聖夜のお話

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思い出

「ユアン、雪が降り出したよ。外を見てごらん」
 クラトスの声が聞こえる。
 窓の外を眺めれば、確かに音もなく白いものが散り始めているのが見える。この日は、王国を立てたと言われる聖人の日だ。当日、雪が降ると奇跡が起こるとまことしやかに伝えられている。
 今夜は聖人の日の祝いをするため、クラトスの屋敷に招待された。豪華な正餐をいただいた後、クラトスとユアンは館の子供部屋に残され、主席官は奥様と一緒に王宮の礼拝堂へと出かけていった。王族にはしきたりがあり、成人をすぎなければ、これから2日間の儀式には参加することができない。
 二人きりで、クラトスの部屋の赤々と燃える炉の前で寝転び、学問所の友達がしていた聖人の日に起きた奇跡の噂話などをしながら、最近流行っている陣取りゲームをして遊ぶ。駒を指しながら、クラトスが伝える同級生の噂話はどれも奇跡というにはたわいのないものばかりだ。
 クラトスは純真に信じているが、彼もこの日の奇跡だけはあるかもしれないと思うことがある。


 孤児院にそのままいるのも悲惨であったが、今も決して他の者が思うような居心地のよい世界ではない。前は死と本当に隣合わせだったが、今はそういう意味での苦しさはない。しかし、孤児院を出るときに得たと思い込んだものはすべて幻影であり、皆がうらやましがってくれたものは、彼にとっては、外見のよいだけの牢獄だ。
 どちらを選ぶかといわれれば、孤児院を再度選ぶだろうか。それとも、クラトスがいる今のこの場所だろうか。たまに確信を持てないこともあるが、今日だけは孤児院のあの出来事を思い出す。


 雪がちらついた晩の冷え切った孤児院の大部屋のできごとは、遠くのできごととなってしまった。
 修道僧は彼らのできる範囲で精一杯子供達を慈しんでくれた。それは、本当だ。でも、愛とお題目だけでは、成長期の子供達は生きていけない。成長すれば、衣服を変えねばならない。一日でも食を抜けば、すでに栄養失調に後一歩の幼い彼らにとっては、死活問題だ。病気になるということは、それだけで死へ向っていることと同じだった。
 彼はすでに就学の年齢は超えていたから、修道僧から頼りにされて、大部屋の自分より小さな子供達の面倒を見ていた。お仕着せの服はすぐに傷み、繕ってももう直せず、皆、体にあわない大きな服をまとっていた。冬でも裸足のままで過ごす子供も多く、寒さでかじかんだ足には瘡蓋ができ、栄養失調から治らないものも多かった。
 彼も、もう少し体力があれば、少しの知識があれば、癒しの力を揮えたかもしれないが、ハーフエルフもエルフも身近にいなかったから、持っている力の使い方を教えてくれるものはいなかった。


 あれは、春に入ってすぐだったろうか。
 子供の彼の目から見てもひどく儚く清らかな感じのハーフエルフの子供が孤児院に連れらてきた。深い傷を負った母親はその目的地の前で力尽きたらしく、その子は王都の門の前で倒れている母の側に呆然と立っていたらしい。孤児院に来てからも、まったく口を利かず、彼によく似た大きな青い目を見開いたまま、じっと椅子に座っている。他の子供たちも、新入りの子供のこの世のものとは思えない雰囲気に遠巻きに眺めている。
「君にはおいしくないかもしれないけれど、食べた方がいいよ。ここでは、食べられるときに食べないと、後悔するからね」
 ユアンは修道僧から頼まれ、彼よりわずかに年下に見えるその子の面倒をみる。
 血で汚れていたその子の服はそれでも孤児たちのお仕着せに比べれば、しっかりとしたもので、彼は丁寧に洗ってやる。身寄りがいるなら、すぐにでも出られるだろうが、衣服は貴重だ。大切にしなくてはならない。あわせて、身の回りのわずかなものを、大部屋にずらりと並んだ粗末な寝台の下の籠にいれてやる。水のように薄いスープと硬いパン、噛み切るのにも時間のかかる乾し肉を動かない子供の前に運んでやる。
 三日目に、その子は初めて、答えてくれた。
「ごめん。あなたは、他の子の面倒まで見なくてはならないのに、僕まで迷惑をかけているね。ユアン」
 自分をずっと観察していたのか、名前まで呼んでくれたのが嬉しくて、少し笑いかけながら、その子の顔を覗き込む。
「君の名前はなんと言うの」
「ユリウス。ユアンはここに長いの。いろいろと知っているよね」
「生まれてからここにいるんだ。だから、この部屋では一番長いかもしれない。君のお母様がなくなられて残念だったね。でも、お母様の顔を知っているだけでもうらやましいな」
 その子はひどく悲しそうに下を俯いていたが、最後の言葉に、彼の方を見る。
「あなたは、お母様を知らないの」
「ああ、父様も母様も知らない。会ったこともないし、名前も知らない。そういう子がここには多いのさ。だから、ずっとここにいる。君のお父様はどこかにいるの」
 その子は黙って頷いた。彼はひどく羨ましく感じながらも、その子の手を握り、励ます。
「良かったね。お父様がいるなら、すぐにここを出られるよ」

