拍手小話

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ある記念日

 振り返れば、さきほどまで見えていた町も遠くなり、二人の歩いてきた足跡も、雪原に日の照り返しが乱反射して判然としない。
「おい、本当にこちらの方向だったのか」
 同じように見える景色にさすがに不安を感じ、尋ねれば、ぼんやりと彼の隣を歩んでいた者がはっとしたようにこちらを見る。いつもなら、恋人が語る天上の噂話から地上の天変地異の話まで、ただうなずいているだけでいいのに、今日は妙に口数が少ない。
「何か言ったか」
「ユアン、こちらで良いのか。さきほどから、何やら考えてこんでいるようだが、心配ごとでもあるのか」
「いや、そんなことはない。貴様こそ、自信満々に歩いているから、目的地が分かっているかと思った。大体だな。この寒いのに、行こうと言い出したのは貴様だぞ」
 突然、話し出した想い人の態度に釈然としないものを感じながらも、自分が誘ったのを思い出し、文句を言いだした恋人を宥める。
「天気も良いし、そもそも我々はたいして寒くないではないか。たまに二人で歩くのもいいだろう。このところ、お前は私のところに顔を出そうとしなかったから、淋しかったぞ」
 彼が譲歩してやれば、恋人はすぐに喜びを面に表し、いつでもそれを見れば心弾む笑顔を彼にだけ向ける。
「早く、それを言ってくれ」
 嬉しげに彼の首に腕を回して、いきなり彼へ熱烈な口付けを与える恋人は本当に訳のわからない生き物だ。ただの人の一生を思えば、気の遠くなるだけ長く傍らにいるのに、誰も覚えていないくらい幼いときから共に歩んでいるはずなのに、いつまでたっても彼の心を乱す。
「ユアン、昼日中にこのような場所でするな」
 絡み付いてくるその腕を掴み、引き剥がす。
「今更、何を照れているのだ。このような場所だからこそだ。ほれ、周りには誰もいないぞ」
 相手をしていても言葉で勝てるわけはないので、答えを返さずに先を歩き始める。ユアンはあきらめきれないのか、彼の腕にその腕を絡め、頬を彼の肩にのせる。立ち止まって、恋人の誘う仕草に答えたいが、彼の目的はまだ先だ。少々もったいないと思いつつも、軽く返すだけの口付けを頬にし、恋人の脇に手を回すと、前に歩みを進める。


 クラトスに唐突に呼び出された。用事がなければ、滅多なことでは連絡もしてこない。それどころか、彼が私用で映像を送れば、たちどころに叱責の声とともに切られるくらいなのに、珍しいこともある。
 何かと思えば、いいものを見せてやるから、こちらまで来いと言う。そういえば、ユグドラシルの指示で雪の町に派遣されていたことを思い出した。あの町は長い間訪れていなかったが、確か、雪に覆われているせいか、その分、家並がいかにも暖かそうで情緒溢れる場所だった。雪にはたいして興味がないが、クラトスとあの町で過ごすのは願ったり、かなったりだ。
 町にたどりつくと、どの宿屋がいいかと町人に尋ねる間もなく、クラトスが入り口で待ち構えていて、雪山へ行こうと言い出した。彼の思惑とはかなり違うが、クラトスが誘ってくれるなど、隕石でも落ちない限り、次はやってこないだろう。とりあえずは、想い人の言うことを聞く。
 クラトスは酔狂にも、あちらに見える雪山まで二人で歩いて行こうと言い出す。もちろん、二人で歩くこと自体はよいが、町の入り口から山までは相当な距離がある。最初から飛んでいけばあっという間ではあるが、クラトスはどうやらその気がないようだ。口には出さないが、クラトスも自分も羽を使うこと自体積極的ではないと分かっているので、言う通りに歩き始めた。

 今日は彼にとって遥か昔の深い思い出がある日だから、彼にずっと付き合うのも悪くない。途中、そんなことを考え、思い出に耽っていたらしい。クラトスから声を掛けられた。クラトスと顔を合わせると、ひどく眩しそうにこちらを見て、ほんの少し照れたように、それでも真っ直ぐに笑いかけてきた。その仕草は、たちどころにあの日を彼の胸に呼び起こす。
 今日、出会ったときはクラトスは特に何も言わなかったから、忘れてしまったのかもしれない。もう、どれだけの年月が過ぎ去ったのだろうか。その間に起きた様々な出来事は、どれもが誰も体験しえないことばかりであったし、その重さも深さもまったく違うと分かっている。だが、彼には、あの出会いが忘れらない。


