メタモルフォーゼ(変容) 番外編

モクジ

  お邪魔虫  

 夏も盛りではあるが、王宮のほど近いカーティスの屋敷は流れ落ちる水壁が熱気を遮るのか、ことのほか涼しい。石造りの重厚な建物の中は、ひんやりとした風が抜けていく。広々とした客間には、丹精こめて育てられた夏の花が優美なガラスの器に溢れんばかりに飾られていた。ごく薄い灰色の大理石が敷き詰められたテラスの上に、ブロンズ製のテーブルと椅子が並べられている。凝った装飾に縁取られたテーブル中央には、アニスご自慢の刺繍が施されたクロスが置かれ、椅子には座り心地を良くするようにと同じ刺繍柄のクッションがいくつも置かれていた。
 皇帝と皇妃は、見事に繁る薔薇のアーチが作り出す影の中、席に着いた。吹き寄せる風は爽やかで、夏の午後の茶会には絶好の日だった。


「それで、ジェイド。この席配置は何のつもりだ」
 来てそうそう、ピオニー陛下が右隣に座るジェイドに文句をつけた。
「ごく私的なお集まりと陛下がおっしゃいましたので、皆でくつろげるようにと」
 二人がけのベンチにすわり、ちゃっかりとアニスの腰に手を回したまま、ジェイドがにこやかに答えた。
「どうしてもてなす側のお前がアニスの横にひっついているのか、まず、尋ねたい」
 とたんにジェイドが嬉しそうに口を開きかけた顔を見て、ピオニーは慌てて遮った。
「いや、答えなくていいぞ、ジェイド。せっかくの茶会だ。聞きたくないことを聞かされるのも馬鹿らしいから、この際目を瞑ってやろう。だが、なぜ俺とネフリーの間がこんなに離れているのだ。おい、ジェイド、まだ、 俺達のことを根に持っているのか」
「とんでもありません。いつもネフリーの幸せは願っていますよ、陛下」
 これまた、ジェイドがにこやかに答えた。
「ネフリーの幸せは、すなわち、俺を幸せにすることだ。分かっているか、ジェイド」
「何、寝ぼけたことをおっしゃっているのですか。だから、お茶会にご招待してるじゃないですか。ネフリーだって、たまには気のおけない女性を話したいに決まっています。だから、アニスとネフリーが近い方が話ははずみますし、ガイは女性のそばはつらいですからね。それに、あなたの横に私がいなければ、陛下を抑える者がおりません。いいですか。ここは私の屋敷ですから、くれぐれも行儀よくお願いしますよ」
 ピオニー陛下は左手に座るガイとカーティス元大将が仲良く音機関話に盛り上がっているのを横目で眺めた。アニスとネフリーも最近ケセドニアからこちらに出てきた装身具の店の噂をしている。
「お前、頭しかとりえがないっていうのに、社交界のお決まりを忘れたのか」
「そっち方面は私の専門外ですから」
「俺はネフリーとアニスちゃんの間がいいって言っておいただろうが。な、夫婦は交互に座るものだ」
「耳の調子が最近悪くてですね」
「お前の耳の調子が悪かったら、他のやつらなんて、何も聞こえていないも同然だ。地獄耳のくせしやがって」
「嫌ですねぇ、陛下。どうしても来たいとだだをこねたのはどなたですかね。私は、この屋敷にいらしても面白くないとあらかじめ申し上げましたよね」
「本当、口の減らないやつだよな。アニス、こいつといて楽しいか」
 ピオニー陛下は、自らの懐刃を口説き落とすのはあきらめ、矛先を別の方向へと向けた。
「え……」
 皇帝が急に話を振ったせいで、アニスはきょとんとした顔で周りを見渡した。ガイはとたんに口を閉じた。ジェイドは何を聞くのだと言わんばかりの顔でピオニー陛下を睨みつけた。カーティス元大将とネフリーは互いに顔を見合わせた。
「陛下……」
 ネフリーがたしなめるように声をかけた。
「ネフリー、俺はアニスに聞いているんだ」
