聖夜のお話2010

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おまけ : 求婚(プロポーズ)

 今年の聖夜は誂えたように荘厳な趣の夜だった。夜半に雪が上がり、ダイヤモンド・ダストが星明りに煌くなか、青白い三日月が晴れた空にかかっている。新婚の妻を軽々と抱え、新郎はホテルのフロントを軽く一礼したまま通り過ぎた。もちろん、予約はしてあったのだろう。夜中にも関らず、ベルボーイからフロント係まで、まるで王侯貴族が訪れたかのように深いお辞儀をする。その前を少なくともジェイドは胸をはって通り過ぎた。
 新郎はダアトの儀式に則ったつもりでいるようだが、大抵の男はそれが愛しい新妻でも敷居をまたぐときしか抱えないものだ。アニスは激しく抗議したのだが、何せ力だけは人一倍ある男はアニスの抗議もどこ吹く風だった。最初は教団本部から抱いていくつもりだったらしいが、さすがに部下がずらりと並んだ階段の真ん中で滑ったら大変というアニスの忠告だけは聞き入れられた。
 ジェイドは堂々とアニスの腕を取り、一段おきに立つ部下達が順々に敬礼する姿を満足そうに睥睨しながら、階段を下りる。背後では、頼みもしないのに、オラクル騎士団の友人達の厳かな譜歌が響く。アニスはいても立ってもいられない気分で、ジェイドの腕を引いて急かしたが、全く効果なかった。
 どうにか階段を降り立つ直前に、旅の仲間達が待ち構えていた。嫌やな予感に震えるアニスと裏腹に、ジェイドは心得顔でアニスを抱き上げた。
「さあ、ティアが待っているから、彼女にブーケを投げてあげてください」
 したり顔でジェイドが囁く。下ろしてよ! とアニスの声は空しく響き、早く投げろよというルークの大声にかき消された。夜空にふわりと弧を描き、ブーケは首尾よくティアの腕の中へと収まった。わぁと景気のよい仲間達の声が深夜のダアトに木霊し、歩き出したジェイドの背後から二人を祝福する声が追いかける。再び、アニスは下ろしてよ、と訴えたが、ジェイドは軽くアニスを抱きなおしただけだった。
 深夜の街はさほど人がいるわけではない。だが、夜分に着いた信者のための宿屋や聖夜の祈りを捧げる信者達がまだ歩いている。皆、アニスの声になにごとかと振り返り、花嫁姿のアニスと正装のジェイドに祝福の祈りを贈る。騒げば騒ぐほど人目を引くと気づき、アニスも途中から大人しくなった。
 こうして、二人は無事に結婚式を挙げ、どうにか新婚初日を迎えるために用意されたスイート・ルームへとたどり着いた。


 恭しく床に下ろされるなり、アニスはきっとジェイドを睨んだ。
「私はジェイドのプロポーズなんて了承していないから」
 当然、アニスのそんな反応は覚悟していたのだろう。ジェイドはにこにこと笑顔で花嫁の文句に反論した。
「でも、結婚式は終わりましたよ。マルクト帝国に所属する私としては、ローレライ教団の導師に司会され、陛下の前で式を挙げたのですから、まあ正式に認められたものと言えます。あなただって、導師にお導きに文句は言えないでしょう」
「その導師がフローリアンなんだから、文句は大有りだよ」
「やれやれ、ローレライ教団に従う者とは思えない台詞ですね。まあ、ことここまで来てしまったのですから、アニス、あなたも現状を受け入れてください。愛しいアニス」
 ふいに身をかがめ、ジェイドがアニスの唇に口付けを与える。軽く触れ合わせた唇の隙間から熱い舌が忍びこんでくる感触に、アニスは慌てて身を引き剥がした。
「ちょっと、待ちなさい。なんで、私がジェイドと結婚しなくちゃならないのよ。私はダアトで教団の面倒をみないといけないし、ジェイドの仕事の邪魔はしたくないの」
「それに関しては、何も心配いらないではないですか。ローレライ教団の導師が式を司り、マルクト帝国の皇帝陛下が列席したのですよ。国の上層部にもきちんとご理解いただいてますよ。おまけに、キムラスカ王国の王族達からも祝福されましたしねぇ」 
