王国 ---決別

王国

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決別

 じりじりとした暑さは夕刻になるとひそやかに吹く風とともに幾分おさまっていた。もうすぐ、夏至をむかえるこの季節には珍しく、雨の少ない年だった。彼が滞在している館の庭に植えられている草花も、日が落ちかけた今時分になり、ようやく生気を取り戻しかけていた。アウリオン家の正餐室の前は大きな張り出しテラスとなっており、目にはいる花々の白色や紫色が夕暮れの夏の日差しに涼しげだった。


 クラトスの母がなくなってから、3年が過ぎている。
 この間にクラトスは一気に成長した。いまや、背の高さもほぼ変わらない。いや、すでに長身の彼をも追い抜いている。彼の一族は王や主席官にしろ誰もが偉丈夫であるが、クラトスも以前の線の細さはどこかへ消え、大剣を持つにふさわしいがっしりとし体格になった。もとより、剣の腕はとうに彼をしのぎ、最近は本気の打ち合いをすれば、たちどころに彼が息をはずませる。すでに騎士団の長を拝命して、戦さにおいてもその活躍は華々しい。軍師として軍の背後にあるため、前線でのクラトスの活躍は目の当たりにできなかったが、さすがに王の一族と将軍達の間でも評価は高い。すぐにでも、軍の要職につくことになるだろう。
 互いに忙しい日々を送り、以前のように二人で話すことは叶わなかったが、クラトスのことはいつも気にかけている。ただ、彼は自分をどう思っているのであろう。軍という規律で縛られる世界に入ってから、クラトスに前ほどのひたむきな目で見られなくなったことに、わずかな失望と大きな安堵をもっている自分がいる。宮殿にいれば、いやでも知られてしまう陰口。前ほどではないが、王に蹂躙された跡がどうしても隠せないことがある。見えないように肌を隠していても、顔につけられた傷はそうそうごまかせない。
 先月、顔を腫らしたユアンに気づき、クラトスの父が王と何らかの話をつけたに違いない。久しぶりに、クラトスと共に主席官宅で魔道力の研究という名目で屋敷に招待された。思いもかけない2週間の休暇。館にいる間、クラトスは、以前のようには彼の異変を直接は問わなくなっていた。彼への関心が薄れたことは淋しいが、クラトスにだけは本当のことを知られたくなかった。
 実際、彼は気づいていなかった。体の不調を見せぬよう周囲を取り繕うのに精一杯だったから、クラトスが遠く離れた場所から彼を注視してることを察することができなかった。


 例によって、回復したことが侍医から伝えられたのであろう。狩という名目でここへ訪れる王。はずまない食事の会話。陛下が来たからには、明日にでも自分も一緒に王宮へ戻らなければならないだろう。
「どうだ。ユアン、クラトスの出来は。すでにクラトスも成人を迎えた。我々の片腕として一個師団を与えられるかな」
 あの男からの問いには、いつも緊張を強いられる。幼いころと同じくびくつく体を無理やり意志の力で押さ込む。
「クラトス様はすでに十分な実力を戦さにて発揮されておられますから、何も問題ございません。私よりもはるかに高い視点から戦略を見ておられます。今回の魔道力の応用に関しましても、区切りはつきましたので、後は研究所にて検討いたします」
 クラトスを巻き込まないためにも、まだ、ここにいたいと切望する自分を切り捨てる。
「そんなこと言わずに、ユアン、もう数日こちらにいないか。せっかく話が進んでいるから、お前の意見をもう少し聞きたいのだ」
 クラトスが切望するように言う。こんな彼の顔を見るのは久しぶりだ。心の奥底に秘めた望みが静かにわきあがってくる。
「相変わらず、クラトスはユアンが好きだな」
 王の声に若干の揶揄が潜んでいるのを感じる。
「王立科学研究所の主席研究員ですから。それに、クラトスはユアンが操る魔道力に興味があるのです」
 クラトスの父上が引き取ってくれた。外が急に慌しくなる。雲行きをみて緊張した自分がほっとするのを感じる。
「何事だ。陛下がいらっしゃるのだぞ」
「王宮より、急ぎの使いがいらっしゃいました」
「よい、こちらに通せ」
 入ってきた使いはクラトスの父上と王の間にしゃがむと用件を伝える。
「何、王妃様が」
 クラトスの父のいつもとは不似合いな声が響いた。王はクラトスの父と使いを促すと、部屋の外へと出て行く。
「今日は何者もここから外に出すな」
 外で王の命ずる声がした。


