迷走

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ラビリンス(迷宮)

 かつかつと高い靴音が灰色の石の壁の間でこだました。城壁の中に所狭しと建てられた数階建ての石造りの建物は、不規則に立ち並び、間に入れば、たちどころに方向を見失う。馬車が行き交う大通りや、この町の行政府などの主たる建物へ通じる以外の道は、よほど町に通じた者でないとたちどころに分からなくなった。
 見上げる空はどんよりと曇り、日が差す気配はない。太陽があれば、その影で向きもしれようというものだが、生憎、冬も間近なこの季節はほとんど晴れることがなかった。
 クラトスはひんやりとした空気に、白い息を吐きながら、石の壁へと寄りかかった。人が数名すれ違うのがやっとな狭い通路は、やや上がり気味にこの先に続いている。前後を見ても、人影はない。さきほどまで、石畳と壁の間で響いていた子供達の声さえ聞こえなくなった。
 はあ、とため息をついて、起き上がろうとすると、腰の剣が壁に触れ、かーんと澄んだ金属音が通路に響いた。斜め前に見える、古い木の扉をたたいて、道を尋ねた方がいいかもしれない。
 緩やかに上る迷路の先には、立派な教会が丘の上に聳え立っている。はるか以前にはなかった教会は、いつのまにか、町の中心となり、まるでこの町が生まれたときからあるかのごとく風景に溶け込んでいた。そこまで上がって、この町を眺めよう。さきほどまでの苛立ちは、寄りかかった冷たい壁に体温が奪われるにつれ、徐々に収まってきた。大体にして、追いかけて何をするつもりだったのか、自分らしらからぬ衝動に任せた行動に、自身が戸惑っている。
 見下ろす壁と同じ灰色の固い石が敷き詰められた道の上に、ちらりと雪が落ち始めた。クラトスは、苦笑を浮かべると、目標と定めた古い建物へ向かって、確かな足取りで歩き始めた。雪を舞い散らす風がちりんと石の壁からぶら下がっている古い看板の鎖を揺らし、わびしげな音が木霊した。