 得々と正論を語るジェイドにアニスはぷうと膨れ面をした。どうやら、国と教団の上層部さえ納得していれば、花嫁の了承なんてどうでもいいらしい。この男の考えそうなことだ。それに、マルクト帝国はともかく、キムラスカ王国がこぞって来るなんて明らかに変だ。アニスはぴしりと問いただした。
「誰がインゴベルト陛下を呼んだのよ」
「私ではありませんよ」
 全く平然とジェイドは答えた。どうせ、裏で仕組んだのは目の前の夫に決まっているが、証拠がなければ、白を切りとおすに決まっている。アニスはもう一度、最初に話を戻した。
「だから、肝心の私がジェイドのプロポーズに了承していないじゃない。どこに証拠があるのよ」
 ぐいと迫るアニスにジェイドが得意そうに桃色の封筒を取り出した。
「ほら、こちらにあなたの返事がありますよ。忘れてしまったのなら、読んであげましょうか」
 丁寧に取り出される便箋をアニスは男の手からむしりとった。そこには、見覚えのある悪筆でプロポーズを了承した旨が書かれていた。
「なによ、この偽手紙。これを私の字だと思ったわけ」
 背の高い男はいつもの飄々とした態度で新妻の問いに答えた。
「ええ、もちろん、アニス、あなたの筆だと思ったのですよ」
 ジェイドの白々しい答えにアニスはぐいとその手紙を男の前にと振りかざした。小花の散った薄い桃色の便箋はいかにも少女が好む雰囲気たっぷりのものだ。アニスの動きに、品のよい薔薇の香がほのかに漂う。男は小鼻を蠢かせ、今までの落ち着いた表情を崩し、嬉しそうに笑った。
「私が贈った香水ですね。気に入ってくださったのですね」
 滅多に見られない軍人の本心からの笑顔にアニスは一瞬押し黙った。軽く口角を持ち上げただけの笑みのくせに、どうしてこうも色気溢れるのだろう。思わず見惚れたアニスは、ぶんぶんと頭を横に振った。このまま押し切られては、彼女の沽券にかかわる。
「ジェイドから貰った香水を手紙につけるなんて勿体無いこと、私がするわけないじゃないの」
 怒りのあまり、ジェイドを喜ばせるとは気づかず、アニスは本音を吐いた。あの香水は皆に見せびらかした後に、鏡台に大切にしまいこんでいる。
「勿体無いなんて言わないで下さい。あなたが大事にしてくださるのは嬉しいですが、使っている姿も見たいものです。本当にアニスの可憐な印象がさらに増しますよ。なくなったら、いくらでもお贈りしますよから気にしないでください」
 満足そうにジェイドは新妻を眺めた。
「さて、せっかくの新婚初日です。そろそろ、熱い夜を過ごす時間ではないですか。かわいいあなたを眺めるのも悪くはありませんが、その時間はたっぷりありましたからね。愛を確かめ合う方法は神の前の誓いだけではありませんし」
 突き出したアニスの手首を男が優しく握りこむと、手の甲に熱い唇が押し付けられた。予想外の動作に、アニスの手が緩み、手紙がはらりと床に落ちた。素早く、ジェイドはその手紙を拾い上げると、すかさず、軍服の胸ポケットへと仕舞いこもうとした。アニスは慌てて、その手紙をもう一度奪い返した。
「その前に、なぜこれが私からの手紙だなんて勘違いしたのか、筋の通った話を聞かせて貰おうじゃないの。どこをどうみても、私からの手紙じゃあないでしょ」
 アニスはもう一度、件の手紙を振りかざした。
「アニスって署名がしてありますよ」
 アニスから目を逸らした男は、ゴホンと咳払いをして、わざとらしくソファに座り直した。
「とりあえず、座って話しましょう、アニス。聖夜の式典に続いて、我々の結婚式でしたから、あなたも疲れたでしょう」
 思いやりたっぷりの夫の誘いを敢然と無視し、アニスは向いのソファに腰を下ろした。ジェイドが不満そうに、眼鏡を直した。
「今さら、他人行儀に向い合わせで座らなくてもいいじゃないですか。二人で並んで肩を寄せ合ってお茶したかったのに、今までずっと断られてきましたが、今や、正式に夫婦なんですから」
 未練たっぷりにジェイドが自分の横のクッションをぽんぽんと叩いた。アニスはふんと鼻先で笑い、夫を睨みつけた。
「で、アニスって署名がある以外、どこをとっても、私が書いたと思えないけど。まず、私はこんな便箋使わないこと、ジェイドだって知っているでしょう」
「はて、そうでしたっけ」
 またしても、夫はとぼけた答えを返した。
