聖夜のお話

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奇跡

 北の遥か果てにあるそこは小さな島が入り乱れ、その場所を精通し、しかも小船の扱いにごく慣れた漁師でなくては、入り込むことも適わない。袋小路のような奥深い入り江が、舷側が岩に触れるほど狭くなった先に位置している。かと思うと、広く先が深いと見せかけて、急に浅瀬になっている。浮かぶ島々はどれも上陸を阻むように、海際からすぐに急峻な崖となり、その先は狭まった航路からでは見上げることもできない。氷の精霊の支配を受けるそれらの島々は、見えない頂に白い冠を受け、その狭間の水路で生じる音をも吸収する。


 さきほどまで、フラノールの教会と町の間に生じた揉め事を治めるために雪の道を右往左往していた。
 ここは他の大陸とは離れているから、それ相応の手段がなくては普通のものは訪れることはない。つまるところ、裕福なものだけが訪れる冬の逗留場ともいえる場所となっている。その分、宿屋や貴金属の販売をする商人達の力は強く、本来、この町の精神を支配すべき教会は町のはずれに祭り上げられ、眺めだけは大層美しい、しかし、扱い難い町を見下ろすだけだ。
 この町の商人の娘が教会のスクリーニングに引っかかった。多くの候補の中からその血統を誇るべき一族として選ばれたのだ。これが、他の町であるなら、皆、大喜びで教会に奉じるものを、商人は妻ともども、娘を手放そうとしない。それどころか、すでに言い交わしたものがあるから、どうにか許してくれと親子ともども、教会に泣きついてくる。教会の司祭が、はては、海を離れた遠く都の教皇の使いまで訪れ、説得するが、頑なに家族は認めない。それどころか、町長や有力な商人まで嘆願書を出すにに至って、教会と町の間は今まで以上に険悪となる。
 教皇からの訴えが上部まで届き、最終的にはクラトスが直接介入するところまで、事はこじれる。宗教の根本を覆さないためには、例外は許されないということを示す必要があるが、ここまで騒ぎが大きくなると、一つの町の問題だけではない。その町を訪れるものから、裕福な商人の係累、その取引先、果ては、都とそこにある大聖堂までをも揺るがす。


 クラトスも最初は娘とのぼせあがった若者に別の夢があることを囁く程度で治まるものと高をくくっていた。現実的な娘が、至高の存在である神子の血筋に連なることによって得られる名声や富に揺らがないはずはないと考えていた。だが、二人の心はすでに固まっており、若者も娘も、周囲の甘い囁きから厳しい説得までありとあらゆる手段による懐柔を頑なに拒否している。
 そうこうする内に、両親と町が一体となって、都からの教皇の使者を受け入れないようになると、それは教会の問題から、地方の反乱へと騒動が格上げされ、いよいよ見過ごせない事態となる。
 クラトスは、裏から教皇およびその一派が軍を煽ることがないように見張りながら、町の自警団と教会との間の諍いが暴力沙汰にならないよう、こちらも人を送り込む。それでなくとも、自由闊達な気風の商人達は、現在派遣されているやや押し付けがましい教会の司祭と気が合わなかったこともあり、あからさまに教会の指示を無視する。都も教会の面子とは別に、町の行政そのものが統治を受け付けない気配を察し、ついには、軍が動き出そうとする。


