聖夜のお話2010

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贈り物

 三日月の脇に一際明るく星が見える。聖夜の晩は珍しく晴れ上がり、気温は夜が更けるにつれて急速に下がった。聖堂はダアト教団本部の奥に位置する。聖誕祭の式典が厳かに執り行われ、参列する人々の表情も静謐に満ちている。昨年から導師となった少年の声がしわぶき一つない聖堂の天井へと木霊し、千年のときを超えてなお色美しいステンドグラスを震わせた。導師の説話の合間に、祈りの句を人々が繰り返す。例年どおり、数時間の祭式は粛々と進み、締めくくりに聖歌隊が立ち上がる。白いお揃いの制服で並ぶ少年達の澄んだ歌声が響く。まるで、失われゆく音素(フォニム)を補うかのように、賛美歌と人々の祈りが聖堂に広がり、たゆたう。
 聖堂を埋め尽くした人々がゆっくりと外へと向う。厳粛な式の雰囲気に呑まれたのか、人々の口数は少なく、静かに出口へと進んでいく。冷え切った外気に外套の襟を立て、皆、家へと足早に立ち去っていった。聖夜の式典で祝福を与えられ、家族だけでひっそりと穏やかな聖夜を迎えるのがダアトの習慣だ。
 人の気配がなくなった聖堂では、奥に詰めていた詠師や護衛の律師達が互いに聖夜の祝福の言葉をかわした。式を取り仕切った少年の周囲で、かいがいしく世話を焼いている導師守護役と式の実質責任者である大詠師は今夜の式典が無事に終えられたことに胸を撫で下ろした。
「とても良かったよ、導師様。さあ、喉が渇いたでしょう。これをどうぞ」
 長時間、話を続けた導師の喉を潤そうと、アニスは柑橘に蜂蜜を落とした飲み物を差し出した。わざとフローリアンに導師と呼びかけると、青年は嬉しそうに胸を張った。そして、アニスの手から受け取ったグラスを一気に飲み干した。
「やはり、導師の説話が入ると、聖夜の尊さがそれだけ感じられますね」
 年若い守護役が冷えないようにと、導師の肩へマントを掛けた。聖堂を埋め尽くしていた人々が消えると、広すぎる空間はたちどころに冷え始めた。
「今まで、忍耐強く教え導き、助けてくださった皆さんのおかげです。今宵の首尾がここまでうまくいったのも、準備を全て仕切ってくださったトリトハイム大詠師に、守護役の皆さんとアニスがいたからです。どうもありがとう」
 まだ青年と言うには童顔な導師は深く頭を下げた。皆に心からの感謝を示すフローリアンの姿にアニスも胸が熱くなった。
「いや、導師。我々がどんなに準備をしても、語る言葉の中に籠められた力がなければ、人々には通じません。その力はあなたのものです、フローリアン導師」
 さて、と聖堂の背陣をぐるりと見渡し、大詠師は導師に部屋から出るようにと促した。
「明日はまた早朝から祈りの式です。どうぞ、早目に休んでください」
 信者達の式は終わったが、教団内部の秘儀は深夜、新たな日を迎えてすぐに行われる。仮眠をとってすぐの儀式は、幼いフローリアンにはとっては辛かったようで、よく居眠りをしていたものだ。だが、それも数年前の話。今では、面倒をみているアニスの方が疲れて居眠りをするほどだ。
「分かっていますよ。ご心配なく、トリトハイム大詠師」
 すっと立ち上がった導師をアニスは見上げた。この数年、めきめきと背の伸びたフローリアンはとっくにアニスの背を越え、彼女の記憶にある彼の人の背をも追い越し、立派な青年と成長した。成長したのは、外見だけではない。導師として、器の中もそれは頼もしくなった。アニスは眩しそうにフローリアンを見つめた。寸分違わず作られたはずなのに、目の輝きから歩く姿まで、どこもかしこも違う存在として彼女の前に在る。フローリアンの口調や態度に、あのかつての主の面影は感じられない。成長にするに連れ、違いはますます顕著になり、今や面差しがよく似ている以外、まったく別人と言っていいだろう。それが、アニスには誇らしく、一方で淋しくもあった。
「そうだね。そろそろ部屋に戻った方がいいね」
「あの、アニス」
 一緒に部屋に戻ろうとするアニスの前にフローリアンが立ちはだかった。
「なあに」
 いつもなら、並んで歩く少年の急な変化にとまどい、アニスは不安そうに尋ねた。
「今夜は僕と一緒にいなくても大丈夫だよ。だから、聖夜の休暇をとってよ」
「え……」
「早朝の式典も休んでいいから」
「だけど……」
「アニス、僕は休んで欲しいって、数ヶ月前から言ってたよね」
