迷走 ---呼称

迷走

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呼称

「なあ、ユアン」
 隣に寝ていた少年が彼の方に向き、ひじをつき、両手で顔を支えながら、彼の顔を覗き込む。少々癖のある赤茶けた髪が風になびくのが、背後の白い雲を追っている彼の目にはいる。春の柔らかい草のにおいが彼らの下から立ち上ってくる。


「なんですか。クラトス様」
 二人で、クラトスの家のうしろにある草原に横になっている。さきほどまで、打ち合っていた練習用の剣を放り投げ、少し温かくなってきた風に汗が冷えるのが気持ちよい。何もかもが忘れられるこの瞬間が彼にとって天国だった。


「どうして、お前の方がなんでもできるのに、僕のことをクラトス様って呼ぶの」
「それは、クラトス様は王族ですから」
「お前の方が年上だし、学問も、兵術も、全部できる。その上、お前はすごく綺麗だ」
「誉めてくださっても、勝ちはゆずりませんよ」
「いいさ。そのうち、剣は勝てるようになるさ。そうじゃなくて、ユアン、僕も学問所の生徒なんだよ。みんな、名前で呼び合っている。クラトスって呼んでよ。いいだろう」
 無邪気に微笑む少年は幸せの塊。彼の憧れ。自分では手に入れられないものをすべて感じさせてくれる存在。それ以上に、自分を自分として確かに認めてくれている存在。優秀なハーフエルフでもなければ、憎悪の対象でも、欲望の対象でもない自分がそこにある。夢の自分だ。


「いいえ、お父上と陛下に叱られます」
「父上は叱らないさ。そんなことには拘らない。陛下はわからないけど、陛下はいつもいないじゃないか」
 にっこり微笑む少年はにじりよると、彼の上に身をのせ、上からじっと覗き込む。
「ね、いいだろう。クラトスって呼んで」
「クラトス様、退いてください。重いですよ」
「やだ。クラトスって呼ぶまでは、絶対にどかないからな」
 たわいもないやりとりが、続く。この時間がいつまでも続けば、もう何も望まない。
「わかりました。一回だけですよ。クラトス(あなたを崇拝しています。)」
 声には出さないが、自分の気持ちをありったけこめる。
「ユアン、もっと聞かせてよ。お前の声が大好きだ」
 少年が彼の唇を指でなぞる。思わず彼をだきしめようとする自分の腕をこらえ、じっと自らの脇でこぶしを握り締め、再度、呼ぶ。
「クラトス。クラトス」
 見上げる琥珀色の瞳と薄いちょっとかわいらしい口元。青い空が彼の気持ちを祝福するように、高く広がっている。






「クラトス。どけ。重い」
「嫌だ」
 ああ、いつのまにこんなに変わってしまったのだ。はっと居眠りから覚めると、上にはどっかりと不機嫌そうなクラトスが乗っている。
「あの頃は良かった」
「何を言っているのだ。お前。私を待つ間に寝るなとさんざん言ったではないか」
「貴様の都合ばかり聞いているわけにもいかん。私は疲れているのだ」
「どういう風に疲れているんだ。思い煩うことが多いのだろうな」
いつもなら、大丈夫かと聞いてくる奴が妙に機嫌が悪い。
「はぁ」
 ため息をつくと、ますます、眉間にしわをよせてこちらにのしかかってくる。子供じゃないのだから、そんなことされても、かわいくないぞ。
「誰を好きになった」
 おまけに訳の判らないことを言い出す。
「今は貴様だけだが、何を言う」
 思わず、自分でも考えてしまう。いや、こればかりは、お前だけだ。
「嘘をつけ、寝言を言っていた。『あなたを崇拝しています』と言ってたぞ。私にも言ったことがないくせに、誰だ。相手は」
「クラトス」
 思わず、笑う。
「笑ってごまかすな。一体誰なのだ」
「貴様、昔の自分に嫉妬するな」
「え………」
 呆然とする奴を引き剥がし、押し倒すと、今度は自分が上になる。
「貴様の夢を見ていた。ずっと昔、貴様が私にクラトスと呼び捨てにしろと言ったときのことを」
 下でいつもは無表情な奴の顔が少しだけ赤らむのが見えた。
「覚えている。お前に呼ばれて、ひどくうれしかった。今思えば、初めて、お前のことが好きだとわかったときだ」
「なんだ。同じだったのだな。私もあのとき自分の想いに気づいた。しかし、口に出して言うことはできなかったから、心の中で唱えながら、貴様の名前を呼んだのだ」
「あのとき、それを聞かせてくれればよかったのに」
 奴の薄い唇が誘うようにつぶやく。
「馬鹿者。それでは、私が犯罪者になるぞ。貴様、いったいいくつだった」
 クラトスは何かを思い出したような剣呑な笑みを浮かべる。
「なあ、いつでも私の思いを断ったのはお前だったな。ほら、王宮の晩餐会で中庭でダンスをしたときも、口付けをくれるのかと思ったら、お前がいきなり私を突き放した」
 いや、あれは王が側に近づいてきたからだ。あのまま雰囲気に流されていたら、大変なことになっていた。
「そうだ。その後、秋の収穫祭でお前が倒れたときも、私が部屋に入ろうとしたら、扉に鍵をかけたよな」
 だから、あれは前日王に蹂躙された跡をお前に見せたくなかったからだ。大体、それでも勝手に部屋に忍び込んできたくせに、何を言う。
「そうそう、確か、アイオニトスを飲ませた私を館に置き去りにしたときも、動けなくなってから、私にお前の想いを告げただろう。聞こえていたのに、何も返事ができなくて」
 あのときは本当につらい選択だった。などと思って感慨に耽っている下で、クラトスが次から次へと愚痴をこぼす。無口な奴ほど気をつけろというが、まさにこのことだな。貴様、よく覚えているな。というか、なんという記憶力だ。これでは、うかつなことを貴様に言えないではないか。
「いつも、自分の想いは隠して私に気づかせないようにする。私の想いを無碍にする。だが、もう好きにはさせないぞ」
 いきなり、クラトスは腕を回すとユアンの頭を引き寄せ、あの少年時代とは異なる熱い口付けを互いに交わす。

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