 クラトスの記憶の中でも、連綿と続いている古い都市は、為政者が変わろうとも都市の生業自体にさして変化はない。職人ギルドの繋がりと結束の強さは、民衆の儚い支持が頼りの権力とは比べものにならないほど固い。地上の監視がてら、ふらりとこの町を訪れたのは、その様子を見ることはもちろん、移ろいゆくときの流れがどこかで止まっているこの町の雰囲気を味わいたかったからかもしれない。
 クラトスは町の外で部下達に指示を与えると、自らは一人で町へと入った。ハーフエルフと言えども部下達でさえ、彼が昨日のように思い出すこの町の昔日の賑やかさは知らない。懐かしい灰色の石畳を踏みしめて歩いていた少年の軽い足音。久しぶりの露店の並びに乙女があげていた感嘆の声。売り子の声が飛び交う中、眺めているだけの姉弟に謝っていた青年の姿。少し離れたところからそれを見ていたもう一人。
 行き交う人々の中にそんな幻が見えたと思った。だが、足を止めて再度見ると、この曇天の中にも艶やかな青い髪が確かに先に見えた。間違いない。長い紺のマントを翻し、ユアンが一人で歩いている。
 自分に連絡することもなく、どうしてここにいるのだろう。足早にユアンの後を追うが、人ごみが邪魔してなかなか追いつけなかった。見失ったと思った瞬間、賑わう大通りから斜めに走る路地の奥に長い髪がはらりと動いたのが目のすみに入った。
 慌てて、町でも古い街並みを残したままの地区へと入る。いつもなら感じられるユアンのマナの痕跡は残されておらず、ユアンがこっそりとここを訪れようとしていることが分かった。ちらりと見えた影はその先のさらに細いわき道へと呑み込まれていった。足音を立てないようにと、息までこらえて、クラトスは苦笑した。自分が声をかけたところで、ユアンは困りはしないだろう。
 先にユアンの姿が見えた。声をかけようとしたとたん、その姿は小さな木の扉の中へと入っていった。この辺りには、ハーフエルフの組織も、教会の関係者も住んでいなかった。クラトスは首を傾げながら、ユアンが吸い込まれた如何にも古びた建物へと近づいた。
 こっそりと側の窓から中を伺う。若い女をユアンが抱きしめていた。とたんに、訳の分からない怒りが胸の中に浮かびあがる。互いに離れているときも多いのだから、相手を信じるしかない。だが、何も彼がすぐ側に駐屯している町を断りもなく訪れて、知らない女と会うとはどういう了見なのだろう。よほどユアンにとって大切な用件に違いないと理性は告げるが、感情がそれに勝る。
 ウィルガイアでも、ユアンがどれだけの者から想いを寄せられているのか知らない彼ではない。それを知ってか知らずか、ユアンは日頃から他人にはひどく淡白で、なるべく距離を置こうとしていることも分かっている。ユアンにそうさせているのが、自分の存在はともかく、過去の思い出であり、それはまた重い枷であることを理解している。だからこそ、安心していた。彼だけが身近にいることを許されていると、思い上がっていたかもしれない。
 あれは、誰なのだろう。窓枠を掴む指に思わず力が入る。しかし、黙ってつけているだけに、いきなり建物に乗り込んでは、相手もユアンも驚かすだけだ。この家のことは後で調べればよいのだから、まずはユアンと話をしなくてはならない。らちもないことが頭に浮かび、クラトスは頭を振った。馬鹿らしい。ユアンは言いたくなければ、彼が問い詰めようと、何も語らないのだ。今回だって、彼に断りもなく町に入ったからには、クラトスに言うべきとは考えていないのだ。
 一度はその建物から離れたクラトスは、だが、もう一度と窓へと戻った。さきほどの女の姿もユアンの姿も部屋から消えていた。慌てて、通りの先を見たが、二人の姿も気配もない。おそらく、この建物の反対側にある表の出入り口から出たに違いない。ぐるりと迷路のような細い道をたどり、どうにか正面玄関へ回ると、こちらも二人の姿は見えなかった。
 何とも言えない胸奥に沈む気持ち悪さに、闇雲に路地を先に進んでみたが、結局、ユアンもさきほどの女と思しき人にも出会えなかった。


 のろのろと、遠くに見える教会へと上っていく。何かの予感に目を上げると、ユアンがまた一人でかなり上の方を歩いていた。どうやら、女と一緒だったわけではなさそうだ。そう分かったとたんに、少し気分が軽くなった。
 ユアンの姿は教会の中へと吸い込まれていった。クラトスは一気に丘を駆け上がり、教会の扉の前に立った。だが、扉に手をかけようとして、ユアンに向かって何を言えばよいのか、考えていないことに気づいた。そもそも、大切な用であるなら、いきなり彼が入っては迷惑になるだろう。
 ユアンを見失ったのは、却ってよかった。その間に落ち着くことができた。扉の前で踵を返すと、クラトスは町を一望のもとに見渡せる張り出した崖へと足を進めた。そこは、丘の上にある教会の広場として整備され、立派な石造りの柵と装飾を施されたベンチが数個置いてある。だが、今日のような冷え込みの厳しい日に人影は全くなかった。
 ベンチには腰をかけず、触れると凍り付いてしまいそうな石の柵へと凭れ掛かり、下の町並みを見るともなく眺めた。さきほどの動揺も怒りにも似た焦燥も、冷たい石の感触に吸い込まれていく。すぐ側にクラトスがいることを知りながら、黙ってこの町に入ったのだ。クラトスが感情におもむくままにことを問いただしても、ユアンが困惑するだけのことだったろう。


