番外編(収束)

INDEX

雨上がり

 六月にしては涼しく爽やかでよく晴れた日。まさに客を迎えるにはお誂えの陽気だ。来客用の優雅なマホガニーの小テーブルがテラスに設えられ、それに合わせた座り心地のよい丸椅子にかわいらしいクッションが置かれて四脚並べられた。
 彼女はどこに行ったのだろうと目を庭の先にやると、珍しく花壇に向いている姿があった。彼が見ているのに気づいたのだろう、こちらを向いて来る。
「ほら、綺麗だろ?」
と、両手一杯に色とりどりの花を抱えて、彼女が笑った。
「せっかく、咲いているんだから、そのままでもいいんじゃないの」
 そう聞けば、彼女はまぶしそうにこちらを見ながら答えた。
「せっかく、たくさん咲いているから、ロイドとコレットに飾って見せてやりたいんだよ」
 チクッと彼女の言葉が胸を刺す。今でも、彼女の口からロイドの名前がこぼれれば、心の奥底のどこかが傷む。毎日、ここで彼女と一緒にいるのは自分なのだ。ロイドはコレットと旅をしていて、それは、彼女も自分も知っている。そう分かっていながらのこの有様に自分でも驚くほど、彼女に拘っていることをまた思い知らされる。
 このところ、うっとうしい天候が続いたせいか、激務に追われているせいか、彼女はひどく疲れていた。いつもの小気味よいくらいキビキビとした動作を失っていた彼女が、ロイドとコレットが旅の途中に屋敷に寄ると便りを貰ってから、また明るくなった。そのことに気づくと、胸の奥底に何かが淀んだ。
 そんな彼の気も知らず、しいなはみずほの里の歌らしいものを口ずさみながら、ご機嫌だ。旅を一緒にしていたときにコレットの趣味を聞き出していたのか、客間にも丁寧にコレットが好みそうなかわいらしい置物やら、普段の彼女なら目に入れることもなさそうなレースの小物などを飾っていた。


 彼女が昨日からメイド達と一緒に作っていたケーキや、どこからか探してきたおいしいお茶に、ロイドもコレットも大満足の様子だ。それを見て、彼女の表情がまた一段と明るくなった。またまた、チクッと胸の奥が痛み、それ以上に彼女の美しさが誇らしかった。
「あのさ、俺達……」
 ロイドが言いよどんだ。いつでもどこでも何だって屈託なく口にする少年が頭を掻く。いや、もう青年とよばなくてはならないな、などと見ている間に、相変わらず、のほほんとしているコレットが続きを口にした。
「私達、子供ができたんだよ。ね、ロイド」
 カターンと音がして、ティースプーンがよく磨かれた小テーブルの上に落ちた。顔を真っ赤にして照れ笑いをするロイドの横で、目を見開いて硬直した彼女の姿が目に飛び込んだ。
 しかし、彼しか気づくことのなかったその表情は、一瞬の静寂の後、満面の笑みとなって、コレットに向かう。
「びっくりするじゃないか。おめでとう。まったく、あんた達にはいつも驚かされるねぇ」
「そうそう、まさかロイド君がコウノトリの呼び方を知っているとは思わなかったぜ」
 茶化せば、ロイドはますます顔を赤くしながら、半ばやけくそのようのに言った。
「牧場や森の中にいれば、イセリアじゃ、子供だって知っているさ」
「ええ、でも、ロイドだって、この前、お医者様におめでたですって言われたときに、いつ運ばれてきたんですかって、聞いたよね。私も、窓をコンコンってたたいて教えてくれると思ってたから、びっくりしたよね」
 コレットがこれまたのんびりと答えるものだから、皆で大笑いをした。
「で、コレットちゃん、子供の作り方、わかっちゃったんだ」
「ゼロス、変な聞き方するなよ」
「ロイド、私達、毎日愛し合っていたもんね」
「コレット、それ以上言わないでくれ」
 ロイドが茹蛸のようになって、コレットの横でいっそう、うなだれていた。

 
 一泊した後、ロイド達が帰ると急に広い屋敷が寂しくなった。さっきまで笑っていた彼女はまたぼんやりとしている。ロイドのことでも考えているのだろうか。
 静かに向かい合った食卓で、彼女がまた皿の上のものをほとんど食べていないことに気づいた。このところ、ずっとそうだ。昼はあんなにおいしそうにケーキを食べていたのに。ああ、ロイド君達といれば楽しくても、俺様と向き合っていては、食欲もわかないんだと気づいた。心の奥底のチリチリとした痛みにじっと耐える。
 突然、彼女から尋ねられた。
「ゼロス、あんた、子供は嫌いかい」
 何の脈絡もなくたずねられたことが分からず、反射的にロイド君達を頭に浮かべた。
「ああ、お子様は嫌いさ」
 そう答えたとたんに、彼女は立ち上がると食堂を出て行った。
「おい、どうしたって言うんだよ」
 寝室まで追いかけたが、鍵をかけたらしく、扉が開かない。何度も訳を聞きたくて声をかけたが、部屋の中からは物音一つしなかった。

