春のお話

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朧月夜(その一):公私混同

 机の上に積まれている書類を適当に眺めていてたとき、ふとそれが目に留まった。単なる地上のささいな出来事の羅列の中に何かひっかかるものを感じる。古い都の跡地が見つかり、人間達が調査しているというほんの数行だけの報告だった。だが、その位置に気になるものがある。その地名は何も思い出させなかったが、記されている位置には記憶があった。
 そうだと確信を持ったわけではなかったが、急に確かめたくなる。彼が立ち上がり、黙って執務室から出ようとすると、両脇に控えている書記官達が慌てて追いすがる。
「ユアン様、どちらへ」
 すっかり、他人がいることを忘れていた。どうせ、残りの書類など、どれを誰が見ても変わりはしないだろう。
「急用を思い出した。私が左においたものは、お前達がサインをして配下に回せ。他は戻ってきたら、見ることにする」
 上官の気まぐれには慣れている書記官達は引きとめることができないことは分かっているが、だからと言って、ただでさえ残っている書類仕事を倍に増やされて、黙って引き受けるわけにもいかない。しかも、彼らで出来ることには限界がある。
「ユアン様、その書類はユグドラシル様から直々に受けているものですから、私どもでは処理しかねます。例の神託の日をいつにするかとの問合せです。本日中と承っておりますが、明日になってよいものでしょうか」
 今回の神子はまだ血が薄い。数回は待てといったはずなのに、何を焦っているのだろう。最初から適合しないものを呼び出すのは、却って時間の無駄だとあれほど言った。後は己の目で結果を確かめさせればいいのだ。
「地上で気になることがあるから、私がクラトスを訪ねていったと伝えておけ」
 まあ、まんざら嘘でもないしな。ちらと執務室の中を見回した。血統を記した神子の書類は執務室の一方の壁面を埋め尽くしている。まったく、無駄な資料だ。どんなに血が濃くなろうと、マーテルはこの世に唯一でなり代われるものなどありえるはずもない。だから、私がわざわざ無駄にことを進めてやる必要はない。
 いったん、思いなおしたかのように、部屋を見回し、しかし、上司はそれ以上彼らの言葉を待たずにさっさと姿を消した。仕事を押しつけられたことはともかく、今日はクラトス様の執務室が壊れる日でよかったと部下がほっとしていることには気づかない。


