クルシス十二ヶ月(番外編)

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木枯らし

 白々と凍りついた道に赤い飛沫が飛び散った。クラトスは断末魔にあがく敵をこれ以上苦しまないよう素早くしかし的確に急所を刺し、ゆっくりと剣を引き抜いた。いきなり抜けば血が迸る。返り血を浴びまいと考えるだけ余裕があった。固く凍りついた道の上を鮮血がたらたらと流れ、熱を失い、窪みに黒々と溜まる。血にまみれた剣を一振りすると、機械的にマントの端でぬぐい、そのまま鞘へと収める。
 作法と言われれば信じてしまうほど一連の動作は滑らだ。クラトスは己が熟練した剣士であることも、極めて効率の良い処刑人であることも、さらには、人間であって人間には受け入れられない存在であることも、十分理解していた。それゆえに、何も語らず、後も見ず、この場を立ち去った。
 背後に集落の者達の感謝の声が上がる。だが、彼は、その声を受け取る気もなければ、ましてや、今の行為への言い訳をする気ももない。依頼は依頼。仕事は仕事。金銭を解した枠組み以外のものは彼には不用だ。感謝の言葉はほんの些細な感情から、容易に反感へと変わる。何も殺さなくてもいいのに。誰かが漏らしたとたん、温かい視線がたちどころに凍りつく。
 剣を振るう彼の心の内など、誰にも分かりはしない。しかし、小さな憎悪が集まり、気づかぬ内に大きな波となり、結局は動かないと思われた巨大な岩石をも突き動かし、平穏なはずの地は全て怨念の汚泥に覆われる。
 傭兵が納得する理由と金額が提示できれば、誰でも仕事を依頼できる。しかし、傭兵は口数少なく、請け負う仕事の是非を、成否の言い訳を雇い主に語ることもなければ、逆に問うこともなかった。



 ハーフエルフは勤勉だ。どんなに夜更かしをしていても、朝は日が昇ると同時に動き出す。むろん、一緒にいる彼も同様だ。
 吐く息を白く凍らせる今朝の気温にクラトスはぶるりと体を震わせた。宿屋の外では、ユアンが慣れた手つきで井戸から水を汲みだしている。これだけ働いても、なぜこれほど美しい手をしているのだろう。クラトスは脇で同じく息も止まるほど冷たい水で顔を洗いつつ、同志の動きを追った。荒縄で手繰り寄せた桶がまるで貴重な陶器のように静かな動きで、ひび割れた琺瑯の器へと注がれる。扱う大きな手といい、桶の重たさを感じさせない動きといい、男のそれであるのに、優美で無駄がない。
「なんだ、クラトス。もう一杯水が必要か」
 クラトスの目線を勘違いしたのだろう。ユアンは空いた桶を再び井戸へと落とし込んだ。今さら、お前の動きを見ていたとも言えず、クラトスは大人しく目礼した。
「それにしても冷え込むな。今年一番の寒さだ」
 ぎしぎしと揺れる滑車を宥めるように動かし、ユアンが縄を上手に手繰る。荒縄を握る手元はまるでそれが絹で折られた飾り紐を扱うように優しかった。同じ仲間だと思えるだろうか。あの手なら、血飛沫に濡れたとしても、嫌悪を感じることもないだろう。白い指先から滴る真っ赤な血潮は凄まじい美しさだろう。
 だが、クラトスは自分の考えを口に出しはしなかった。一言でも耳にしたとたんに、ユアンが蔑んだ眼差しで彼を睨みつけるに決まっている。事実、ユアンや他の仲間の美しさは彼らにとっては有難くないどころか、厄介ごとを引き付けることも多い。妬みや嫉みは最初は小さな黒い染みに過ぎない。だが、人には在らざる長命や術を扱う能力に、整った容姿が加わり、留めようのない暗い羨望の渦へと育っていく。彼らが問う世界の理想など、真っ黒な嫉妬と理由なき憎悪の中ではまるで消えかかった蝋燭の炎ではないか。
 己の思考へと沈みこむクラトスへユアンが静かに尋ねた。
「寒さに凍り付いているわけではなさそうだな。先日の仕事で気になることでもあったのか」