 
 朝、目が覚まして、妙に静かなことに気づく。いつもなら、早起きの彼女が
「何をノロノロしているんだい」
と、横で騒ぐはずなのに、人の気配がない。
 ベッドで寝返りを打って、ここが客用寝室であることを思い出した。昨日の服のまま、慌てて食堂へと向かう。長い廊下の窓から、雨がしとしとと降っている庭が見え、少しだけ開けてある窓から蒸し暑い風が入ってくる。その風に気持ちが焦れる。
 食堂にはいるはずの人影がなく、いつにもまして大きく見えるテーブルにはひっそりと一人分の食事の食器だけがある。何かがおかしい。今度は不安で胸の中がちりちりと痛んだ。。
「おい、セバスチャン」
 つい、いつもより大きな声で呼んだ。忠実な執事は彼の背後からいつものとおり、静かな声で答えた。
「はい、ゼロス様。ただいま、お食事の準備を……」
「そうじゃねぇ」
 また、いらついた声が出てしまった。
「いや、セバスチャン、すまねぇ。食事はいいから、しいなを呼んでくれ。まだ、起きてこないのか」
 そう尋ねると、執事はゼロスが座っている席の横から、珍しいことにじっと彼を見た。ほんの数秒、執事は躊躇った後、答えた。
「今朝方、お屋敷を出て行かれました」
 ゼロスはその言葉を口の中で繰返した。出て行かれました。彼の表情を伺うように見ていた執事は、また、数秒考えてから、付け足した。
「泣いていらっしゃるようでした」
 そういうと、幼い頃から彼の忠実な執事はこともあろうに、彼の言葉も待たずに丁寧に頭を下げると彼の背後へと戻っていった。
 食事の盆をもってメイドが入れ替わるように入ってきたが、彼女もゼロスをちらりと見ると、挨拶もせずに尋ねた。
「ゼロス様、お食事の支度、始めてよろしいでしょうか」
「ああ、……」
 納得がいかない。昨晩だって、しいなが急に逆上したのだ。俺様は理由を聞こうとしたのに、答えないんだぜ。それなのに、なんだ。お前達までしいなの味方なのかよ。
「おいおい、なんだよ。なんだよ。まるで俺様が悪いみたいじゃないか」
 つい、口から不機嫌な声が漏れた。メイドはちらりとゼロスを見て、顔をそむけた。そのとき、背後からセバスチャンの声が聞こえた。
「ゼロス様が悪う御座います。お気づきにならないとは、しいな様がおかわいそうです」
 冷たく言い切る執事の声にゼロスは立ち上がった。
「おい、お前ら、何を知っているんだ」
「ずっと、お具合が悪かったじゃないですか」
 これまた、長い間仕えてくれているメイドがきっとこちらを見て言った。
「それなのに、昨晩のお言葉。しいな様でなくとも……。おかわいそうに……」
 メイドは絶句すると、目元を押さえて食堂を出て行った。
「しいな様のお具合が悪いことを気遣わないゼロス様がいけません。あなた様が労わらないで、どなたが労わるんです」
 セバスチャンまでが言い終わったとたんに、部屋の外へ出て行った。ロイド君にでも労わってもらえばいいだろう。そう、悪態をつこうとして、二人の言葉が頭のなかでこだました。あいつ、そんなに具合が悪かっただろうか。
「おい、セバスチャン、待ってくれ。俺様が悪かった。お前達が何を知っているのか教えてくれ」
 慌てて、屋敷の者をおいかける。


 雨上がりのさっぱりした風に吹かれる。夕焼けが薄く重なる雲を美しく染めている。しいなは、その雲をぼんやりと眺めているうちに、また涙が溢れてくるのを感じた。一体、どうしてこんなに気弱くなったのだろう。ゼロスのせいだ。あいつと暮らす前は泣いたりしなかった。
 何故、あいつの言葉がこんなに重くのしかかるのだろう。あんなやつなのだから、期待しちゃいけなかった。それなのに、この数ヶ月の暮らしが、きちんと約束は交わしていなかったけれど、まるで家族のようだったから、勘違いしてしまった。
 ずっと、暖かい家庭を築くことなどないと思っていた。彼もそうだったと思う。家が家だし、生まれが生まれだ。そんな世界にいたから、長い間、ないものだと考えていた。
 その世界を壊したのは自分達だったのだから、彼も当然自分と同じ気持ちでいると思っていた。私達は新しい家族になれたのだと信じてしまった。自分だけがはしゃいで、思い上がっていた。
 ゼロスは私と一緒にいても、幼い頃に失ったものなぞ、期待していなかったのだ。
 あんなやつ。気にしちゃだめだ。これからは一人で生きればいいんだ。
 自分に何度も言い聞かせようとして、しかし、昨晩の冷たい彼の言葉が頭に浮かべば、涙が溢れた。あんなことを言われるような付き合いだったなんて、本当に私は馬鹿だよ。やっぱ、私って頭悪いんだ。


