王国 ---刺客

王国

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刺客

 従軍しているときは、彼にとって平穏なときとも言える。緊張の日が続くが、王が彼を訪れることはない。王は彼を呼び出すが、それは新たな兵器の開発者として、あるいは優秀な軍師として意見を聞くためであり、その以上でもそれ以下でもない。戦っているときこそ、王が唯一正気を保っていられるときなのかもしれない。あるいは、すでに狂気の先に抜けているのかもしれない。


 その日は冷たい風の吹きすさぶ日であり、野営している丘の上を飢えた獣の咆哮のように突風が吹きぬけていく。王の質実ながらもわずかに贅を尽くしてることがわかる天幕も、風に激しく揺さぶられている。
「明日は撃って出る」
 王が床机の上に広げられた地形図を見ながら回りに言い聞かせる。
「季節も悪い。このまま、雪が降るまで足を止められては我等に勝機がない。相手を引きずり出せねば、勝利はこちらに来ない」
 すでに谷の奥に陣をはった敵を相手に消耗戦を始めて3週間立っていた。季節が下り坂である上に、この数日続いた嵐で兵の士気は多いに下がっている。王は敏感だ。彼の直感が王国の勝利を数多く導いてきた。
「すでに用意は万端でございます」
 将軍たちが、現状の展開線を示しながら、いかに兵站が準備されているかを答える。
「どうだ」
 天幕の隅にいる彼に向かって王が尋ねる。すでにこの戦略に関してはこの数日、ずっと話し合っていた彼は、「明日は風も収まります」と頷く。


「お前は残れ」
 引き止められて、傍に残る。
「どうだ。怖いか」
 尋ねられるが、黙って奥にある酒瓶とグラスを持ってくる。
「どうぞ、お疲れをとってください」
 さきほどの問いには答えず、グラスへ血のように赤いワインを注ぐ。彼が命を奪う場に立ち会うことを嫌がっていることを知っているのだ。彼も隠しはしない。まだ、学問所に在籍していた幼いころに従軍させられときは、気分を悪くしたり、涙を流したりしたものだったが、もうそういうことは起きない。しかし、明日を考えれば、体の奥底にわずか震えるものがあるのも否定はしない。


「もっと、こちらに来い」
 王が呼ぶので、すぐ隣の席に座る。手渡したグラスの中身はあっという間に消える。と、王の手が彼の頭を抱え、口の中にワインとともに王の舌が入り込んできた。明日の戦いを考えると、王もその高ぶりを何かで紛らわせたいのであろう。従順に王の愛撫に答える。王も口付けを与えた後はただ黙って、彼の体に手を回し、軽く彼の腕をなでるだけだ。
「酒を飲んでも、恐怖はごまかせない」
 王がわずかに震えている彼の腕を服の上からそっと抑える。王の手の上にもう一方の手を重ね、肩に頭をもたせ掛ける。いつも、このように扱ってもらえるなら、と心の中で願いつつ、
「陛下、分かってはいるのですが、慣れないのです」
とだけ答えた。
「いや、それでよいのだ。恐怖を知っていればこそ、冷静に戦うことが可能だ」
 王の手が優しく彼の手を握り返し、静かに答える。
「明日の戦いは双方ともかなりの犠牲者が出るであろう。恐怖を知らぬものは、失うことを知らぬ。それでは、引くべきときを誤る」
 ふと、外の異変を感じる。強い風の音に何か混じる。王も彼も静かに立ち上がる。


 天幕の入り口が掲げられたかと思うと、強い風とともに見慣れぬ装束の男たちがすばやく入り込んだ。いきなり、明かりが倒され、天幕の中に暗闇が広がる。刺客だ。相手もこちらの力を侮ってはいなかった。王国軍が強い最大の理由を捕りにきたのだ。王の天幕ということもあって、剣を置いてきたことを後悔する。黙って、王の前に出ようとすると、逆に彼が後ろに向かって突き飛ばされた。
「逃げろ。お前は逃げろ」
 かすかな声が、力強い手が彼を押す。その瞬間、相手が一斉に襲いかかってきた。
 王が手近にあった燭台で防いだ音がする。彼にも一人かかってきたが、かろうじて体を引き、攻撃をさける。暗がりのなか、血のにおいがした。わずかだが、王の息があがるのがわかった。彼がこのようになるからには、かなりの傷を受けてに違いない。次の一太刀を浴びる前に、倒さなくてはならない。
 そのとき、王がさらに彼の前へ出ようとしていることがわかった。王のマナの明るさを感じ、怒りが湧き上がる。王は深手を負っているにも係らず、さらに彼の前に立とうとする。この男をほって逃げるわけにはいかない。
 彼の中の何かが、回りのマナを吸収するのが分かる。詠唱をするまでもなく、手の中が熱くなり、考える間もなく、力が放出される。確かに刺客へ打撃を与えたことが感じられる。


「何者だ」
 外から主席官の声がした。すぐ隣に詰めているのだから、この騒ぎが聞こえたに違いない。王を抱えながら、叫ぶ。
「侵入者がおります」
 殺気が感じられる方向へ、王を庇いながら、再度雷撃を打ち出す。一人、二人、確実に二人はしとめた。王の血が彼の手を伝わって、流れるのを感じる。


 天幕の中に明かりが掲げられ、近衛兵と主席官が入ってくる。同時に最後に残った侵入者は、彼らを飛び越え、背後の天幕を裂くと飛び出していった。
「追え」
 天幕の外で怒号が飛び交っている。主席官に向かい、王が言う。
「よい。追うな。最後のものは放て。わしは大丈夫だ」
「陛下」
 抱えながら、彼は呼びかける。
「ユアン、お前は無事だったか。大事はないか」
 王が痛みをこらえて語りかける。
「陛下」
 再度呼びかけるが、王は目を閉じて呻くだけだ。
「医師を呼べ」
 主席官の声が遠くに聞こえる。この感情が何なのか分からなかったが、今、彼の腕の中のものを失うわけにはいかなかった。
「陛下」
 しっかりとこの男を抱え直し、マナを放出する。


 明け方、王の寝息が安定していることを確かめ、外へ出た。霜が降りて白々とした草の上に、朝日があがってくる。主席官が後を追いかけてきた。
「すまなかった。お前まで巻き込んでしまった。よくぞ、陛下を救ってくれた。お前がいなかったら、どうなっていたかわからない」
「いいのです。私が陛下をお救いしたかったのです」
 口から出すと、すっきりした。
「主席官、全軍を率いて出てください。すでに時が来ました」
「敵は王の命を狙ったことで、結果、我々が混乱していると思っているはずです」
 主席官は彼の言葉に重々しく頷くと、全軍へ命令を下すために丘を降りていく。天幕に戻ると、王が目を覚ましていた。
「なぜ、わしを助けた。お前は逃げればよかっただけなのだ」
「陛下に助けていただきました。私も陛下をお助けしたかったのです」
 王は目を閉じ、しばらく、何事か考えているようであったが、ぽつりと彼に向かって言った。
「お前が大事だった」


 王国軍は大勝利を収め、華々しい戦果とともに凱旋する。王の背後で勝利の歓呼を浴びながら、混乱した自分の感情を持て余す。
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