番外編(収束)

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バレンタイン効果

「ゼロス、あんたを見損なっていたよ。少しはいいところもあるって……、そう思っていたのに」
 ゼロスは入り組んだ通路を人目を避けながら走る。 脳裏には、しいなのひどくゆがんだつらそうな表情が きれぎれに浮かんだ。
「畜生」
 彼は腹立ちまぎれにそうつぶやいた。いつだって 格好よくなきゃいけないこの俺様に、何させていると思っているのだ。 女にあんな顔をさせるのは、俺様の意に反するぜ。 まったく、なんて表情をするんだ。
 だが、今は全てが時間との勝負。賭けは数日前から 始まっており、賽はとうに投げられている。どの目が出るかは、 あの男と彼の動きにかかっているのだ。未だかつて、自らが不利になる 立場を選んだことはない。常にもっとも高い足場をねらってきた。 今回ばかりはそうはいかないかもしれない。だが、沈みそうな 足場であるなら、それを押し上げるのみ。

 
 間一髪で間に合った。上から落ちてくる女をゼロスはどうにか救い上げた。
 ぐったりとした女は思ったよりも軽かった。もっとずっしりと、 支えきれないほどしっかりしたもののはずだったのに、頼りなく、 腕の中から飛んでいきそうな感触に、ゼロスはわけもなく 焦った。俺様にこんな思いをさせる奴は他にいない。まったく 手間のかかるやつ。
 安全にみえる床に降り立つと、ひざの上にのせるように 座った。
「おい、しいな。しっかりしてくれ」
 静かに声をかけるが、しいなは青ざめた顔色のまま目を閉じている。
「おい、頼むよ。起きてくれよ」
 しいなの瞼がかすかに動く。
「……」
 ゼロスはヒーリングウィンドを呼び起こす。腕の中にある身体が ほんの少し温かみを帯びた。
「しいな。しいな。目を開けてくれ。お前が起きてくれないと、 俺様の予定がいろんな意味でくるっちゃうからさ」
 彼女が目を覚まさないということはありえない。なぜなら、 彼の計画はいつだって完璧でなくてはいけないし、彼の腕の中にいる女は ヒロインの予定なのだ。当然、その横にはヒーローである彼が 立っている。もし、彼女がこのまま目を覚まさなかったら、 置いていかねばならない。それだけは彼には出来ない。
 ゼロスはぎゅっとかるい身体をかき抱いた。
「……」
 ぱちりと大きな黒目が開いた。青い目と黒い目は互いの姿を映し、 互いの存在を確かめ合った。大きな黒目がぱちぱちと瞬きを繰り返し、 力なく落ちていた腕が持ち上がると、ゼロスの頬に触れた。 ゼロスはにこりと笑うと声をかけた。
「しいな、目が覚めたか」
 腕の中の少女は自分の手をさっと引っ込め、大きな黒い瞳は 力を取り戻し、軽く細められた。
「……。あんたぁ、ゼロス、よくも裏切ってくれたね」
 声を張り上げたかと思うと、腕の中にいたはずの少女は、思い切り彼の顔をはたき、 すばやく彼の腕から逃げ出した。
「あ、いてぇ。しいな、待てって、待ってくれ」
 ゼロスは、立ち上がるや否や札を構えるクノイチを 慌てて制止した。
「今度はだまされないからね」
 だが、いきなり起き上がったしいなは、さきほどのダメージが抜けないらしく ぐらりと体が傾いだ。
「あぶねぇことするなよ。ちょっとは落ち着けって」
 ゼロスはすかさず手を伸ばすとしいなを抱きしめた。
「何するんだよ。ゼロス、この手を離しな」
 しいなはもがいたが、さすがにゼロスの力には敵わなかった。
「ちょっと待てって。しいな、落ち着けよ。まだ、助けなきゃ いけない連中が先にいるから、時間を無駄にするなって」
「助ける……。あんた、私達を裏切ったくせに……」
 そこでしいなは口を閉じると、ゼロスの顔を見上げた。
「まさか、あんた、私を助けてくれたのかい」
 とたんに、彼女を抱きしめていた男が目を細めてにこりと笑った。 それは、この男がごく機嫌のよいときにみせる印だった。
「大正解。よくできました。俺様、大変だったのよ。 しいなが重いからさ。俺様の大事な腰が動かなくなったら、どう 責任とってくれんの。メルトキオの何百っているガールフレンドが 嘆き悲しむぜ」
「あんたって言う人はこんなときに何を心配しているんだい」