 目の前の真鋳の器が傾けられ、水が石畳へと流される。
「いや、いつものとおりだ。特にどうということもなかった」
 桶を受け取ろうとする前に、ユアンはクラトスの前にあるゆがんだ真鋳の入れ物へと水を注いだ。
「それならよいのだが。では、もう一つだけ聞いてもよいだろうか」
 賢しげな青い目がクラトスに焦点を当てる。無遠慮に心の奥底まで見透かそうとする視線を瞬時睨みつけ、結局、クラトスが先に視線を逸らした。
「朝早くから井戸端会議をすることもなかろう」
 立ち去ろうにも、汲んでもらった水を無碍にするのも躊躇われた。
「こんな寒い日に何度も顔を洗うのはなぜだ。どこも汚れていないようだが」
 屈んだまま、クラトスは手の中にある水を見た。剣だこで割れた手の平に走る皺は血の筋ではない。爪の先に滴る冷たいものは水であり、温度を失おうとしている血潮ではない。震える手を眼前にある器へと沈める。かちりと歪んだ器が石畳に揺れた。
「お前がそういうのなら、汚れは落ちたのだろう」
 しばらくの沈黙の後、クラトスはようやく答えた。
「そうか」
 同じだけ長い沈黙の後、ユアンが嘆息したかのように答えた。そして、手にしたままだった桶を井戸脇へと置いた。ごとりと桶が井戸壁にぶつかる音とクラトスが水を切る音が重なった。
「助かった。先に部屋に戻る」
「びしょ濡れのままでは宿屋の女将に怒られるだろう。ほら使え。貴様は意外と無頓着だからな」
 彼が醸し出す重苦しい雰囲気をせめても和らげるつもりなのだろう。ユアンが軽口と共に、くたびれた布切れを差し出した。慎ましい生活の産物である布切れは、数年前はマーテルの衣服だったものだ。一針、一針、丁寧にマーテルが夜なべで縫っていた。
「不要だ。それはお前が使え」
 つっけんどんにクラトスはその手を押し返した。明らかに嘆息し、ユアンは布切れを差し出した手を引っ込めた。
「かなり長逗留しているからな。宿の女将にはあまりいい顔をされていない。細かいことで何かと文句をつけられてな。貴様のせいで、私が怒られるのは納得がいかない。ミトスが戻ってさえくれば、この宿からも動けるのだが……」
 整った面の上で形良い青い眉が寄せられる。
 マーテルの具合が良くないため、一行はこの地にすでに数ヶ月ほど留まっていた。姉のためにと、ミトスは各地を歩き回り、病の原因と治療法を探している。ユアンは彼の知識を総動員して、大切な婚約者の治療に当たっていたが、今のところはかばかしくない。結果、一行のふところ具合が淋しくなる度に、クラトスが村人から頼まれる請負仕事で外に出ている。
「まあ、それは良い。クラトス、教えてくれ。何に心を痛めている。貴様にいつだって無理を言っているのは自覚しているつもりだ。マーテルの前で出来ない話を聞いてもらっていることには感謝している。井戸端会議でもいいではないか。たまには心の内を教えてくれてもいいだろう」
 無言で立つクラトスの前にユアンが立ちはだかった。こうなるから、井戸端会議は嫌なのだ。どうして、こうも無神経にこの男は自分の心に踏み込もうとするのだ。クラトスは苛立ちを隠せず、ユアンの脇をすり抜けようと一歩踏み出した。
 冷え切った手がクラトスの二の腕を掴んだ。むき出しの肌にユアンの濡れた手の感触が広がり、冷たさだけではない戦慄きがクラトスを襲った。
「もうすぐ日が昇る。マーテルが目を覚ます前に聞かせてくれないか。湯を沸くまでは、まだ時間があるから」
 このところ、寝ている時間の多いマーテルを慮り、ユアンは毎日湯を沸かし、体を清め、手足を温めている。少しでも楽に過ごせるようにと、誰が見ても献身的に尽くしている。周囲の者が心配になるほど、その身を捧げている。いっそ、彼が倒れるのではないかと思うほどだ。そんなユアンになんの愚痴を言えばいい。だが、何も言わなければ、それはそれで気にするだろう。