「どうした。こんな場所に一人でいるなど」
 背後から、ユアンの声が聞こえた。出てくれば彼に気づいて声をかけてくれるだろう、と期待していた自分を今理解する。しかし、待ちくたびれたと素直に言うこともできず、のろのろといつもの仏頂面で振り向くと、にっこりと笑顔を浮かべたユアンが立っている。
「いや、この地区は今私の配下だから、様子を見ようとして、ちょっと町を歩いていたら……」
「景色でも楽しみたくなったのか」
 正直にお前を追っていたら迷った、とは答えられず、曖昧に頷いた。
「貴様らしくもないな。大体、観光と洒落込むには今日はずい分と冷える。外套も着ずに何をつったっている」
 いつもと変わらないユアンの反応に、収まっていたはずの苛立ちがこみ上げ、クラトスはまた手摺の方へと向きを変えた。
「今さら、我々にとってたいしたことではなかろう」
 ユアンが彼の横に立つと、さきほどまで彼が眺めていた町並みを見下ろした。
「だが、確かに眺めはよいな。クラトスが立っていたのも分かる」
 そう言いながら、ユアンはちらりと横目で彼を見ると、一歩さらに近づいた。
「いくら我々でも寒いものは寒い。それに、ここは風が吹く」
 ごく自然にふわりと肩からかけられるマントの感触に、クラトスはどきりと胸が高鳴った。
「ユアン……」
「クラトス、すっかり冷たくなっているではないか」
 マントに包まれた冷えた体が、強くユアンの腕に引き寄せられる。クラトスは大人しくされるがままに、ユアンに身を寄せた。



「それで、私の後をつけていたのはどうしてだ」
 ユアンがクラトスの耳元で囁いた。
「……。気づいていたのか。人が悪い」
「貴様ときたら気配を何もころしていないのに、気づかない方がおかしいだろう。いつ、声をかけられるのかと待っていたのに、ここまで来ても、黙って教会の外にいるのだから」
「祈りの邪魔をしては悪いと思って……」
「クラトス、その前からついてきていただろう」
「あれは……。あのようなことは気にしていない」
「気にしてくれないのか」
 ユアンがからかうように、クラトスの腰に回している手に力を込めた。
「いや、だが……。その、お前を束縛するつもりは……」
「クラトス、何か勘違いしていないか。気になるからここまで来てくれたのだろう」
「ユアン、離せ」
 わずかに目を伏せ、クラトスは離れようとした。
「駄目だ。なぜ、遠慮せずに何をしていたのか聞かない。私のことが信用できないか」
「そうでは……ない……が」
「下の町家で会っていたのは、神子の血統に連なる女だ。相手は私のことは全く気づいていないが、教会からの使者だといえば感動していたな。この教会でも、祈りを捧げていたわけではない。この町に他にも神子の血筋の者がいたことを思い出して、過去帳を見せてもらおうと思っただけだ。まさか、私が他の女に懸想したと思ったのか」
「いや、だから……気にしていたわけでは……」
 ユアンの声にかすかな笑いを聞き取って、クラトスは離れようとした。
「クラトス、まだ冷えているぞ」
「ユアン、もうよい」
「嫉妬して怒るお前も悪くはない」
「ユアン、ふざけるな」
「なぁ、もう少し、私の腕の中にいてくれ。この町でこんなつまらない真似をするようになるとは……」
 突然、今までとは異なる哀願のこもった声と、ぎゅっと回される腕の強さに、クラトスの体温は跳ね上がる。
「こんなことをいつまで続ければいいのだ。もういない者のために、どうして今いる者を犠牲にしようとするのだろう。クラトス、私が自らを偽らないように、側で見ていてくれ」
 ユアンの声に、今日のこの地の訪問が彼の意志ではなかったことに、ようやく気づく。ユアンの腰へとクラトスが手を伸ばすと、愛する者は彼の首筋に顔を埋め、深く息を吐いた。


 夕暮れになり、ちらちらと舞っていた雪は、空からとめどもなく落ちて来る。灰色に聳え立つ建物は薄闇の中で沈黙を守り、語らずに訴える大切な者もまた、動こうとはしない。首筋に感じる幽かなユアンの熱に求められる悦びと、彼をこの苦境から救えない己の無力さがクラトスの胸の内でせめぎあう。クラトスは、腰にまわされた腕の力が語る悲嘆がわずかでも軽くなるようにと、愛しい者の髪から雪を払うと、ゆるりと撫でた。
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