 クルシス内部でも何度も議論され、軍による介入はせっかく落ち着き、着々と進行しているシステムを壊すことになると案じられ、民により強力な宗教による示威を見せつけ、解決を図ろうと結論される。
 ユグドラシルから、誰しもが納得のいくように娘と神子を結びつけるような奇跡を起こすようにと求められ、ユアンはしばらく答えを返さなかった。当初の会議でもクラトスの報告までは聞いていたふりをしていたが、途中から上の空で議論に参加しなくなり、ユグドラシルが数回問いただした後も、否とも是とも言わず、そのままふらと部屋の外へと出て行った。その後、彼を捕まえて、真意を問いただすクラトスにも返事をせず、沈黙していたが、さすがに内乱は避けたいというクラトスの泣き言を聞きいれたのか、いらだったユグドラシルの再三の指示に重い腰をあげたのは、先週だ。
 散々、ユグドラシルの愚痴を聞かされ続けていたクラトスのところにふいとユアンが現れ、あらましを聞いてから、いかにも気の進まないようにつぶやいた。
「下らないことだ。貴様が部隊を率いて、無理にその相手とやらを引っ立てればいいだけではないか」
「ユアン。私の力不足ですまない。事を荒立てないようにするつもりだったのだが、うまく行かない。私達が部隊を率いるようなことがあっては、さすがに現在大人しくして様子を覗っている他の町の商人達と都、ひいては教会との間で軋轢が生まれそうだ。ここ数十年、戦乱もなく落ち着いているだけに、民もご神託さえあれば、血を流さずにうまくことが進むと思う」
「クラトス。貴様は奇跡を信じるのか」
 唐突にユアンがたずねる。
「正面きって聞かれると難しいな。子供のときならいざ知らず、今となっては奇跡なぞ、信じられないかもしれないな」
「貴様だってそうだろう。奇跡を信じないものは、奇跡を起こせるはずがない。だから、私はずっと断っていたのだ。信じていないものを信じさせるのは無理がある」
 クラトスははっとして、ユアンを見る。再生システムそのものを信じていないと暗に訴える彼自身のことは、何も考えていなかった。慌てて、言葉を捜すクラトスの肩を軽くたたき、ユアンが少しだけ微笑む。
「しかし、貴様の言うとおり、無駄に血を流すのは最も避けたい事態ではある。せいぜい努力してみるが、あまり、期待はするな」
 そういうと、ユアンは何か考え込むように中空を睨み、ため息を一つついて外に出て行った。


 神託を待つようにとの指示が教皇にも都にも伝えられる。同時に、雪の町の商人達も憤然としながらも、神託がかの娘が神子へ嫁ぐと定められた日に降りるから、教会で待つようにという指示を呑む。さすがに、彼らも都からの軍隊がぐるりと町を取り囲む自体に教会の指示を強行につっぱねることはしない。
 当日の朝には、軍が見守るなか、教皇の使者と司祭が娘とその相手となるべきである神子を連れて教会に入る。一方、両親達に見守られた娘もしかるべき支度をして、家で出立の時刻を待つ。娘の最も大切な若者はその場に姿を見せない。クラトスはユアンの配下が前夜からこっそりと準備をしていた教会の入り口付近に人を配置し、滞りなく神託が下るように警備を強化する。部下への指示や町の外の軍の監視などに追われ、ユアンの姿が見えないことに直前まで気づかなかった。
 いつもなら、このようなときには彼の傍らで事の推移を見守るはずの相手は昨日からとんと現れない。万が一を思い、ユアンを探そうとするが、もう時間はたち、顔面を蒼白にして今にも倒れそうな娘が教会へと進む。後に付き添う両親たちの顔も深刻だ。
 その道は突然、娘の前で青く燃え上がった。はっと息を飲み動きを止めようとする娘はわずかに空中に浮きあがり、回りからは驚嘆の声があがる。
「神託が下されようとしているぞ」
 教会の入り口に待ち受けていた司祭が声を上げる。教皇の使者もこのできごとに厳かに頷く。入り口前に立っている神子も予想外のできごとに驚いている。
 娘は驚愕の表情を浮かべ、全身を真珠色の光に閉じ込められたまま、彼女の前に燃え上がる冷たく青い炎の道を浮き上がったまま進む。ユアンはこういうことに関しては、なんのかんの言って、手抜きをしない。いつも驚くような仕掛けを作りあげる。クラトスもあらかじめ凡そのことは聞いていたが、実際に見ると回りの民と一緒に神託を信じそうになる。
 青い炎の道はじわじわと前へ進み、神子のいるところまで延びるかのように見えたそのとき、突然、予期しない雷鳴が轟き、その道の前に例の娘と誓い合った若者が娘と同じく光の渦に巻かれながら浮かび上がる。
「神託は下された」
 クラトスは突然、彼の横にいないものがどこにいるのかを理解する。
「神は、その者達の真心に免じ、その者達の願いを聞き届けた。神子には新たに南の島へ神の恩寵を求めるようにとのことだ」
 再度、派手な音とおもに教会前に火花が散ったかと思うと、神子の姿が消えていた。
 民から驚きの声が上がり、やがて、それは神託に寄って許された二人への祝福と賞賛の拍手となる。今、二人は全てのものに赦され、教会の入り口へと歩む。
「よいか。神聖なる二人の婚姻は天にも祝福される。今宵、天空からの神の予兆を待ち、婚儀をあげることとする」
 司祭の重々しい言葉に二人は膝をついて了承した旨を示し、後は回りを娘の両親を筆頭に祝福するための知り合いが押し寄せる。司祭は周りをゆっくりとながめ、今見せられた奇跡を喜ぶ民たちに厳かにうなずきながら、成り行きに驚いたのか、目を白黒させたままの教皇の使者を丁重に教会に招き入れ、そのまま、扉を閉じた。
 教会の外では、女神の恩寵を称え、民衆の歓声がこだましている。


