フルムーン旅行 : センチメンタル・ジャーニー

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鄙びた漁村 -二人旅編(二)-

「ユアン、今更なのだが、礼を言っていなかったな」
 目の前の海に向こうに陽が低くなっている。随分と長い間物思いに耽っていたようだ。自分の思考に沈みこんでいたせいか、繰り返される波の単調な音が低いクラトスの声をかき消したのか、横にいる男が何を指しているのか分からなかった。ユアンは慌てて釣りざおを引き上げ、適当に返事を返した。
「なに、丸一日、貴様の隣で釣りをすることぐらい造作ない」
 横にあるバケツは空のままだった。この体は食べなくたって困りはしない。だから、一匹も釣れないからつまらなかった、と子供のように駄々をこねるつもりはない。
「ユアン、何を聞いていたのだ」
 クラトスが憮然と言い放った。
「あ……、すまん。何か聞き逃したか」
 彼の返答にクラトスが勢いよく立ちあがった。
「クラトス、怒るな」
「怒ってなどいない」
 誰が見ても腹を立てているとしか思えない反応を見せると、剣士は魚の入ったバケツを持ち、勢いよく漁村へと戻り始めた。
「では、なぜいきなりに戻る」
 聞くまでもない問いかけを発し、ユアンは自分の竿とバケツを拾い、後を追った。
「お前が釣りにも集中していなければ、私の話も聞いていないから、これ以上は時間の無駄だ」
 クラトスの歩みに合わせ磯場に重なり合う石がぎしりと音を立て、小さな蟹が岩の隙間へと逃げ込んでいく。
「しかし、貴様がここで釣りをしたいと言ったから付き合ってやったのだぞ」
 いきなり立ち止まると、クラトスはくるりと振り向いた。おかげで勢いこんで歩いていたユアンは、大柄な剣士と正面からぶつかりそうになった。
「少しは察したらどうなのだ」
 クラトスが言葉数少ないのはいつものことではあったが、理由もなく怒られるのは割に合わない。真正面から睨みつけてくる剣士の目線をユアンはじっと受け止めた。
「裏さびれた漁村にわざわざ足を運んだのだ。理由ぐらい尋ねるものだろう。お前だってこの村を訪れたであろう。知らないとは言わせない。それはお前にとっては行きずりの出会いだったろうが」
 そこで、クラトスは突然言葉を切った。珍しく彼から目を逸らさないどころか、剣士の目線はさらに厳しさをました。
「覚えていないのだな、ユアン」
 ユアンはぱちくりと目を瞬かせた。どうやら、クラトスは覚えていないことが不満らしい。彼だって当然覚えている。しかし、少々気まずくはないだろうか。偶然とはいえ、クラトスが家を空けている間のことだ。しかも二人の生活は悲惨という言葉では説明できない終わりを迎えた。自ら話題にしていいものか、今でも分からなかった。
「いや、その」
 しどろもどろにユアンが返答していると、クラトスは再び歩き始めた。
「お前はいい加減、鈍すぎる。お前が覚えていないことをなぜ、私が気にしなくてはならなかった」
「ちょっと待て。貴様に鈍いと呼ばれる理由はないぞ」
 ユアンの抗議はクラトスには通じなかったようだ。一言も返さず、クラトスは浜のすぐ側にある小さな店に立ち寄り、ユアンの持つ釣りざおやバケツもひったくるように取り上げ、返却をすませた。
「魚は始末してくれ」
 有無を言わさぬクラトスの勢いに、店主が首を傾げた。
「これはまた大漁ですね。ですが、今が旬ですぜ。全部こっちで頂いていいんですか」
「ああ、かまわん」
 にべもない返事をすると、クラトスはすぐさま店を出て行った。
「おい、待て。クラトス」
 ユアンは慌てて剣士に声をかけたが、立ち止まる気配はない。仕方なくユアンは面白そうに二人見ている店主に軽く咳ばらいをした。
「ああ、全部いらないわけではない。そう、二人で食べられる分だけ、数匹は持っていこう。後はそちらで適当に処分してくれればよい」
「はいよ」
 のんびりと店主が魚を選んで袋に入れている間にも、クラトスはどんどんと先に進んでいく。目指す方向は大方見当がついた。分からないのは、急に機嫌が悪くなった理由だ。この地にクラトスの思い出は数多くあるだろうに、不機嫌になるほどのことはないだろう。何を怒っているのだ。もし、彼の考えているとおりなら、自分こそが疎外感を味わうところではないか。
 ユアンは店主が差し出す小さな袋をひっつかむと、姿の見えなくなった者を追った。