「陛下ったら、アニスにジェイドを取られちゃって、最近はお淋しいのよね。誰も他の人は、陛下のなさることに嫌味を言わないですものね」
 ネフリーがアニスに向かってにっこりと微笑んだ。ジェイドは肩を竦めて、アニスの腰に回している手に緩めた。アニスはネフリーの笑顔に釣られるように、くすりと笑って、ジェイドに話しかけた。
「ジェイド、陛下のお相手してあげていいんだよ」
「アニス、何言ってるんですか。それでは、私が仕事になりませんよ」
「いいのか、アニス。俺にジェイド取られちゃったら、淋しくなるぞ」
「ううん、陛下になら有料で貸しちゃいます。でも、あまり長い間は貸せませんけど。先週、ジェイドが一週間いなかったら、ほっとするはずだったのに、意外や意外、嫌味炸裂なお小言がなくて、屋敷が淋しかったですよぅ」
「そうか、そうか。ついにアニスもジェイドの良さが分かったわけだ。こいつの取り柄は頭と嫌味だけだからな。だが、金を取られてまで、ジェイドの有難い棘のある言葉を聞くのも、いただけないかな」
「有料でしたら、ますます、サービスしますよ」
「確かにジェイドの旦那の余計な一言がないと、ぴりっとしないですけど。いや、俺は毎日聞きたいとは思いませんから、遠慮しときますけどね。それに、有料となったら、何が起きるやら」
 ガイが横から茶化した。
「うむ。ジェイドは誰にも公平な男ですからな。嫌味を聞けるのは陛下だけではございませんぞ」
「義父上、何をおっしゃっているのです。いいですか。私は皆さんのことを心配して、客観的な意見を申し上げているだけですよ」
「ジェイド、むきになって言うと、陛下の思うつぼだよ」
 アニスがジェイドにこそりと囁いた。
「いいんですよ。少しはピオニーを喜ばしてやらないとね。このところ、相手にしてあげないので、ふててますからね」
 大佐もアニスの耳元に囁き返した。横目でそれを見たピオニーがガイの肩をたたいた。
「おいおい、お前達、そんなに見せ付けなくていいんだぜ。ガイラルディアが暴れたらどうすんだ」
「陛下、何をおしゃっているのやら」
 話を振られたガイが肩を竦め、ジェイドがこほんと咳をした。
「ピオニー、下衆の勘繰りって言われますよ。全く仕事もしないで、そういうことだけはご存知なのですから。一体どこから変な噂ばかり仕入れるのやら」
「火のないところに煙はたたぬってな。ネフリー」
 ネフリーはくすくす笑って、アニスの手を握った。
「私は聞いていないわよ、アニス」
 アニスは困ったようにガイとジェイドの表情を観察した。
「えっと、しかし噂となるような振る舞いをしたのは私です。私が悪かったのですから、ガイに話を振らないで下さい。ガイ、その節は無礼なことを申し上げてすみませんでした」
 あっさりとジェイドがガイに頭を下げた。ガイはちらりとアニスの方へ目をやり、軽く息をついた。
「え、いや、ジェイドの旦那にそんな風に謝られると、俺としては何も言うことはないですよ。俺もあのときは、ジェイドにもアニスにも言いすぎだったから、気にしないでくれよ」
 ピオニーがからからと笑った。
「ガイラルディア、ジェイドが頭を下げた後は気をつけた方がいい。明日はとんでもない難題が降ってくるぞ」
「何をおっしゃっているのやら。陛下にはいつも頭を下げているではないですか」
「そうして、お前が山のように書類を置いていくことを、俺が知らないでいると思っているのか」
「陛下、まだ仕事を溜めていらっしゃるのですか」
 カーティス元大将が咳払いをすると、ピオニーは気まずそうに紅茶を手にとった。
「カーティス家に来ようと思ったのが間違いだったか。カーティス元大将、今日は仕事の話はなしだ。俺はアニスの顔を見にきただけだからな。それでだ、ジェイド、俺と席を換われ」
「お断りします」