 何を話すべきか、クラトスは注意深く考えた。そして、決意の息を吐き、了承と答える前に、琺瑯の器を持ち上げた。
「ここは冷える。竃の前で火を起こしてから話そう」


 裏庭には素泊まりの客のために、竃が用意されている。簡素な屋根をかけただけではあったが、それでも多少の冷気は遮られていた。ユアンも水を満たした真鋳の器を抱え、クラトスの後をついてくる。沸かした湯を丁度よい温かさにするために、使うつもりなのだ。
 寝ているマーテルの白い手を優しく湯に浸し、何度もマッサージを繰り返す。このところ、すっかり見慣れた光景となっている。たまに、この男が白く細い指先を我が手に乗せて見つめたところで、誰も文句は言えない。たとえ蒼白な指先が何も感じないと分かっていても、この男は性懲りもなく口付けを与える。ミトスも近頃は諦めたようだ。なにしろ、ユアンが唇を寄せれば、血の気の失せたマーテルの顔も少しは赤みが差すのだから。そのときだけは、ユアンもほっとした笑みを浮かべる。ほんの僅かな時間でも、仲間が笑えれば、それでいい。
 だが、少しぐらいは他の仲間にも微笑んでみてもいいのではないか。
 何を考えているのだ。クラトスは苦笑し、竃の火を熾した。薪の爆ぜる音を二人は黙って聞いていた。やがて、一際大きな炎があがると、クラトスは薪を新たに一本くべた。湯を沸かすにも暖を取るにも必要だ。火加減を確めようとクラトスはしゃがんだ。
「傭兵という仕事に飽きたのかもしれぬ」
 とうとつに語られる言葉に、ユアンが間髪入れずに答えた。
「すまない。貴様が請け負う仕事を斟酌していなかった」
 違う、と答える代わりにクラトスは竃の前から立ち上がった。竃の縁に寄りかかり、ユアンが琺瑯の器の位置を直す姿を黙って見ていた。
「次回、依頼が来たときは、私が行こう」
 淡々とユアンが付け加えた。
「そういう意味ではない。断じてそういうつもりで言ったわけではない」
 クラトスは慎重に言葉を選んだ。琺瑯の器がちりちりと熱に煽られて、音を立てる。欠けた縁から黒い地金が見えていた。美しく飾られた表の中に潜むほの暗い感情がわずかに現われている。自分からも何が漏れ出ているだろう。それとも、まだ見目よく繕われた表面にひび割れは出来ていないだろうか。目の前の男に気づかれぬ程度であればよいのに。
 なぜという表情のまま事切れた山賊の姿が脳裏を掠める。周囲の誰にも分かっていなかった。だが、今わの際で、あの野卑な男でさえ、クラトスから溢れ出た理不尽な怒りを感じていた。見事に心の臓をつらぬく刃に籠められた、あってはならない殺気。あのとき、倒れる山賊の上に誰の影を見ていたのだろう。誰にも悟らせてはならない。ましてや、目の前の男にだけは軽蔑されたくない。
 クラトスはようやく口を開いた。
「命を大切に出来なくなった……のかもしれぬ」
「貴様がか、そんな馬鹿な」
 高く響くユアンの声にクラトスが動揺した。どうしてそこで驚くのだろう。クラトスは真意を確かめるようにユアンへと顔を向けた。ユアンが彼の向こうの壁を睨んでいた。
「クラトス、貴様に限ってそれはない。それなら、とっくに我々を見捨てているはずだ。クラトスが倦むことにも気づかず、甘えていた」
 ユアンが一歩クラトスに近づいた。
「倦む……、その逆だ」
 低くクラトスは答えた。
 体の中に潜む彼の暗闇を金で依頼された仕事の中で霧散する。本来なら、あれほど冷酷に死へと追いやらなくてもよい相手に向かい、これほどはないというだけ機械的に死を与える。しかも、そこに流れる赤い血潮とその錆び付いた味こそが、彼の心が感じられる解放の証だ。重ねる別の死。渇望が生み出すあってはならない願望。
「楽しんでいるやもしれぬ。それが怖い」