 慌しく王が帰還するのを窓から眺める。王妃の具合が非常に悪いらしいと、クラトスの父がユアンの目をみつめながら、言った。クラトスは訳がわからないように、父を見ている。
「王妃様って、ずっと奥宮に臥せっておられたのですよね」
 ああ、奥宮にずっと閉じ込められていたあの方。
「とりあえず、部屋で待機しなさい。王が王宮へ戻られれば、なんらかの沙汰があろう」
 クラトスの父が促す。クラトスがユアンの手を幼いときのように自然にとる。
「ユアン、どうした。すごく顔色が悪い」
「クラトス様。ご心配ありがとうございます。実のところ、暑さのせいで気分があまりすぐれないようです。部屋に戻ります」
 誰もまだ気づいていないが、己を束縛する鎖がほどけかかっているのを感じる。急がねばならない。


 冷静なつもりでも、やはり、気が動転していたのだろう。部屋の鍵をかけ忘れいた。扉をたたく音にも気づかなかった。唐突に扉が開いた。慌てて振り向く。
「ユアン、開いていたものだら、すまない。それは」
 いきなり部屋に入ってきたクラトスが絶句した。ちょうど、旅装に着替えようとしていたところで、上半身を出したままだった。
「見ないでくれ」
 顔をそむけ、急いで脱ぎかけた長衣に腕を通す。腕や背中、胸につけられた痣はまだ完全に消えていなかった。
「お前がいなくなりそうな気がした」
 クラトスがそっと後手に扉を閉める。
「見ないでくれ」
 再度、短く頼む。
「宮殿で聞いた。お前が王に」
 クラトスに言わせたくない。自嘲気味に続きを言う。
「情けをかけられていると。情夫であると。王のお気にいりで、体で成り上がったハーフエルフだと」
 その言葉にクラトスはとても悲しそうにこちらを見つめた。もっと軽蔑してくれ。
「私が言いたいことはそうではない。王はお前を苦しめている。お前も王を怖がっている」
「いや違う。王を苦しめているのは私の存在だ」
「ユアン、嘘を言うな。それなら、何故、お前はこんな体になっている。来たときは、体を起こしているのもやっとだった。私が気づかなかったとでも思っているのか。ずっと、お前を見ていた。最近は従軍させられることが多かったから、近くには居られなかったが、お前がたまに倒れたという話は聞いていた。皆はお前の体が弱いと思っているが、そうじゃない」
 クラトスは言うなり、まだ胸をはだけたまま呆然としている彼を抱き寄せた。
「この体の傷跡は陛下のせいだろう。お前はいつも私に気づかれたくないようだったから、黙っていたが、お前が何度か倒れていたとき、服の合間から首筋の痣や顔の傷が見て取れた。お前が本気になれば、私でさえ容易く傷つけることはできないのに、その傷だ。黙って耐えているお前に、側についてやれない自分がもどかしかった。お前を助けてやるには何の力もない。今回も父上に何度も頼み込んだのだ。あの父上までもが見て見ぬふりをする理由はわからない。だが、このようなこと、放っておいてよいわけがない。ようやく、お前が動けるようになったと思えば、もう、今日は陛下が来た」
 クラトスの腕がさらに強く彼を掻き抱く。
「これまでも、我が家にお前が来るときは、いつも、調子が悪そうだった。なあ、どうしてお前は黙っているのだ。お前が元気になると、王が来る。そして、お前は一人で王宮に戻る。どうして、一人で耐えているのだ。今日もお前を連れ去れるのではないかと、そればかりが気になって、食事の間も気が気じゃなかった」
 クラトスの腕は彼の腰に巻きつき、もう一方の手は優しく彼の背に触れる。部屋の温度がいきなり上がったような気がする。
「これには訳があるのだ。クラトス、すまないが、離してくれないか」
 自ら腕を解くことはかなわなかった。力が入らない。このまま、この暖かさのなかにいたい。
「嫌だ。ユアン、お前のことは私がどうにかして守る。私と一緒に逃げてくれ。お前が出て行こうとしているのはわかった。でも、一人で行くな」
 彼がとった沈黙を了承と思ったのか、クラトスがそっと唇を寄せてきた。もとより抵抗する力はなく、静かに目を閉じ、受ける。何度も夢みたそれは、甘く、温かい。しばらくして、静かに離れる唇を追い、両手でクラトスの顔をはさむと、今度は彼から口付けを与えた。もう、取り繕うことのできないこの感情。クラトスもさきほどの躊躇うような口付けとは異なり、強く彼に応える。やがて、互いに背に手を回し、二人の鼓動以外何も感じられない。沸騰したような彼の感情は、クラトスが息をはずませて一歩動いたことで、治まった。
「すまない。お前の気持ちは嬉しいが、私はお前といられない」
「ずっと一緒と誓ったではないか」
「子供時代の戯言だ」
「ユアン、私はお前をずっと」
 クラトスの口を己の口で再度封じ、それから、軽くクラトスの胸を突き放した。
「それ以上言うな。聞きたくない」
 はじかれたように、クラトスが顔をあげ、それからゆっくりとうつむく。