 しいなは軽口をたたく男にほっとした。 ゼロスがどうやってごまかそうとするかなんて、もうお見通しだ。 ふざけた表情を見せながら、体全体は緊張している。 男の手がものすごい力で彼女を抱きしめ、彼女にまでゼロスの鼓動が 伝わってくる。 目が笑わずに、彼女の表情をじっと観察している。
 コレットを連れ去ったときのゼロスの様子をずっと思い返していた。 彼女が非難の言葉を口にしたとたん、ゼロスはじっと彼女を見つめた。 そして、口だけゆがめて嬉しそうに笑った。あのとき、この男は 彼女が本気で怒っていることに満足し、しかもそれを本気で喜んでいた。 こういう訳だったのだとようやく納得できた。 本当に馬鹿な男だ。
 だから、嘘をついたことは許してあげるけど、 彼女をほんの一時でも絶望の淵に追い込んだことは許さない。 少しだけ仕返しをしてやろう。
 しいなは、彼女を見つめる男の首に腕を回した。 男がはっと息を呑んだ。
「ゼロス、来てくれてありがとう。あんたを信じていたよ」
「……さっきは見損なったって言ったくせに」
 一息遅れて、低い男の声がした。
「そりゃ、あんたの芝居にはつい騙されたさ。でも、その後ずっと 考えていたのさ。どうしてあそこだったんだろうって。別にコレットを 騙して連れていくだけなら、いつだって出来ただろう。あんた、私達をここに 招きいれたかったんだよね。それなら、きっと何かしてくれると思っていたよ。 少し遅かったけどさ」
 しいなの言葉に、彼女の背に回している男の腕に再度力がこもった。
「わりい。俺様、いつだってしいなの期待に応えられねぇな」
「馬鹿ゼロス……。来てくれたじゃないか」
 ゼロスの髪に彼女が顔をうずめると、男の手が優しくしいなの背を撫でた。
「なんか、俺様の柄じゃないけどさ。 しいながここまで言ってくれたからには、もうちょい、 頑張らせていただきますか」
 ほら、言葉の中に余裕がうかがえるようになった。 ついでに、男の厚かましい手が背中から下へとそろりと伸びてくる。 ようやく余計な気が回りだしたのだ。もちろん、黙っているわけにはいかない。 しいなは元気よく返事した。
「あったりまえだよ。あんただってメルトキオにいる何百人ものガールフレンドに 会いたいだろう。私だってあんたをいつだって応援しているんだよ」
「あ、いや……」
 彼女の言葉に男が一瞬ひるんだ隙に、しいなはぱっと立ち上がった。 ゼロスの腕が彼女に向かって慌てて伸ばされたが、今度は さっと避けられた。
「いや……。しいな、何か誤解が」
 こんなところで、この男を甘やかしては駄目だ。 なんたって、他の仲間はまだこの先で戦っているはずだ。 その間は、こいつは仮面を被ってなくちゃならないのだ。 私もきっちり力を奮わなくてはならない。
「誤解も何も、さっきちゃんと聞かせてもらったよ」
「しいなちゃん、ほら、俺様、芝居がうまいから」
「ごたくはよしとくれ。ゼロス、他の仲間をほっておけないだろう。 あんたのしたいことが何かは道々聞かせてもらうけど、 とにかく、先へ行くよ」
「だから、しいなってば、人の話を聞けよ。おい、待てよ」
 しいなはくすりと笑うと、仲間が向かった先へと歩き出した。 後ろから、メルトキオに戻ったら必ず聞けよ、と男が叫んでいた。


「な、な。しいなちゃん、今日は何日」
 赤い髪の男が彼女の横でうろうろと歩いている。
「3月14日だよ。あんただってちゃんと知っているくせに、何回 聞くんだい」
「で、しいな、俺様に言うことないのかよ」
「あっちに行きな。メルトキオの何百人のガールフレンド達があんたを まっているんだろ。あんたはお返しに大忙しになるだろうに」
「しいなんのいけず。先月、俺様に小さな白い箱のチョコを くれたの、しいなだろう。まずは一番にお返しあげないとな」
 少女の真正面で、いつにもまして華麗な笑みをゼロスが浮かべ、 前を遮った。ぴたりと足を止めた少女はくるりと向きを変えると、足早に 歩き出した。
「……」
 彼女の動きに追いすがるように、ゼロスも大股で後を追いかける。
「俺様が気づかないとでも思ったのかよ。しいな、俺様をなめるなよ。 しいなの触ったものなら、俺様には何でも分かっちゃうのよ」
「気持ちの悪いことを言うんじゃないよ。あんたは犬かい」