「そうなんだけど、急に言われても」
 大人びた風情でフローリアンが笑った。
「いつになったら、休暇が取れるのって言ってたのはアニスだよ。ほらほら、さっきも褒めてくれたじゃないか。これからは内輪の儀式だし、僕が失敗しても信者にはばれないから。ね、皆さんも異存はないでしょう」
 青年のくだけた物言いに、若い導師守護役達がくすくす笑いながら、フローリアンを後押しした。
「アニス様、どうぞお休みください。本当は昨日からお休みをとっていただきたかったのですが、導師様が贈り物を用意されるとおっしゃるので、今日まで内緒にしていたのです」
「その通りです。アニス、導師がわざわざ休暇を準備してくださったのですから、断ることはまかりなりません」
 トリトハイム大詠師まで重々しく付け加えた。
「じゃあ、アニス、良い休暇を」
 突っ立っているアニスにフローリアンが軽く頭を下げ、背陣から出た。
「なに、なんなの。これは……」
 フローリアンの背中にアニスは叫んだ。
「それに、贈り物、貰っていないわよ」
 くるりとフローリアンが振り向いた。数年前のやんちゃな少年がその面に現われ、導師は嬉しそうに叫んだ。
「すぐに見つかるところにあるから。アニス、見つけてごらんよ」
「アニス様、戸締りをよろしくお願いいたします」
 渡された鍵はずしりと重かった。


 誰もいなくなった背陣の扉に鍵をかけ、アニスは教団の事務所にそれを返しに寄った。事務室の皆も休暇を知っているらしく、アニスに楽しんできてね、などと声をかける。この数年、休みらしい休みをもらっていなかったから、急に言われても行くところがない。両親の家にもどるか、それとも、宿舎で一人で過ごすか、アニスははたと悩んだ。
 聖夜なのだから、パパとママと一緒に祝うのが一番いいに違いない。だけど、アニスが帰ると知らないから、今宵もこじんまりと祝う予定に違いない。突然現われたら、二人が慎ましいご馳走を彼女へと差し出してくれるのは、嬉しい反面、心苦しい。ここは宿舎でのんびり寝てしまおうか。今夜は皆、実家に戻るか、外に祝いに出ているから、寮も食事を用意していないはずだ。そうだ。せっかくためたお小遣いだから、パパとママのために聖夜のお祝いをどんとしよう。散財もたまにはいいだろう。早速、仕入れに出かけよう。
 ようやく気持ちを整理し、アニスは出入り口へと向った。頭の中で買物の順番を考えていたので、教団本部の通用口を無意識に通り過ぎた。すでに祈りを終えた信者達の姿は消え、人影もない。広い正面階段を下りようとしたところで、背後からゴホンと低い咳払いが聞こえた。
「……」
 嫌な予感に振り返ったアニスの目におよそダアトの住人らしからぬ人影が飛び込んだ。よほどぼんやりした人でもない限り、その軍服を見ただけで、どこの国の人間かはっきりと分かる。夜目にも鮮やかな青の軍服がアニスへと近づいた。
「一体、どこで何をしていたのです」
 何の挨拶もなく、厳しい尋問口調がアニスの頭へと降り注ぐ。吐息が白い塊となって大佐の口から飛び出し、怒りに燃えた竜にも見えた。
「大佐こそ、なんでこんな所にいるんですか。今日は聖夜ですよ」
 負けじとアニスも言い返した。よりによって、一人で聖夜を過ごそうと覚悟を決めてすぐ、この男に出会うなんて、不運以外の何ものでもない。無理矢理の休暇といい、なんてついていない聖夜なのだろう。こんなことなら、パパとママのところへ直行すべきだった。そうしたら、久しぶりに平和な聖夜を迎えられたのに。
 不運を嘆くアニスの前に、どす黒い怒気を纏った大佐が立ちはだかる。ユリア様、お助けください。哀れなアニスの祈りは通じず、大佐が腰に手を当てて、再び尋ねた。
「アニス、私をこんなに待たせて、一言も謝らないとはどういう了見ですか」
 待たせた。アニスの頭の中で疑問符が百万個ほど並んだ。例え、オラクル騎士団で直属だった小隊長を待たせたことはあっても、大佐を待たせるなんてこと、するはずがない。いや、出来るはずがない。そもそも、大佐と私は約束していたっけ。大体、私が大佐と連絡を取らなくなって、何ヶ月たっていると思うの。それなのに、まるっきり恋人面して偉そうに文句つけるんだから。だけど、こいつを宥めないと、嫌味が煩いし。聖夜にそんなもの聞きたくないし。
 アニスが葛藤しているすきに、大佐が靴音も高く一歩近づいた。
「え、あの……。ごめんなさい」