 自分だって、紙の質はともかく、罫が引いてあるだけの無味乾燥な用箋を使っているくせに、今さらだ。加えて、彼女に書き送ってきた内容も、使用されている用箋に相応しいだけ、淡々としたものだった。そんな男に彼女がわざわざこぎれいな便箋を使う理由が思い当たらない。そもそも、便箋が白かろうが、金箔が押してあろうが、書いてある内容は変わりない。だから、日頃から無駄なお金は一切使わないアニスは、便箋だって余計なお金はびた一文払っていない。つまるところ、教団事務用の便箋で落丁があるものを有難く頂戴して、利用していた。
 つまり、この手紙は断じて彼女が書いたものではない。
「おまけに、この字。この字のどこが私の字だって言うの」
 薄い桃色の便箋の上には、びっしりと斜めに傾いだ字が綴られていた。どこをどうみても、フローリアンの悪筆だ。毎日見ているアニスが見間違えるわけがない。そして、この男も実際のところ、アニスの字とフローリアンの字を間違えるわけがない。これは、明らかにフローリアンとジェイドの二人がつるんで、アリバイ作りに励んだ結果に違いない。香水だって、ジェイドあたりの入れ知恵だろう。どう言い訳するつもりなのだろうか。アニスは差し向かいのなりたてほやほやの夫に便箋を振り回した。
「あなたの字と判断した根拠は、この手紙の字が大変下手糞なところです」
 しらりと夫が答えた。
「なんですって。私の字がこんなに……下手ですって……」
 怒りに震えるアニスの手から、ジェイドがすかさず問題の手紙を奪い取った。こいつに隙を見せてはならなかった。アニスが後悔する間にも、手紙は丁寧にたたまれて、ジェイドの軍服の隠しへと仕舞われた。それから、ジェイドはまっすぐに座りなおすと、生真面目にアニスを見つめた。
「アニス、冗談ですよ。怒らないで下さい。正直に言えば、フローリアンからの手紙だと分かっていました。どういう経過だったか、これから話しますから」
 静かな夫の言葉にアニスも押し黙った。
「数ヶ月前にフローリアンからあなたの元気がないが、私が原因ではないかと問う手紙が来ました。正しくは、問うというよりは、私が悪いと責める内容でした。しかし、あの頃はあなたとずいぶんすれ違いが続いていたといいますか、避けられていましたよね。だから、あなたから連絡を一方的に拒絶されていると正直に申し上げましたところ、フローリアンもずいぶんと私達の仲を心配してくれましてね。
 まあ、最初は私の行動に多いに問題があると疑っていたようですが、私が丁寧に私達の関係を説明いたしましたので、私だけでなく、あなたにも少々問題があるとどうにか理解してくれました」
「私に問題があるってどういう意味よ」
「いえいえ深い意味はありませんが、端的に言えば、アニスと出会ってからはあなた一途である私の気持ちをあなたが十分にわかって頂けていないというところでしょうか」
 そこでジェイドは一途なんですよ、と生真面目な表情を崩し、軽く微笑んだ。一途なわりにこういうときの態度は場慣れしているよね、と新妻はじろりと見返した。いつものことながら、夫は妻が自分を見つめてくれただけで有頂天になり、機嫌よく話を続けた。
「それからですね、フローリアンがアニスに気持ちを伝える練習をするべきだと勧めてくれるので、それもそうだと思い、フローリアンと文通していたのです。非常に有益な時間でした。指摘されて分かったのですが、どうやら私の手紙は肝心の部分がやや短く、印象が薄いということらしいです。あなたに私の気持ちが伝わらないのもそこが問題であると判明しました。その結果がこの手紙です」
 至極、当たり前のように語るジェイドの姿に、アニスもふんふんと頷いていた。確かに、ジェイドの手紙ときたら長いというか小難しいというか、とにかく恋人が書く手紙ではなかった。そこで、アニスはぽっと頬を染めた。そうか、私達って恋人同士の手紙のやりとりをしていたんだ。ついつい、オラクル騎士団の小隊長への報告書をまとめる気分になっていたのは、当然ジェイドのせいよね。そこで、アニスの頭の中で何かが引っかかった。
「ジェイド、フローリアンに何を説明したの」