 このまま共にいられればと夢のようなことを考えながら、クラトスを見遣る。
 ありえない。
 自分を守ることもできないものに、他のものを守ることなどできるはずがない。クラトスを守ると誓ったのに、いつも、守られていたのは自分だった。今まで人に愛されたことのなかったものが、きちんと愛を返せるはずがない。大切なものを守れるはずがない。ましてや、クラトスはここにいれば、王族。彼はただのやっかいもののハーフエルフ。


 託そうと用意していたものを密かに手にとる。クラトスは目を床に落としたまま、ただ立っている。口に静かに含み、そっと近づく。
 クラトスを抱き寄せ、その驚き見開いた美しい瞳をながめ、口付けを落とす。クラトスは口に流し込まれたものをためらわずに飲み込んだ。
「クラトス、これが最後だ。もう二度と会えないと思う。これは、お前が望んでいた魔道を人間が手にいれるためのものだ。しばらく前から人には黙ってに研究していた。お前の体がこれに打ち勝てば、望んでいたものが手に入る。この後どうすべきかは、すべて手紙にしたためた。読んでくれ」
 早口で囁き、胸をおさえるクラトスをソファへ横たえる。
「ユアン、一緒に」
 人間にとって、この薬の苦しみは尋常ではないはずだ。なのに、何も問わない。
「クラトス、何を飲ませた聞かないか」
 答えがない。目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。
「愛していました。あなたとずっといたかった」
 返事のない体の横に身をかがめ、うっすらと汗を掻いている額に、うやうやしく口付けをする。力なく落ちているクラトスの指がわずかに動いたが、彼は気づかなかった。


 静かに、王から与えられたものはすべてはずす。最後に母がつけていた金の髪留めを置く。手早く髪をまとめ、急いで旅装束を纏う。手紙を目立つところに置いた。最後にクラトスをもう一度だけ見遣り、金の髪留めへためらいがちに手を伸ばし、それだけは合切袋に入れる。
 時間がない。高い窓から外をみやり、雷撃で格子を破り、そっと庭に下りれば、明けきらぬ空の下、すでに夏の濃い花の香りが強く立ち込めていた。


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