 反射的にアニスはぺこりと頭を下げた。それほど、大佐から黒い瘴気と見紛うばかりの影が立ち上っていた。
「分かればよろしい。では、アニス、聖夜のお祝いですから、急いでご両親の元にお伺いしましょう。あなたから、正式な招待状を頂いて、今宵を心待ちにしていましたよ」
 ああ、ついにこの男はどこかおかしくなってしまったのだろうか。天才と何とかは紙一重って言うものね。男の遠まわしのお誘いを全てお断りしてきたのに。何度も送られてくる手紙に返事を書かないようにと心を鬼にして我慢してきたのに。たまにマルクト帝国に行くときは、極力会わないようにと時間まで調整していたのに。今夜、私が招待状を送るわけがないじゃない。
 事実を否定することも忘れ、アニスは自分の置かれた状況を考え始めた。さらに驚いたことに、黙りこくっているアニスをものともせず、大佐が彼女の腕を取ると、教団本部へと戻り始めた。
 久しぶりに大佐と歩くと、やっぱりいい香がする。そう言えば、今夜は聖夜だからか、大佐の軍服がおしゃれだ。これって、マルクト帝国軍の将軍の正装だよね。青い軍服につけられた肩章を横目でアニスは確認した。
「大佐、いつの間に将軍になっちゃったの」
「嫌ですねぇ。この前のプロポーズの手紙に書いたではないですか。あなたから、プロポーズの了承と共に祝いの言葉も頂きましたよ」
「へぇ、そうだっけ……」
 そこで、アニスは思い切り頭の中が白くなった。誰が誰にプロポーズをしたの。そして、誰が了承したの。私、記憶喪失にでもなったのだろうか。
「そうですよ。しっかりしてください。本当はご両親とお目にかかってから、と思ったのですが、あなたが手紙でいいなんて、書いてくるものだから。今宵はご両親にお目にかかれると連絡を受けたので、礼儀に反しないよう、準備万端、整えてきました」
「……」
 大佐に引っ張られてギクシャク歩いていたアニスは、大佐の準備万端と言う言葉に慌てて立ち止まった。エントランスホールのど真ん中で、頓狂な叫び声が響いた。聖夜の式典が全て終わっていたことがアニスには幸いだった。
「私が大佐のプロポーズを了承したって本当なの」
 彼女の声はエントランスホールを木霊し、夜の暗がりに隠れている丸天井へと吸い込まれた。
「自分で書いておいて、何言っているのですか」
 必死の形相のアニスに大袈裟に肩を竦め、大佐、いや、今は出世して、ジェイド・バルフォア・カーティス将軍はアニスの問いを一言で切り捨てた。
「愚問です」
「……」
 あまりに自信たっぷりの返答に、アニスは何も言えなかった。
「すでに予定の時間を一時間以上過ぎています。ご両親が心配していますよ。すぐに式もありますしね」
 まだ、丸天井の上で「本当なの」というアニスの声が木霊しているにも関らず、マルクト帝国陸軍の将軍は落ち着き払った態度で未来の花嫁を諭し、驚愕のあまり足元が怪しい彼女を引きずるように歩き出した。背後で数人の教団関係者が不思議そうに二人の様子を見ていたが、誰もアニスに助けを差し伸べるものはいない。世界にあまねく知られている死霊使い(ネクロマンサー)から黒々とした瘴気が立ち上っていれば、誰でも命は惜しい。
 誰が、何を書いたの。私が知らないのに、なぜ大佐は驚いていないの。これは何かの間違いというか、悪夢に違いない。だって、私は他国の人と結婚なんて出来ないもの。ダアトの、この薄暗い教団本部に骨を埋めるつもりだったの。まあ、大佐は好きだけれど。でも、私と大佐の間には、年齢から地位、所属する国まで様々な差があるわけ。私はダアトを離れられない。それは、私が誓ったこと。それなのに、大佐はこんな私と結婚していいの。
 そりゃあ、何度か仄めかされたけど、偽の返事にここまで本気になるだなんて。ちょっと待って。すぐに式ってなんのこと。このままだと、結婚させられちゃうわけ。でも、ウェディング・ドレスだってないし。まして、今夜は聖夜だから、お式をつかさどる人いないから、今さら式なんてあげられないし。
 そう、私の家に行けば、パパとママがほとんど肉のない豆料理を食べている。大佐の家には全く不釣合いな両親と私の姿を見れば、大佐も間違いに気づくよね。
 あれ、大佐のこと、これからなんて呼べばいいの。将軍、婚約者、それとも、ジェイド。この男の名前を呼ぶなんて、そんな恐ろしいこと、出来ないよ。
 歩きなれた教団の廊下を大佐ならぬカーティス将軍に引きずられながら、答えのない問いがアニスの頭の中をぐるぐると回る。


