起きたわけでもないのに、冷え冷えとしたその林の中で地が動いたような激しい衝撃を覚える。間近にあったデリス・カーラーンが他の者には見えずともさらに速さを増して遠ざかろうとしていることが感じられ、目をも眩ます様なとてつもない規模のマナが噴出し、次ぎの瞬間にはその膨大な量のマナがこの星へと注がれるのがわかった。
 二人は声も無く、顔を見合わせる。
 どこからともなく、遥か昔の大樹の息吹を感じる。
 今、ロイドたちが事を成就させたことが分かった。
 だが、それは彼らにとっては、全身を覆うような喜びでも、沸き立つような興奮でも、擽るような快感でもなく、大きな喪失感となって現れた。ユアンが胸を押さえて蹲った。クラトスもはっきりと感じた。どこか、胸の奥のある場所から無理やりかさぶたが引き剥がされるように、そこにずっと固く絡まっていたものがほどけ、何かが波に引くように攫われ、止める間も無く消えていった。
「聞こえたか」
 ユアンが青ざめた顔でクラトスを見上げた。
 ユアンの問いに頷きながら、クラトスも彼の横に座る。
「感じた。ロイド達が終わらせたのだな。別れの声が聞こえた」
「ああ、確かに別れを告げた。貴様に謝ってくれと言った」
 クラトスはその言葉にしばしユアンの顔をみつめる。わずかに瞬くクラトスの目を見つめながら、ユアンは淋しげに続けた。
「私達が初めて出会ったときのマナの輝きのままだった」
 まだ胸を手で押さえながら、ユアンが力なく彼に寄りかかった。ユアンの肩をしっかりと支え、片手で地に着いているユアンの手をとった。
「ああ、この中にまた空いたところができてしまった」
 ユアンは苦しそうにつぶやき、しかし、もうこれ以上は話さず、彼の胸に顔をうずめた。クラトスは外気に冷え切ったユアンの長い髪を撫でながら、胸の中の空洞にこだます悲しみに同じように圧倒された。絆は結ばれたときはそれと気づかなかったにも関わらず、失われるときはその存在の大きさに驚かされる。


 厚く積もった枯葉の上に腰を下ろし、ユアンを抱え、彼がぽつりぽつりと語るミトスとの出会いの思い出を黙って聞く。長い年月を経るうちに、互いの願うことも、互いの生きる道も、互いの力関係も全てが違ってしまったはずなのに、今語られるのは重なり合う希望と揺るぎない信頼の物語だ。
 冷たい風が頬を嬲る。その風が木々に残されたわずかな葉を散らす。木を離れた葉はもう前あったところに戻ることはない。夏には咲き誇っていた花もいつのまにか枯れ、消えてしまった愛を、失った信頼を再度手にすることは適わない。しかし、枯葉が地に落ちて次ぎの世代へその命を繋げるように、夏のあの芳しい季節を止めることができずとも、厳しい冬の中で芽吹きの準備がなされ、再び同じ恵みが巡ってくるように、今失われた者の想いも無に帰すことはなく、引き継がれていくはずだ。少なくとも、彼の中で培われたミトスの希望は、彼の息子へと託されたことを、ミトスも分かってくれたと信じる。
 果てない道の先頭を孤独に歩み続けた者への鎮魂歌のように、晩秋の風が木々の間を吹きぬけ、枝のこすれあう淋しげな響きが森を過ぎる。
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