 クラトスは黒く冷たく揺り動く海を下に、その波の音をも吸収する険しく細い島の間を通りぬけながら、マナの気配を探る。
 あの後、教会に入ると、すっかり驚きに腰を抜かしたような教皇の使者と何を自分で話したのか覚えていない様子の司祭を見つけた。ここまで来ると、ご神託をないことにはできないから、司祭には今宵の予兆を待ち、予兆が起きなくとも真夜中に婚儀をあげるようにと言い渡し、配下のものにも、恙無く婚儀が終わるまで教会の周りと娘と若者を警護するように指示を出した。
 この驚天動地の仕掛けを作り上げた張本人はさっさと姿を消したようで、予兆とは何が起こるのか配下のものに聞いても要領を得ない。確かに、町の商人たちも今やすっかり教会を信頼しており、予想以上の効果があったと言えるだろう。神子の行方だけはと思っていると、ユアンの配下から、都の神子の家に無事立ち戻っていることが告げられる。何から何まで仕掛けながら、一言も彼に言わなかったのだと思うと、急に先週の大切な者のため息を思い出し、彼に黙って何かに拘っていたことに気づく。
 彼を探し始める。どうして、自分にまで黙ってこのようなことをしたのだろうか。その真意を聞かなくてはならない。探る愛しい者のマナの気配は遥か遠く海にあることが分かる。そのまま、慌てて跡をたどり、真白になった頂きを抱える島々を上から俯瞰し、海峡の合間を探る。


 わずかに他の島より高い、きれいな円錐形をしたような切り立った島の頂きに、星が瞬く冷たく青い空を見つめるユアンが座っているのをようやく見つけ、そっと横に降り立つ。何も言わないユアンをしばらく見つめていたが、躊躇いがちに声をかける。
「探したぞ。なぜ、私にあのことを言わなかったのだ。それなら、それで、他のものへの口封じはしたものを」
 彼が問いただせば、ユアンは天空を見たままの姿勢で答える。
「貴様にまで責めが及んではな。時間不足で手違いがあったとでも言えばよいであろう。思惑とおりにならなくてすまなかった」
「お前がすることに反対をするつもりはなかった。私はこの町が治まっていればそれで十分だ。ただ、お前の考えをあらかじめ話してほしかった。私にまで、隠し事をするな」
「すまない。クラトス。たまには教会がいつも主張しているとは別の見解を出すのもいいだろう」
 ユアンが彼を下から苦笑いを浮かべて見上げて、それから、また天へと目をやる。どうやら、ここを離れる気はなさそうなのを見てとり、クラトスも横に座り、天空をともに見る。
「何を見ている」
「予兆を待っているのだ」
「予兆はお前が起こした」
「あれはおままごとだ。私が待っているのは本物の天の予兆だ。彗星が近づいている。デリス・カーラーンとこの星の二つに引き付けられ、大掛かりな流星が見られるはずだ。我々が関与することのできない真の自然が仕掛ける壮大なイベントだ」
「だから、さきほどはあのようなことを言ったのか」
「ああ、あの司祭の口を借りて、言わせた。きれいごとだろうか。だが、もう一押しあれば、大聖堂と教皇も納得するであろうと思った」
「ユアン、私には教えてくれ。本当の理由は何だ。お前がユグドラシルと教会のことについて意見を異にしているのは分かっているが、だからと言って、いつもなら出来ないとデリス・カーラーンできっぱり断るだろう。今回だけ、どうして地上であのようなことを仕組んだのだ」
 ユアンはしばらく答えず、空を見続けている。答える気がないのだろうと一抹の寂しさをクラトスが感じた頃にようやく小さな声が聞こえた。
「クラトス。今日が何の日か話したことがあっただろうか」
 クラトスはユアンの方を見ると、ユアンは彼の方を少し見て、また目を逸らすことに気づく。自分に聞かせたくないことなのだと悟る。だが、それだからこそ、自分にだけは全てと告げて欲しいとユアンに言いたい。聞くのが恐いが、それでもたずねる。
「分かっている気もするが、お前の口から聞きたい」
「今日は……、どうしても私の口から聞きたいのか」
 答えは返さずに、ユアンを強く抱きしめる。ユアンは少しだけ彼の腕から逃れようと体を強張らせ、彼がわずかに力をこめれば、そのままあきらめたように彼の肩に頭を預け、彼の背中に手を何かに縋るように回し、息を整える。
「今日は私とマーテルが婚約した日だ」
 ユアンの声が少しひび割れ、それが今日という日を彼がまだとても大切に考えていることを知らせる。その事に少々胸が痛むが、それ以上に彼に素直に伝えてくれることに、安堵と愛しさが押し寄せてくる。
「クラトス、この前は言い出せなかったのだが、デリス・カーラーンで見せられたあの娘の声が、面影が、まるでマーテルのようだった。別に外見が似ていたわけではないが、そこに込められている想いがマーテルを思い出させた。そして、この日だ。二つのことが私の中で分かったとたん、どうしても、ユグドラシルの望むことを起こすわけにはいかなくなった。彼女を泣かすわけにはいかない。私にはそんなことはできなかった。だけど、そのことを貴様に伝えるのも憚られた」
 ユアンは一気に言葉にすると、そこで彼の肩に顔を寄せ、しばらくしてからぽつりと言った。
「こんなことを言ってすまない」
「ユアン、馬鹿なことを言うな。それも含めて、そんなお前だからこそ、私はお前を愛しているのだ。何も謝ることはない」
「クラトス」
 ユアンの甘く彼の名を呼ばわる声が熱い吐息とともに吐き出され、彼の胸を震わす。