 村はずれに海沿いにたどる細い道がある。波しぶきが散る道を大股に歩く後姿が見えたと思うと、飛び出している崖の後ろへと消えた。数本のひねこびた松の木が生えている。ユアンは急に勾配がきつくなる道をたどった。崖の上にかかる空は晴れ、気だるそうにトビが円を描いている。足の速い男の姿はとうに見えなかった。
 ユアンが崖の上にたどりつくと、真下に見える開けた草地にクラトスが立っていた。あの小さな小屋の跡はみじんも残っていない。随分と伸びた数本の松の木だけが、ユアンの記憶と重なった。
「クラトス」
 彼が声をかけると、礎石にしていただろうか、平たい石の上にクラトスは腰をおろした。ユアンも隣に座った。小柄な女が戸口前の階段の上に座り、小さく手を振っている姿が思い出された。だが、空き地の前を通り、この先の海岸に続いていた道は藪に覆われ、途切れていた。目の前の木々の先で、たよりなくトビが風に揺られるように浮いている。
「何もないところだったが、本当に何もなくなってしまった」
 同じことを感じているだろうか、クラトスがぽつりと言った。
「あの小屋はこの年月で崩れるほどでもないと思ったが」
「出る時に燃やした。痕跡を残したくなかったのでな」
「いつまでいたのだ」
「ロイドが二回目の誕生日を迎える直前だった。気配を感じた。ユグドラシルの配下か、あの唾棄すべきクヴァルの配下か分からなかったが、何者かが見張るようになった」
「すまぬな。手は打ったつもりだったが」
「なぜ、お前が謝る。ここには長くいすぎた。だが、ここでの時間は貴重だった。あの数年は本当に穏やかでな。お前が裏で動いてくれたのだろうとぼんやり感じてはいた。その話をしていたのに、お前ときたら」
 クラトスは嘆息し、前を向いたまま、ぼそりと続けた。
「ユアン、感謝している」
「ああ、そのことだったのか。それなら感謝には及ばない。何もしていないに等しかったのだ。いや、その頃はウィルガイアでろくでもないことをしていたのだから」
 新たな神子を誕生させるために、人間を動物のように扱っていた。人間牧場より性質が悪かった。片方は、少なくとも動物のように扱っていることを隠そうとはしていなかった。だが、神子の誕生は敬虔な愛と神の恩寵の結果であるかのように、まことしやかに喧伝されていた。歓び溢れる両親の脇で、新たに誕生した神子の血のすみからすみまで調べられた。なぜなら、万が一にも望むべき水準に達していないのなら、不要な物は捨て去り、新たに作りださねばならないからだ。赤ん坊が条件を満たし、両親の元で健康に育ったことは幸いだった。
「やらされていたのだろう」
 クラトスが静かに訂正した。
「いや、今更ごまかしてどうする。結果を知っていた。言い訳の出来ないことに手を染めない方法もあったはずだ」
「そうだな。すべては終わった」
 深い嘆息に、ユアンはクラトスの肩をどやしつけた。
「我々にとっては終わったと言えるが、この星の大多数の者には始まりでもあるだろう。貴様の息子が立役者だったというのに、何をたそがれている」
「ああ、お前の言うとおりだ」
 まだ、納得してないかのように座るクラトスをしり目に、ユアンは立ち上がると、周囲に落ちている朽木を集め始めた。
「何をするつもりだ」
「貴様の話が長くなりそうだからな。話を聞かせてもらっている間にうまい具合に焼きあがるはずだ」
 ユアンはファイアと呪文を唱えれば、乾いた木々から炎が上がり、ちりちりと木の皮が爆ぜる音が景気良くあがった。ユアンは手頃な倒木の幹に腰を下ろし、釣った魚を手際よく細い枝にさし、火の周囲にかざした。
「いつも途中で遮るくせに……」
 そう言いながらも、クラトスは彼らしからぬ柔らかい笑みを口端に浮かべた。
 穏やかな一日が終わると教えるように、赤みがかった陽が焚き火の上に差し掛かる。ふわりと上がった煙は細く長く、上へと昇っていく。風がその煙を揺るがし、草地の上へと漂う。クラトスの背後を通り過ぎる煙は、朗らかな笑い声を立てる小さな女の影にも、優しく微笑みかける大切なあの人の影にも見えた。
 胸を締め付ける思い出も今はつらく感じることはなく、ただ、甘く切ないだけだ。共に語れる者がある幸いを、溢れる出る鮮やかな記憶を作りだしてくれた者達への感謝を青い空へと捧げる。クラトスも胸痛まぬときがやがて訪れるようにと祈った。
 今日は心行くまで語ってくれ。私も一緒に思い出しているから。












怒る理由(わけ)







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