 怖いのは楽しんでいる自分ではない。楽しんでいられる内はまだよい。やがて、それでも満足できなくなったら、自分は何をしでかすのだろう。渇望はしても、現実の物とならないと納得していたはずではないのか。
「ああ、クラトス」
 勘違いしたのか、悲嘆の声をあげてユアンがクラトスを抱きしめた。互いに冷え切った体が重なり、ぎこちなく冷たい手がクラトスの背中を撫でた。触れ合った胸から伝わる鼓動と息遣いの動きが伝わる。それは、血流をかけめぐり、クラトスの全身を痺れさせた。声無くあがったクラトスの悲鳴がユアンの背後へ白い息となって広がる。クラトスへと向いているユアンには見えていない。知られないと分かっていたが、それでも、クラトスはどうにか息を潜めた
「貴様まで、私と同じ場所に堕ちてくるな」
 予想外の言葉が耳元で聞こえた。
「ユアン、何を言う」
 まるで、彼の胸の内を読み取ったように、ユアンが恐ろしい夢を見た子供に語るように続ける。
「怖いと感じられている間は大丈夫だ、クラトス。……」
 クラトスの背を撫でていた手がぐっと力を籠めた。
「離れてくれないか、ユアン」
 これ以上触れ合っていては、知らせなくてもよいことを教えかねない。触れ合ったまま、ユアンと話したくない。クラトスは懇願したが、ユアンは逆にクラトスの頭を片手で押さえ、彼の肩へと自分の顔を押し付けた。
「貴様に顔を見られたくない。マーテルにも言ってほしくない。
 クラトス、貴様はまだ大丈夫だ。自分の手を汚していると感じられる間は平気だ。他人の手を汚させ、それを当たり前と思うようになったら、それこそお仕舞いだ。死の断末魔を聞かずに、死者の数だけを数え、流れる血が冷える前に次に屠る数を指を折って数えるようになったときこそ、恐ろしいのだ。
 横たわる死者を前に悔やんでいる間はいい」
 まさか、ユアンがそこまで自分を卑下しているとは知らなかった。だらりと下げていた腕を持ち上げ、クラトスは冷え切ったユアンの髪を撫でた。いつから、そんなことを考えていたのだろう。それは皆が選んだ道であり、ユアンが一人で背負う咎ではない。
「ユアン、お前だけではない。私達で分かち合うものだ……」
 くっとユアンが喉を詰まらせた。泣き声を抑えたのか、笑い声を漏らしたのか、クラトスには分からなかった。自らが切り出した話題が予想外の方向へと転がりだし、クラトスは困惑した。これ以上聞きたくないし、言わせたくない。クラトスはユアンを止める切欠を探そうと、ユアンの体を引き剥がそうとした。だが、ユアンの腕は彼を絡めとったまま、微動だにしない。
 さらに具合悪いことに、何の感情も籠められないユアンの声が告白を続ける。
「もっと可笑しいことに、私はそんな自分を止められないのだ」
 クラトスはユアンの背中を拳で打った。
「それ以上言うな」
 次にユアンから出る言葉は想像がついた。それだけは聞きたくない。ここで、ユアンから離れればよい。だが、クラトスは出来なかった。身を切る冷たい空気のなか、クラトスの耳を温かい吐息が擽る。それは、研ぎ澄まされた刃よりも深くクラトスの体へと突き刺さり、隠された感情を切り刻む。
「いいか、マーテルには一言も言うな。私は、マーテルのためなら、何だってしてきたし、これからもするだろう。彼女が語る世界を実現するためなら、手段を選ぶつもりはない。彼女を悲しませないために全力を尽くす。在り得ないが、万が一にも彼女が望むなら、幼子の命さえも躊躇なく奪うだろう」
 まるで他人事のように耳元でユアンが静かに語る。クラトスは聞くまいとするように首を横に振った。
「理想を得るために、その理想を踏みにじらなくてはならない現実を見せるつもりだったのに。いつの間にか、私はその現実を自ら見なくなってしまった。もちろん、彼女に教えるつもりもない。そして、それを恐ろしいと思えないのだ。