 ああ、何で気づかなかったのだろう。
 屋敷の者たちから真剣に詰られれば、いろいろと思い当たる。そういえば、先月は、気分が悪いとソファに横になっていたり、それとなく、夜も愛し合うことを避けられたりしていた。互いに忙しいから、無理はするなよと声はかけていたが、すっかり勘違いしていた自分が情けない。
 ロイド君達が来るという手紙がきてから、黙って屋敷を数回出ていることも気づいていた。そのときは嫉妬に目が眩んで、自分の目の届かないところでロイドのことでも思い出そうとしているのかと思っていた。
 医者に行っていたなんて。
 屋敷の召使達がみんな気づいているのに、俺様だけが小さな嫉妬に目がくらませていたのだ。
 しかし、どこにいる。しいなが怯えていることがわかった。
 探して、今すぐに伝えなくてはならない。
 彼女が恐れているように、自分も怖い。
 「親になる」
 その資格があるのかどうか、今の自分には自信がない。
 だけど、最も待ち望んでいたことでもある。


 セレスは優雅にティーカップを抱えたまま、しいなの言葉に首を振った。
「お兄様がそんなことをおっしゃったりする訳がございません。それは何かの間違いです」
 そんなことはないよ。確かにそう言ったんだと、つぶやく彼女にセレスは答える。
「お兄様に理由をお聞きになりましたか。しいなさん、聞いてらっしゃらないでしょ。きっと、別の理由です」
 セレスはお茶を一口啜ると続けた。
「だって、先週もこちらにいらっしゃって。家族っていうのはいいもんだ。しいなと暮らしていると楽しいぜ。お前も早く俺様達と暮らそうとそれはうるさくおしゃっていましたもの」
 しいなはその言葉にはっと顔をあげた。
「だからと言って、新婚のお邪魔をするつもりはございませんのよ」
「いや、私とゼロスは、……。新婚なんて……」
 顔を赤くするしいなをちろりとセレスは見て、カップをテーブルにおいた。
「だから、お姉さま、お兄様になぜそんなことをおしゃったのか、まず、お聞きになった方がいいですわ」


 ゼロスが修道院につくと、セレスが戸口のところで待っていた。
「お兄様、遅いですわよ。待ちくたびれましたわ」
「すまない。セレス。俺様が悪いんだよ。ここにいるよな。しいな」
「もちろんですわ。お姉さまは私のお部屋にいらっしゃいます。
これ以上泣かせましたら、お兄様といえども承知いたしませんわよ」
 ゼロスは、お前にまで気ぃ使わせちまったなとセレスの頭を軽くたたき、塔の上へと走り去った。
 

 いかにもセレスらしい柔らかな香に包まれた部屋の窓辺に彼女が座っていた。じっと、外を眺めているその姿はいつにもまして美しい。この女を俺は愛しているのだと確かな感情が胸に沸き起こる。
 そして、愛しいこの女から俺も愛されたい。その資格はまだ失っていないだろうか。ああ、まだ間に合いますように。心の中で信じてもいない神への祈りを捧げ、そっと近づく。
「セレスかい。さっきはありがとう。もう、決めたから大丈夫だよ」
 しいなはなおも外をみながら、いつもとおりのしっかりした口調で言った。離さない。だけど、壊したくもない。薄い大切な陶磁器に触れるように静かに彼女を包み込んだ。一瞬、ぴくりと体を震わせ、しかし、彼女は彼の腕からは逃げなかった。
「何を決めたんだ」
 彼女の答えをじっと息を殺して待つ。彼女はなかなか答えなかった。ああ、もう我慢できない。思わず言った。
「何を決めたかしらないが、頼む。生んでくれ」
 同時に彼女が答えていた。
「あんたには悪いけど、生むつもりだよ」
 互いの言葉に二人は沈黙した。彼女の言葉が頭の中で分かるのにすごく時間がかかった気がした。
「本当だな。もう俺様に黙っていなくなるなよ」
 強くだきしめて、耳元で囁くと、しいなの当惑したような声が耳に入る。
「あんた、子供、嫌いじゃなかったのかい」
「悪い。この前のあれは全て俺様が悪い。……」
 ゼロスのしどろもどろの言い訳を聞くしいなの涙が彼の胸を濡らす。雨上がりの冷たい風が彼女の香を運んできた。愛おしさに彼も胸が詰まった。
「泣き止んでくれ。本当に悪かった。俺様が考えなしの馬鹿でした」
「あんた、ちっとも私のことがわかっていないね。これはうれし涙だよ」
 窓から見える水平線の遠くに、沈む夕日の最後のまたたきが見えた。その輝きのせいだろう。彼の目も奥が痛む。
 彼女に回す腕を緩め、そっと彼女の顔を起こし、その赤い唇に優しく口付けを落とした。
「俺様もうれしい。家族が増えるとなれば、屋敷を作り直さないとな」







おまけ
INDEX
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送