 二人の足でも、さすがにそこは遠く、すでに日も暮れようとする刻限にようやく山の頂が見えてきた。身を切るような冷たい風が吹き付けるなか、最後の岩場を越えれば、海をも臨む広大な風景が広がる。頂は、窪は積もった雪で真っ白なものの、岩の上は風で飛ばされたのか、濃い色の石の上にまるで白い花のように凍りついた雪がわずかついているのみだ。
「ここに何があるのだ」
 上がってみれば、そこは何の変哲もないただの頂だった。確かに見える景色は美しいが、わざわざ、今日、この場にいる必要があるとは思えない。
 そんな彼の疑問には答えず、クラトスは周りを見渡し、具合の良さそうな岩を見つけると、腰をかけ、彼を手招きする。
「まあ、ユアン。せっかく二人きりなのだ。こちらに来て話でもしないか」
 それなら、暖かい宿の部屋の中で二人きりになりたいものだと、ちらと脳裏に浮かんだが、珍しくお堅い恋人がその気になっているのだから、ここは遠慮せずに隣に座る。
「クラトス、寒いから暖めあおう」
 少しふざけて体を寄せれば、クラトスも彼の腰に腕を回し、素直に身を寄せる。
「悪くない提案だが、もう少し待ってくれ」
 歯切れ悪く答えるクラトスの顔を見れば、何かを待つように空を仰いでいる。


 地上の情勢からデリス・カーラーンの最近の動向まで、二人きりで話し出せば、あっという間に時間は過ぎる。気づけば、冷え切った天空は、どこまでも澄みわたり、空気の薄さに地上で見るより遥かにくっきりと星が見える。
 一面濃紺のベルベットに光が差し掛けたように、たくさんの星が輝き始めたそのとき、それは空の奥から突然投げ出された網のように広がった。最初は目の錯覚かと思うくらい僅かに光るだけだった。だが、それは春風に揺らがされる薄絹の布ようにはためきだした。天空に広がる光のカーテンは緑に、赤に、白に、黄にと様々な色へと変化しながら、緩やかに水に落とされた薄墨のように広がり、縮まり、震える。
「ああ、何て素晴らしい。これだったのか。オーロラを本当に見るのは初めてだ」
「この時期は美しく見えると町で聞いた。だから、どうしてもお前と一緒に見たかった」
 クラトスが彼の肩を抱きながら、彼の耳元で囁く。神の祝福を現すと言われているオーロラは藍色に染め上げられた夜空を神秘の幕で覆い尽くす。
 その明るさに、クラトスの血のように濃い琥珀色の瞳が様々に色を変える。オーロラを背に輝かせて、彼を見つめるクラトスの真剣な表情がいつも見慣れているにも関わらず、彼の胸を熱くする。何も手入れをしていない少し乱れた髪の毛先が彼の顔をくすぐる。
「クラトス、見ないのか。私の顔を見ていても、オーロラは楽しめないぞ」
「いや、お前の目の中で輝いている。その方がずっと美しい。……」
 クラトスが珍しく、少し照れながら、甘い言葉を吐き出す。やはり、あの日のことを覚えていて、私を呼んでくれたのだろうか。彼の考えを読んだかのように、クラトスが彼の目をじっと覗き込みながら、尋ねた。
「今日は何の日か覚えているか」
「ああ、もちろん、覚えているさ。クラトス、貴様と初めて会った日だ。道々、そのことを思い出していたのだ」
「そうだったのか。あの日、お前はとても美しい子供だった」
「まるで、今は違うとでも言いたいようだな」
「いや、そんなことはない。あれから、ずっとお前を見ると胸が高鳴る。ユアン、お前ほど私を惑わす者はいない」
「クラトス。あのとき、初めて会ったお前のマナもすごく美しかった。だから、ついお前をまじまじと見つめてしまった」
「そうか。お前は最初だけちょっと変な顔をしていたな。すぐ、私ににっこりと笑いかけてくれて良かった。驚かしたのかと思ったら、そうではなかったので、本当にほっとした。お前の微笑みが広がると部屋が明るくなった。まるで、このオーロラのようだった。だから、今日はどうしてもこのオーロラの下でお前を見たいと思ったのだ」
 クラトスが語るその背後に、まるで彼が羽を広げたかのように深い青のオーロラが広がり、真珠色の煌めきで空を彩る。


 オーロラだけが舞うその場所は、何の曲も流れなければ、何の飾りも、何の正餐もないが、遥か昔の王宮の舞踏会にあったような華やぎが感じられた。さきほどまで何もない淋しい岩に囲まれた頂きが輝く様は、昨日まで空っぽだった自分を埋めてくれたあの出会いを思わせた。
 クラトスの告白にうっとりと頷き、立ち上がると、座っているクラトスに向かって手を差し出す。黙って重ねてくるクラトスの手に軽く口付けを送り、手を引けば、クラトスも彼に向いあって立ち上がる。無言で彼の背に手を回し、いつも抱えている想いを微笑みに乗せる。たちどころに、クラトスも滅多に見られないはっきりとした笑みを浮かべ、彼の腰に腕を回してくる。
 二人はゆっくりと顔を近づけ、吐く息を感じながら、額を付け、互いに目を覗き込む。そして、以前は許されなかった、幼いときには知ることのなかった熱い口付けを交わす。
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