 訪ねた先に、肝心の人物はいなかった。クラトスの執務室には気心しれた彼の副官が数人の書記官達と一緒に何やら作戦を練っているところだった。壁面スクリーンに投影されている地形を見て、現在の衰退世界の神子がいるあたりと検討がつく。
 円卓を囲んでいた副官がユアンに気づき、敬礼をする。慌てて、他の者たちもコンソールから離れ、彼を迎え入れる。
「ユアン様、いらっしゃいませ。クラトス様は、さきほどからディザイアンの長と、新しい人間牧場の位置について相談されております」
「これは、その配置を確認するためか」
「いえ、ユグドラシル様からそろそろ神託をとの指示をいただきましたので、神子のいる付近を調べております」
「ちょっと、私にも見せてくれ」
 投影機に近づき、使い慣れたコンソールを勝手に調整し、さきほどの地形図を別の方角から俯瞰する出すように指示する。確かに偶然かもしれないが、例の遺跡調査の報告書の位置は神子の住んでいる側のようだ。
 これは、都合がよい。下調べということで、クラトスを引き出せるかもしれないな。いつも、仕事を優先する生真面目な恋人を用もない場所に連れ出す言い訳を作りだすのも結構、骨が折れる。
 ユアンが副官達と話をしていると、背後から聞きなれた規則正しく、しっかりと落ち着いた足音がする。
「ユアン、この部屋で何をしている」
 開いている扉の前で立ち止まり、いきなりクラトスのとがめるような声がする。本人はごまかしているつもりだろうが、これは機嫌が悪そうだ。副官達が慌てて立ち上がったかと思うと、直立不動の姿勢をとる。
「クラトス、貴様に会いにきただけだ」
 部屋へ入ってくるクラトスに向って、空気を読まない上官の想い人は、部下の手前であることも、恋人のご機嫌などはそれこそ物ともせず、ついと己の待ち人にと嬉しそうに近づく。その瞬間、副官が微動だにしなかったのは、訓練の賜物だ。他の下士官達は明らかに部屋の出口へと逃げ腰で数歩下がった。
 しかし、珍しく、クラトスはユアンのその動作に反応を示さず、軽く避けただけで自分の机の前へと座った。
「何だ。私を無視するのか」
「いや、ちょっと疲れているだけだ」
「揉めたのか。確か、今回の牧場のいる場所については、特に問題なかったはずだ。この前、ユグドラシルにも報告されていたし、あいつらも、あの新しい新参者も 今までの経緯は分かっているはずだ」
「実は……、お前達、ご苦労だったな。少しはずしてくれ」
 クラトスが言いよどんだかと思うと、ちらりと周りを見回し、部下達を外に出した。副官を筆頭に、さっと頭を下げたと思うと、素早く外に出て行く。
「そもそもあの施設自体、あまり、気分のよいものではない。しかも、今回の位置が人間達の町に近すぎる上に、規模が大きい。この前、ユグドラシルから聞いたときには、ほんの実験程度と言われた。だが、実験するには大規模だ。ユグドラシルも知らないところで、何か謀っているのではないだろうか」
「そうか。私もエクスフィアの件は直接関わっていないから、よくわからないが、お前が言っているのは、クヴァルとかいう新参者の施設のことだろう。違うか。そういえば、ユグドラシルも今回の人選では悩んでいたからな。何か、我々の知らぬ理由で動いている者がいるかもしれないな」
「お前からユグドラシルにそれとなく話してくれないか。正直、例の石を生み出す施設に関しては、私から言っても,最近ははなから聞いてもらえぬからな」
「私から言っても結果は貴様と同様だ。だが、確かに気になる。神託の話のときに、ついでに話題にしてみよう。それに、私も注意はしておくつもりだ」
「すまないな。もう、私の手では何も動かせない」
「それは、お互い様だ」
 そこで、ようやく、クラトスはまじまじとユアンを眺めた。
「ところで、お前はどうしてここにいる」
「さきほど、言っただろう。会いに来たのだ」
「仕事中だ」
「いつも、いつも、つれない奴だな。いや、クラトス、どうせ神託前の調査で貴様の部下を下に送るのだろう。どうだ、私と一緒に貴様も来ないか」
「お前もユグドラシルから指示されたのか」
「ま、それに近いな。先日、言ったように今回の神託はもう一世代、遅らせた方がよい。今のままでは、最初の試練からして受け付けないであろう。だが、それについてはもう意見は言ったからな。で、どうだ。確かめるために、私と一緒に行かないか」
 恋人はクラトスの目をじっとみつめながら、にっこりと微笑みかける。
「何を考えているのだ。ユアン」
 部屋に二人しかいないときに、そんな目で私を見ないでくれ。それに、そんなに近づいてくるな。ここは、執務室だ。しかも、私の机の上だぞ。
「クラトス、駄目か」
「わかった。ユアン、共に行くから、それ以上、こちらに来るな」
 制止するクラトスの気持ちなどこれっぽちも顧みられず、いつもの通り、遠慮のないハーフエルフの想い人は机越しに恋人へ口付けをしようと身を乗り出す。クラトスも恋人に触れられれば、我を忘れ、互いに身を寄せ合う。
 二人の間にある山のような書類は床へと見事に散らばっていった。
 散らばった書類の山は副官達が妙にとりすました顔で数時間かけて、丁寧に元に戻してくれる。その間中、クラトスが顔を赤らめて自分のうかつな行為を思い出す様に、部下がこっそり目を見交わすのは、いつものことだ。
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