「何って、どういうことですか」
「だから、私達の関係って何を言ったわけ」
 話を途中で遮られた男は淡々と答えた。
「愛し合っている仲である。事実上、夫婦と思っている。それから、あなたと付き合ってからは一度も他の女と関係していない。もちろん、男とも関係していない。いや、これは私がどちらもいけると言うわけではなくて、ええと……」
 まだ、考えていたジェイドは息を詰まらせた。ローテーブルの上に膝をついたアニスに、襟首を締められたからだ。
「あのフローリアンに何てこと言うの」
「ア、アニス……。落ち着いてください」
「かわいいフローリアンに、どうして、あんなことやそんなことをぺらぺら話すわけ」
「仕方ないじゃないですか。フローリアンが正直に話さないと、あなたは渡さないって脅すものだから。それで質問に真摯に答えただけですよ。それに、もうフローリアンに『可愛い』なんてつけない方がいいですよ。導師らしく、十分喰えない性格になっています」
「喰えないのはジェイドの性格でしょ。大体にして、いつも人を喰ったことしか言わないくせに、そういうときだけ真摯に答えなくていいの」
 がっくりとローテーブルに手をついてアニスがぼやいた。
「アニス、テーブルの上に淑女が乗るのはいただけませんよ。こちらに来なさい」
 脱力しているアニスをひょいとジェイドが抱え上げ、自分の横へと座らせた。そして、彼女の肩を抱き寄せ、満足そうに吐息をついた。
「私達は名実ともに夫婦ですからね。向かい合ってにらみ合うなんて、新婚初夜に相応しくないですよ。さあ、アニス、そんなに文句言わないで」
 まだ、文句はあるわよ、というアニスの抗議はジェイドの唇に吸い込まれた。気が遠くなるだけ長い口付けの後、ジェイドはアニスに諭すように話しかけた。
「アニス、あなたが私との結婚を躊躇う理由は分かる気がしています。しかし、そのどれもが私達二人で力を合わせれば、解決できることではないですか。この世界も救うことが出来たのです。結婚なんて誰しもがしていることを優秀なあなたが恐れることありませんよ。なによりも、私があなたの側にいるのですから。あなたが幸せになれるためなら、なんだってしますから」
 すっかりその気になっている男を見上げ、アニスははあとため息をついた。
「そこだよ。ジェイドはなんだって出来るから、いいの。でも、私をかいかぶらないで。私はジェイドを幸せにしてあげられるかどうか、分からない」
 はっと男が戸惑った表情を浮かべた。
「私はあなたに言いませんでしたか。そうですね。言ってないでしょうね」
 滅多に見られない自信のなさそうな表情を浮かべ、男は、ここで言わなくては、あの小うるさいフローリアンがそれみたことかと言うでしょうね、と悔しそうに続けた。そして、ずれていない眼鏡をやおら直し、咳払いをした。この男が本音を言う前によくやる仕草だ。
「何を」
 小首をかしげるアニスに、ジェイドは照れくさそうに囁いた。
「あなたは私の幸せのために今さら何もする必要ありませんよ。あなたが私の側にいてくだされば、それで私は十分に幸せなんです」
 ぽかんとアニスはジェイドを見上げた。
「そんな顔して、私を見ないで下さい」
 珍しく耳を赤くして、ジェイドが顔を背けた。
「わあ、今のってプロポーズしてくれてるの」
 嬉しそうに叫んだアニスをジェイドは息が止まるほどの強さで抱きしめた。
「あなたを説得するのに苦労して、順番が狂いましたが、そういうことにしてください。もう二度と言えそうもありませんから」
 そうだね、一回でいいよ、とアニスが笑うと、ジェイドは新妻を腕に抱えて立ち上がった。
「では、二人の愛を確かめましょう。この数ヶ月、ご無沙汰でしたからね。私の溢れんほどの愛をお目にかけますよ」
 今度は大人しくアニスもジェイドの首に手を回した。
 再び降りだした雪が窓に氷の花を作り出す。朝方はさぞかし凍てつくだろう。だけど、この人といれば、そんな寒さも逃げ出していくに違いない。アニスは夫の頬にもう一度口付けをした。
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