「唐桃」に寄せて
 日暮れの王宮は沈黙に包まれていた。官僚達の勤めは早朝から陽のある内が主であり、燭が必要な刻限にまで書庫に篭る者などない。
 燭光の下、クラトスは書を広げていた。何度か目を通した、帝国の要所についての文献だ。しかしその眼と指先で文字を追いながらも、意識は懐に入れた密書を読み返していた。それは刻限と場所が指定されただけの僅かな文であったが、貴人に目通り出来る知らせと思えば、最近王都の者が頻りに持て栄す書家の作より貴重な品である。
 夢見た人を待つ、この時間の何と甘美な事よ。
 クラトスは書へ視線を留める努力を放棄した。
 貴人の姿を思い描いた宙は、それだけで清浄な光を放った。本来拝謁する事すら畏れ多い高貴な方が、自分の待つ小部屋へ御出になる。あの青い眼差しを向けて下さるだろうか。どんな言葉を掛けて下さるだろうか。
 ふと、燭の炎が僅かに揺れた。振り返った視線の先で、朝服の裾が翻り、深い藍の海を竜が踊るようにして彼の人は小部屋の中に現れた。
「クラトス――待たせたか」
 青藍の輝きが己の中に差し込んだのを、確かにクラトスは視た。
 そして彼は幾度となく認識し直していた事実を識る。文も、時も、貴人と見える刹那の輝きと比べれば、如何にささやかな慶びであったか。
2005/10/31

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