同じハーフエルフということもあり、しばらくするうちにすっかりと親しくなる。ユリウスが彼にマナを扱う初歩を教えてくれた。修道僧にも他の孤児達にもこっそり、夏の盛りの畑の作物の後ろで、二人は練習をした。
「ユアンって、すごいね。僕とは全く違う力を感じるよ。まるでエルフみたいだ」
「エルフのこと、詳しいの」
「ああ、ここに来る前、ヘイムダールというエルフの村に住んでいた。父様はそこにいたエルフさ」
「ずっと、そこにいれば良かったのに、どうして、ここまで来たの」
「母様がどうしてもお祖父様とお祖母様に会いたくなって、父様より少し前にこちらに二人で出発したんだ。だけど、こんなに戦が激しくなっていることを知らなくて、隣の国でずいぶんとひどい目にあった。命からがらにこの国に入った」
「じゃ、すぐにお祖父様とお祖母様に連絡を取ればいいのに」
「お母様の村には行った。だけど、村は戦で荒れて、村人はみな逃げ出して、お祖父様とお祖母様は二人とも死んでいた。そこで、お母様は夜盗に襲われた。お母様を助けてもらおうと、王都まで逃げてきたのに、間に合わなかった。あいつらは絶対に許さない」
 ユリウスは、ここにきた経緯をようやく話してくれた。
「お前の父様はこちらに迎えに来てくれるのだろう」
「ああ、そのはずなんだけど、こうなっているのを知らなくて、お母様の村にいったのかな」
 心細くうなずく少年の小さな体をいたわるように抱きしめる。慣れないここの生活と暑さですっかり痩せている少年は、ユアンに体を預け、だるそうに息を吐いた。


 秋になると、ひどく悪い風邪が流行った。新入りの子供はそのような風邪に罹り慣れていないせいか、他の子よりも早く感染するし、ひどくなる。ユアンは経験的にそれに気づいていたので、その少年にもなるべく暖かく過ごせるようにと気をつかう。
 しかし、小さな少年は、ユアンが気をつけてやっていたにも関わらず、栄養が偏っていたのか、まだここになじめていなかったのか、知らぬうちに風邪をひろい、わずかに咳をしていたかと思うと、もう肺炎に罹ったかのように高熱を出す。
 あの聖人の日も雪が降っていた。傾きかけているとはいえでも由緒ある修道院では、厳かに式が行われていたが、大部屋では多くの幼い子供がたちの悪い風邪で臥せっていた。ユリウスも真っ青な顔で咳き込み、食べ物ものどを通らないようだ。
「ユアン、寒いよ」
 少年ががたがたと体を震わせながら、小さなベッドの中で縮こまっている。しかし、少年が言うのとは裏腹に額に手をあてると異常に熱い。慌てて、居残りの修道僧を呼びにいき、帰りしなに冷えた水と布を手に駆け戻る。呼吸も浅く、息苦しそうな少年の額に水で冷やした布をあて、その手を握る。
「がんばって。お医者様がくると言っていた」
 少年はうっすらと目を開き、ユアンの手をとる。
「お父様はいつ来てくださるのだろう。ずっと、待っているのに、もう、会えないかも知れない。ねぇ、僕がお母様のところにいったら、お父様にここでは楽しそうにしていたと伝えて。それで、君が僕のかわりにヘイムダールに行くんだ。君の両親を探して」
 こんな苦しいときにまで、人に気を使っている。こんなだから、ここの生活になじめないのだ。ここでは自分だけが頼りなのだから。
「馬鹿なことを言ってはいけないよ。お父様が分かっているお前がそんなことを言ってはだめだ。絶対にお前のお父様は来るよ。だから、しっかりして、元気になって待っていよう。今は病気を治そう」
 周りに他の孤児たちも集まり、ひどく心配そうに立ち尽くす。こうなって治った者を誰も知らない。せめて、部屋を暖かくできればいいのに、ここには何もない。修道僧が慌てて修道院の薬師を連れてくる。でも、その老人にも手を施せないだろう。薬師の顔つきも厳しい。
 ユアンには見える。少年のマナが揺らいでいる。どうしたらいいのだろう。何かができるはずだ。
 薬師が首を振って、少年の横たわる寝床の横から立ち上がる。周りの孤児たちも修道僧も後は祈るだけだ。だけど、祈りが通じたことなんて一度も見たことがない。奇跡なんてありえない。他に何かしなくてはならない。
 少年が虚ろな目で誰かを探している。寝床の横に膝をついて、少年の手を握る。マナが乱れている。どうすればいいのだろう。少年が教えてくれたように、手にマナを集中する。何を集めればいいのかわからないが、少年のマナを整えるようにと意識をそこへ注ぐ。少年が薄っすらと再度目を開いた。
「ユアン、ありがとう。暖かくなったよ」
 浅い息がゆっくりと弱まってくる。そのきれいな青い目は開いているのに、もうどこも見ていないかのようだ。
 待って。お願いだから、まだ、ここにとどまっていて。
 祈りの代わりに、再度、意識を研ぎ澄まし、彼でできる限りのマナをかき集める。しかし、注ぎ込む先はまるで割れた花瓶へ水をいれるように消えていくだけだ。彼自身も気が遠くなっていく。