 ゼロスは逃げ出そうとする少女の前にくるりと回ると、ぶつかりそうに なったしいなの腕をつかんだ。
「ああ、とびきり腕のいい猟犬だぜ。獲物は絶対に逃がさない」
 低い男の声にしいなはびくりとゼロスの顔を見上げた。 こんなに背が高くて、力強かっただろうか。掴まれた腕が痛みを覚える。だのに、なんて優しくて真面目な笑顔を浮かべるのだろう。 真剣な気持ちを浮かび上がらせる男の表情にしいなは顔を背けた。 あの旅は終わったのだから、二人の立場は前とは違っているようで、 前に戻っているのだから、この男を側に近づけてはならない。
「あたしは忙しいんだよ」
「俺様の言うことを聞くぐらいの時間はあるだろ」
「特にあんたのたわ言の相手をしている暇はないよ」
「いつまでも俺様を避けているんだよ」
 いっそ、男が低い声で彼女を問い詰めた。しいなは ぐるりと辺りを見回した。
「逃げられると思うなよ、しいな。俺様はとびきりの猟犬だからな」
 しいなははぁと深く息を吐いた。この男が宣言したら、宣言通りにすることは 今までもわかっている。それどころか、宣言しなくても、心の中で 決めたことはどんな手段を使っても達成することは身をもって 知っている。分かっていたのに、そのときが来ることは分かっていたのに、 見ないふりをしていた。
 そこで、彼女は周囲をもう一度見まわした。ゼロスがその動きに 体を緊張させる。
 馬鹿だね。逃げるためじゃない。他の人に 聞かれたくないからだよ。
 しいなは、城壁が張り出した先にあるベンチを指さした。あそこなら、 人通りもないし、通りかかっても、この目立つ男でもそこまでは 目を引かないだろう。断らなければ、いつまでもきりがない。
「分かったよ。あんたの話を聞こうじゃないのさ」
 しいなは先に立ってベンチへと歩き始めた。だから、ゼロスが にやりと笑ったことには気づかなかった。 ベンチに座ろうとしたしいなは、いきなり、ベンチの上に押し倒された。
「話の前にちと試したいことがあるんで、悪りぃ」
 ゼロスの言葉が耳に届いたときには、唇を奪われていた。 こんな口づけがあるなんて。しいなの体は固まった。 彼女だって知らないわけではない。思春期をメルトキオで過ごせば、 多少の経験はないわけじゃあない。だが、ゼロスのこれは何だろう。 彼女の体を心底震わせるこれは何なのだろう。怖いわけではない。 恐怖で動けない経験なら、嫌というほど知っている。 そうではないのに、鍛えられているはずの彼女の体は自分の言うことをきかない。 ゼロスに拘束されているわけでもないのに、彼女の体は痺れ、動くことができない。
 気づけば、ゼロスの熱い舌がしいなの咥内を探り、彼女も応えている。 強く彼女のうなじへと回されるゼロスの腕が気持ちよい。彼女の腕も ゼロスの赤い髪の中へと回され、長い男の髪が 彼女の肩を擽る。ああ、なんだかふわふわしちゃう。
 どれぐらい時間がたったのであろう。
 二人は忙しく息を吐きながら、ベンチの上で見つめあっていた。 ゼロスがしいなの上に乗り、強い眼差しでしいなを見つめている。 男の目がしいなの鼓動を跳ね上げた。 私はどんな目でこいつを見ているのだろう。こんな眼差しを 私もしているのだろうか。考えただけで、しいなの頬がほんのりと 染まった。
「ゼロス、私の上からどいておくれよ」
 結局、しいなは今の苦しさを多少改善しようと、彼女の上に またがっているゼロスを詰った。今さらのように、ゼロスが 二人の状況を見下ろして、今度はにやりと笑った。
「俺様、重いかよ。だけど、もう少し我慢してくれ。俺様、 もう一度確かめたい」
 だが、真剣なゼロスの目は軽い口調とは裏腹にしいなを逸らすことはなく、 男は性懲りももなく、しいなへと覆いかぶさってきた。 どこかで、女の悲鳴が聞こえたような気もしたが、しいなは もう抵抗できなかった。


 周囲にできた人垣の中、ゼロスとしいながベンチに衆人環視の下に座っている。 しいなは顔を真っ赤にして、下を俯いている。彼女の肩をしっかりと 抱き寄せ、ゼロスがしいなの耳へ囁いた。
「話を聞いてくれるんだよな」
「止めとくれ。こんなに人がいる中で何を話すんだい」
 しいなは小声で文句を言うが、ゼロスはぐっと彼女の肩を掴んだだけだった。
「いいか、はいって言えよ。それ以外の返事は受け付けないからな」