 彼女の笑顔を見られるなら、それだけで幸せだ。彼女が私を望めば、それでいい。こんな私がマーテルの側に、いや、皆の仲間でいられるのだろうか。そんな疑問がわきあがる度に、私はマーテルに近づく。彼女の笑顔だけが、私の疑問に答えてくれるから。
 やがて、彼女も気づくだろう。私が彼女と真反対の位置にいることに。彼女と違い、命を一つとして尊んでいないことに。……やがて来るそのときだけが恐ろしい」
 なんて残酷な告白をするのだ、この男は。クラトスはユアンの背中をもう一度、拳で打ちつけた。あまりに性質の悪い自己分析を語るユアンを笑ってやるところなのだろうか。彼が黙って聞いているだけとでも思うのか。彼がマーテルに告げる可能性に思い至らないのか。
 おそらく、微塵も考えていないのだろう。そこまで信頼されているとはお笑いだ。
 それとも、人の心を砕き散らして、いっそ、告げられることを望んでいるのか。
 クラトスは夢想した。
 彼が仲間の団欒の席でぶちまけたら、何が起きるのだろう。ユアンは己の口から出た言葉を取り消す真似はしないだろう。もしかしたら、潔癖なミトスに諭され、マーテルはユアンを見捨てるかもしれない。打ち捨てられたユアンに彼が手を差し伸べれば、この手を取ってくれるだろうか。血塗れて汚れた己の手がユアンの白い手をその中に収める。
 見事に不釣合いな景色だ。些かたりともあり得ない。マーテルを失うときは、ユアンが消えるとき。そういう男なのだ。
 己の卑小な願望から目を逸らし、クラトスはこの場で唯一の事実に縋りついた。たった今、ユアンから吐き出された言葉は彼だけのものだ。他の者は誰も知らない。そう、マーテルさえも知らない。彼にだからこそ、ユアンは語ったのだ。現金なことに彼の闇はほんの少しだけ薄れた。
 彼の耳元でユアンの吐息が短く繰り返される。再び、どくりと胸が高鳴った。高望みをしてはならない。これ以上、ユアンに話をさせてはならない。ようやく、クラトスの体はどうにか彼の意志に従った。背中に回されたユアンの腕をクラトスは両手で掴み、引きずりおろした。
「愚かなことを言うな、ユアン。マーテルの調子が悪い日が続いているから、落ち込んでいるだけであろう。私もそうだ。詰まらない話を聞かせた」
 クラトスが互いの身を引き剥がすように一歩下がった。ユアンは俯き、動かなかった。肩にかかった青い髪が冷たい朝の風に揺れる。背後で湯が沸いたのか、琺瑯の器がかたかたと音をあげた。
 それが合図のように、ユアンが徐に顔を上げた。今までの告白が嘘のように、ユアンの面に些かの激情も浮かばず、普段と変わらない。嵐の後の青空のように静かな瞳がクラトスを映した。
「詰まらない話という貴様の意見には賛同だ。そして、クラトスは汚れていない」
 井戸端会議は終わったとばかり、ユアンはくるりと竃へ振り向き、沸いた湯の加減を確かめ始めた。
 背後でクラトスは目を閉じ、今触れられたばかりのユアンの息遣いをもう一度味わった。互いに闇に溺れる己と男の間に繋がる細い絆の存在を認め、惨めとしか形容しようのない幽かな満足感に酔った。


 竃を覆うぼろ屋根を揺るがし、木枯らしが吹き抜けていく。全てを凍らす勢いで、北風は冷酷な告白をするハーフエルフも嫉妬に身を焦がす彼も通り抜ける。低くたれこめた雲が近づく雪嵐の前触れにも思える。後数週間で本格的な冬になるだろう。数ヶ月でいいから、穢れた暗闇も、悲痛な告白も、焼け焦げる焦燥もこの木枯らしが一瞬にして凍りつかせ、ちらつく雪が哀れな望みと醜い願いを白一色に覆えばよい。
 クラトスは頬を切りつける風に身を震わせた。
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