 突然、彼をも押し包むように温かい力が溢れ出した。振り向くと、金髪の少年に良く似た、しかし人間とは明らかに異なる雰囲気を漂わす背の高い男が息をはずませてそこに立っていた。
「ユリウス」
「お父様」
 少年が弱々しい声で呼んだ。少年の父は息子の側にゆっくりと近づき、ユアンが握っている手の上から彼の手を重ねた。今までとは異なるしっかりとした道筋を作って光を放つ癒しのマナが彼にも少年にも注がれるのを感じる。
「私の息子を救ってくれてありがとう」
 ふらつきながらも、どうにか、少年の寝床の横を空けると、その男はたちまち息子を薄い上掛けごと抱きかかえる。
「ユリウス、遅くなってすまなかった。季節が悪くなって、山道に思わぬ時間を取られてしまった。だが、もう大丈夫だ」
 ユアンがそっと側を離れる。あっけにとられている他の孤児や修道僧には見えなかったかもしれないが、二人のマナが互いに輝きあい、絡まりあうのが見える。この神聖な光景を決して忘れないようにじっと見つめる。少年は、安心したのか、しばらくすると目を瞑って眠りへ入っていったが、もう、呼吸は安定していた。


 三日後に二人は孤児院を去っていった。孤児院の門から見送る孤児たちやユアンに少年は何度も、何度も振り返りながら、手をふっていた。敷石に降り積もった雪の上に二人の足跡がくっきりと日に浴びて見えたのが思い出される。
 エルフである少年の父は彼にマナの扱い方を丁寧に教えてくれ、少年と二人で彼らの故郷であるヘイムダールについて語ってくれた。二人は彼に共に来るように誘ってくれ、彼も一緒について行きたかったが、一方でここに捨てられてからには、父か母が探してにきてくれるかもしれないという思いに、離れることは選ばなかった。
 少年からは数通の手紙がきたが、彼の両親のことはわからないと残念そうに書いてあった。それはそうだろう。どちらがエルフなのか、人間なのか、年齢も、名前も、顔も、何もわからないのだ。そう、簡単にみつかるはずはない。
 今も忘れない聖夜のできごと。聖人の日のできごとは確かに奇跡で、あのときあそこに居合わせた孤児、全員の夢がかなった瞬間だった。どこにいるか分からない両親が自分達の苦境を知れば、確かに助けにきてくれるという果てない夢をもう一度胸の奥底に抱くことができた。互いにあの少年の思い出を口には出さずとも、心の中で何度も思い出して、それを糧にあの冬を過ごした。


 炉の薪が崩れる音にびっくりして飛び起きる。
 クラトスと一緒に炉の前に引いてある敷物の上でうたた寝をしていたようだ。あのときから、何年、立っているのだろう。あれが奇跡なら、今日も奇跡のような気がする。この瞬間を何も思い煩うことなく、もっとも信頼できるものと過ごせることを奇跡と称さずしてなんと言うのだろう。このときを輝かせるものはすべてそうなのだ。
「クラトス、わからないの。奇跡はそこにあるんだよ」
 クラトスに囁きかけ、そして静かに起き上がる。大きな硝子の窓の外はもう真っ白に厚く雪におおわれ、木々の陰だけが黒々と見える。
 隣の寝室から毛布を持ってくると、クラトスの上に起こさないように静かにかけ、彼も一緒に横に入り込む。
 もう、あのハーフエルフの少年の顔は、あの心を焼き尽くすような両親への渇望は、遠くおぼろになってしまった。その代わりに彼の横で平穏に眠る赤茶色の髪の少年が彼の心を暖め、彼を支えてくれる。


 窓の外の雪はいつのまにか止み、凍てついた冬空に青いとも感じられる月があがっている。月光は、木々に降り積もった真綿のような雪を明らめ、枝の間から窓へと差込み、火の弱くなった炉の前に窓枠の影をうっすらと落とす。物音一つしない灯の落とされ温もりのこもった部屋のその真ん中で何も気づかずに眠る子供たちへも、やがて青白い光の筋が届き、まるで大地の祝福が彼らへ与えられたかのように、わずかに煌めく。
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