 皇帝陛下の寝室も、夜更けにはさすがにブウサギの鳴き声も消える。小さく落とされた灯が、妃の金髪を赤銅色に見せている。ピオニーは解かれて真っ直ぐと流れ落ちているその髪に撫で、自分の肩に寄りかかっている愛して止まない人の耳元へ話しかけた。
「ネフリー、これで安心したか」
「陛下。あら、安心されたのは陛下の方ではないですか。でも、兄さんの館に連れていっていただいて、楽しい時間が過ごせましたわ。私も兄さんがあんなに機嫌がよいとは思いませんでした」
「俺もだ。アニスもえらく楽しそうだったな。ガイラルディアもこれでふっきれただろう」
「あら、ガルディオス伯爵のこと、本当にそうだったのですか……」
「よく分からねぇけど、何となく勘だ。例の夜会で言い争っていたって噂を何回か耳にしたぜ。あのジェイドが気になる程度のことはあったんじゃないか。ネフリー、あいつが今まで誰かと人前で声を荒げるのを見たことがあるか」
「いいえ。あのサフィールが一方的に言いがかりつけても、昔から平然としていますものね」
「まあ、あれはあれで、相手を煽ってやっているから、ちょっと違うような気もするけどな。しかし、ガイには悪いが、本当の相手ってのは、滅多なことじゃ見つからない。ジェイドには最初で最後の機会だからな。ガルディオスなら、これからももっといい女が見つかるだろうが」
「まあ、陛下ったら」
「親友だから分かるんだ。俺もそうだ。本当の相手を手に入れるのに苦労がつきものだ。俺の場合は、まあ、その甲斐はあったけどな」
「私がちょっと遠回りしただけですわ」
「いや、俺もさ。俺がもっと早くに動けば良かったんだ。動けることに気づかず、国に縛り付けられているとばかり思っていた。実はそう思い込んで動かなかったのは俺なのにな」
「全てに時期がございます」
「お前に言われると、本当に申し訳ない」
「いいえ、陛下。私も、今だからこそ、陛下とご一緒させていただいて、これほど幸せを感じられるのだと。互いに離れて過ごした時間はどれも無駄ではないはずです」
「そう言ってくれると、俺も心強い。やはり、お前が一番の女だ」
「陛下、今更お世辞を言ってくださっても、何もいいことはございませんよ」
「俺が今更、お前に世辞を言うわけないだろう」
「ピオニー」
「ネフリー……」
 甘い雰囲気が漂った二人の間に、柔らかい獣が鼻を摺り寄せてきた。とたんに、ネフリーがもたれかかっていたピオニーを押すように起き上がった。
「おい、俺の可愛いジェイド、いいところで邪魔をするなよ。やっぱり、名前が悪かったかな。最近、こいつ、可愛くない方に性格が似てきたような気がする」
 ぼやいているピオニーの腕からすくっとネフリーが立ち上がった。
「陛下、昼間はともかく、夜の寝室にブウサギを入れるのは止めてくださいって申し上げましたよね」
 きりりと目を吊り上げて、姿勢良く立つネフリーの姿にピオニーは見惚れた。こういうときの兄妹は本当に良く似ている。そして、その後のきっぱりとした態度もだ。可愛いジェイドを抱え上げながら、ピオニーは苦笑した。しかも、ネフリーの足元には、もう一匹じゃれついていた。これは、まずいかもしれない。
「ネフリー、ちょっと待ってくれ。俺が入れたわけじゃない。こいつら、お前に懐いているからな。さっき、お前の後をついてきただろう。すぐにジェイドとサフィールは外に出す」
「いいえ、私が自分の部屋に行きますから、お気遣いは無用ですわ」
「ネフリー、待て。待ってくれ」
 勢い良く彼の寝室を出て行くネフリーの後ろを、可愛いジェイドとサフィールがとことこと足音を立て追いかけた。
「くそ、ジェイドめ。可愛い方も可愛くない方も俺に手間ばかりかけやがる。人のうちの揉め事の前に、自分の方をどうにかしないとまずいな」
 取り残されたピオニーはしばし一人で天井を見上げていた。だが、のっそり起き上がると、ブウサギ達の後を追った。
 可愛いジェイドの行動を見習うのが一番だ。意思表示ははっきり素直にするに限る。つまらない拘りのせいで、大切な物を簡単に失ってしまうことがあるのは、身をもって体験した。一度犯した愚は二度と繰り返さない。それが皇帝たる者の務めだ。可愛くないジェイドもたまにはブウサギを見習った方がいいと教えてやろう。
モクジ
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