 言うなり、ゼロスはしいなの前に跪き、やにはに彼女の両手を 掬いあげるように彼の目の前に掲げた。
「しいな、俺と結婚してくれ」
 こんな大声で何を言っているだい、というしいなの返事は、周囲の どよめきにかき消された。
「しいな、返事」
 周囲が静まったところで、ゼロスが彼女を促した。彼の目が 懇願している。ここで、彼女はこの男の願いを断ることは出来ない。 こんな目をした男を放り出すなんて、やはり出来ない。 千の言い訳が彼女の頭に浮かび、万の断りの返事を準備していたはずなのに、 億のこの男を説得する理由があるはずなのに、彼女は一言答えた。
「はい」
 ゼロスの目がぱっと見開き、彼女はこの場でこの男が泣き出すのではないかと 一瞬思った。だが、ゼロスは一息吐くと、彼女の手を持ち上げ、 戦いでさんざん荒れている彼女の指に口づけをした。
「しいな、俺様、うれしい」
 周囲から期せずして拍手が沸き上がる。なぜだか分からないが、 メルトキオ中の人が祝っているように見える。この男と私が、こんな 不釣り合いは二人なのに、みんな、疑問に思っていないようだ。 思わず、ベンチから立ち上がったしいなをゼロスが強く抱きしめる。 しいなは、涙を流さない男の代わりに、静かに涙を流した。
 これほど多くの人に喜ばれるなんて、さすがにあんただけのことはあるよ。 そして、やっぱり馬鹿だよ。こんな人に愛されているのに、あたいなんかに 求婚するんだから。


「まったく、何てことするんだい」
 豪奢なゼロスの館でぷりぷりとしいなが怒っている。
「まあ、お姉さま、お兄様がなさることが尋常でないのは今に始まった ことではございませんわ。どうぞ、そんなにお怒りにならないで」
 お兄様ラブの妹が全く見当違いの慰めを寄越す。
「いいじゃないさ、スイート・ハニー。もう、宮殿にも噂が届いているだろうな。 俺様からのホワイトデープレゼントだ、しいな」
 しいなの横に座り、これまた豪華なソファの背もたれのよりかかり、足を投げ出し、 腕を頭の後ろに組んだゼロスがのほほんと答えた。
「あたいはロイドじゃないんだから、ハニーなんて呼ばないでおくれ。 それだよ、それ。ホワイト・デーっていうのは、騒ぎを起こす日なのかい。 なんであんたは全然気にしないんだい。あんなところ、大勢の人に 見られちまって」
 しいなは顔を赤くしながら、文句をつけた。
「あんなことって。。。お姉さま、素敵じゃないですか。多くの方の前で 求婚され、皆様が証人になってくださって。夢のようですわ」
 あんたの頭の中が夢なんじゃないのかい、とは、しいなも言えず、 ぐっと詰まる。プロポーズだけならまだしも、あの口づけも見られていたなんて、 死ぬほど恥ずかしい。しいなの顔が真っ赤になるのを見て、 ゼロスが体を寄せてきた。男の赤い髪がしいなの肩を覆う。ゼロスの熱がしいなを焼き尽くす。
「しいなと俺様のキスシーン、すんごいインパクトあったみたいだよなぁ。 後ろで、女の子が気絶してたぜ」
「こんの・・・あんた、何を観察していたんだい」
 しいなが怒る横で、セレスが両手を組合せ、きゃっと叫んだ。
「お姉さまとお兄様のキスシーン、なんて素敵なお話なんでしょ。 私も気を失うぐらい素敵な場面を見たいですわ」
 このアホ神子とそのアホ妹は何を言ってるんだい。しいなが 動揺している間に、ゼロスがにこりと笑う。
「セレス、しいなの魅力、お前にも見せたくないけど、リクエストされちゃしょうがないな」
 いきなり、唇を奪われ、しいなはソファの背に押し付けられた。
「いやん、お兄様、とても素敵ですわ。でも、セレス、これ以上見ていられませんわ」
 妹が嬉しそうに叫びながら、部屋から走り出ていった。
 なんで、私はこいつも口づけに動けなくなるんだろう。 まだ、鍛え方が足りなかったのか。ゼロスごときの拘束で 動けなくなるなんて、情けない。だけど、何も考えられなくなっちゃうよ。 恋や愛とは無縁の世界で生きてきた初心なくの一は、ゼロスの背に手を回し、 自分の顔の周囲を覆う赤い巻き毛に埋もれていく。
 同じだけ、ゼロスが動けないことには気づいていない。
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