 突然、天を斜めに流れ星がよぎる。それを合図のように、天頂のわずか東の方から南へと、細い筆で引いたように星が流れていく。その数は夥しく、数えることもできないほどだ。天空は俄かに明るくなり、確かに予兆ともいえる美しさだ。
 その荘重な天空の下で、彼の肩とも胸とも付かないところに頭を預けたまま上をみやる想い人は、昼の明るさとは異なる抑えた光を浴び、どこかへと消えいきそうな、この世に執着のないエルフの危うさを見せる。手放せないとさらに肩を強く抱けば、少し目をふせ、それでも彼へと体を寄せてくる。
 この星の下で、教会に許されたあの二人は祭壇へと歩んでいるに違いない。家族や親しいものに見守られ、この厳かな星空の下で、互いの愛を誓いあう。何も阻むものはない。
「幼い頃、聖夜を迎える前に我が家で過ごしたのを覚えているか。聖夜の奇跡の話をすると、お前はてんで信じていない風に私の話をいちいち、否定していたな」
 クラトスが唐突にたずねる。ユアンもあのときのことは覚えている。
「そんな私がこのようなことを仕組むのはおかしいか」
「いや、あのときは奇跡が何なのか分かっていなかった。だが、今は少しは分かったような気がする。」
「どういう意味だ」
 ユアンが流れ星の瞬きを目に映しながら、クラトスを見上げる。決して手に入らないと思っていた者が腕の中で彼だけを見つめるこの瞬間ほど貴重なものはない。
「お前と共にあるこのときが奇跡だといったら、お前は笑うか」
 クラトスがユアンの肩をさらに強く抱き、両腕で彼の胸のなかに閉じ込める。
「ユアン、今私は奇跡を信じてよいのだろうか」
「ああ、私も信じてしまいそうだ。永遠の愛を」
 ユアンが、胸に強く押し付けられた顔を彼を見上げるように持ち上げ、唇は彼を求めるようにかすかに開き、クラトスの問いに静かに答える。
 クラトスを誘うその唇から漏れる吐息が彼の胸を高揚させ、クラトスの首に冷たい両腕が回され、熱い息がクラトスの顎を撫でる。ユアンの唇が軽くクラトスの顎に触れ、わずかに上へとゆっくりと動き、長い睫を伏せながら再度彼の名前を呟こうとしたそのとき、クラトスはもう待てないとばかりに、いきなり腕の中の者の唇を奪う。愛しい者の冷たく滑らかな髪の感触を手に感じながら、クラトスのそれに応える熱い唇を存分に味わう。
 そのまま、冴え冴えとした冬の夜空の下、こぼれ落ちる流れ星だけを証人に、長い誓いの口付けを互いに送りあう。


 星の煌めきが収まるころ、寒さは一層厳しくなり、天の水滴はその冷たさに空中で水晶のくずと見まごう氷の結晶へ姿を変え、どこまでも透明な冬空の中、星明りに輝き、頂きの二人を取り巻く。落ちてきた星屑かと思わせる、そのまじりけのない水晶の輝きはさきほどの嘆きを喜びに変え、地上の愛を、離れた場所でそっと見守るもの達の秘めやかな愛をも称える。
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