 ふらつくアニスの腰に腕を回したまま、ジェイドがアニスの両親の家の扉を軽く叩いた。待ちかねていたように、扉が開き、中に両親が立っていた。
「アニスちゃん、ジェイドさん、お待ちしてましたよ」
「さあ、アニス、ジェイドさん、こちらへどうぞ」
 満面の笑みを浮かべた両親が二人を家の中へと招く。アニスの予想とは裏腹に、両親は倹しい豆料理を食べてはいなかった。どこにそんな晴れ着を隠していたのか、両親は聖夜に相応しい余所行きを着ていた。
「パパ、ママ、聞いてちょうだい」
 アニスの叫びは見事に母親によって無視された。
「アニスちゃん、あなたのドレスはこちらにあるのよ。とっても素敵よ。やはり、グランコクマのお店は違うわねぇ。ジェイドさんを待たせないように、急いで着替えてね。髪はドレスを着た後で結いましょう」
 問答無用でアニスは母親に急き立てられ、家の奥の自室へと引きずりこまれた。ママ、何をする気なの、というアニスの問いを切り捨てるように、扉がぱたりと閉じた。静まりかえった居間で、父親とジェイドはタトリン家に相応しい小さなテーブルに差し向かいに座った。
「あの、お父様、アニスは何も知らされていないようですが」
 さしもの死霊使い(ネクロマンサー)ジェイドも、未来の花嫁のうろたえぶりに不安を感じ、聖夜の無謀な企ての行方を心配した。
「あなたともあろうお方が何をおっしゃっているのです。導師様からのご指示です。ユリア様から与えられた啓示ですよ。ユリア様のお導きに間違いはありません」
 常日頃とは逆に、アニスの父親は自信たっぷりに答えた。はぁ、ユリア様ですか、と死霊使い(ネクロマンサー)が悩ましそうに額に手を当てたが、父親の笑みは微塵も揺るがなかった。信じる者は救われる。ジェイドの脳裏に埒も無い言葉が浮かんだ。世間に流布する言葉には何某かの真理が含まれているわけだ。
「確かに、私もユリア様に生まれて初めてお縋りしたい気分です」
 ぼそりとジェイドは答えた。彼の祈りが通じたのか、あまりに混乱していたのか、三十分後に見事な花嫁衣裳に身を包んだアニスが現われた。その表情は衣装に相応しい雰囲気を湛えていなかったにも関らず、小さなタトリン家の居間でその姿は光輝いていた。少なくとも、待たされていた男達はそう感じた。
「アニス、なんてきれいなんだ」
 すでに父親は感極まっている。
「あなたに似合うとは思っていましたが、これほどとは……」
 いつもは何事にも動じないジェイドも絶句した。
「これは何なの。私に何をさせる気」
 染み一つ無い真っ白な絹の布の山から、叫び声がほとばしったが、母親が優しくその疑問を遮った。その部屋で最も落ち着いた物腰の母親は、テーブルの上の小さな銀色のバッグを取り上げ、アニスに渡した。
「さあ、アニスちゃん、皆さん、お待ちかねだから行きましょうね。予定の時刻を大幅に遅れているから、心配されているといけないわ。オリヴァー、忘れ物をしないようにしてくださいね。ジェイドさん、アニスちゃんのエスコートをお願いしますわ」
 我に返った死霊使い(ネクロマンサー)ジェイドが恭しく白い手袋を嵌めたアニスの手を取り、歩き出した。誰一人、アニスの疑問に答えないまま、一行はさきほどまで聖夜の式典が行われていた礼拝堂へと向った。


 礼拝堂の前には数人の姿が見えた。
「よう、アニス、おめでとう」
 ルークが陽気に片手を上げた。
「アニス、おめでとうございます。外は雪景色に満点の星ですわ。聖夜のお式に相応しい素晴らしい雰囲気になりましたわね。アニスもとてもお美しいですわ」
 ロイヤル・ブルーのドレスを纏ったナタリアと横に同じくこちらもロイヤル・ブルーのドレスに身を包んだティアが立っていた。
「ジェイドの旦那とアニス、お似合いだぜ。グルームズマンを務めるのが俺でいいのかなぁ」
 ガイが神経質そうにネクタイを直した。ガイもルークもマルクト貴族の礼装に身を包んでいる。長い上着は見事な刺繍が施され、腰から下げている剣鞘も宝石が煌いていた。そこにいる仲間の一人として、ジェイドとアニスの結婚式に疑問を抱いているように見えない。アニスは呆然と祝いの言葉を受け取った。
「もちろん、お二人がいいんです。ガイとルーク、よろしくお願いします。さすがに、陛下に頼むわけにまいりませんからねぇ」
 朗らかに返事をするジェイドの横で、アニスが半分泣き声で尋ねた。
「皆、お久しぶり。一体、こんなところで何しているの」
「あら、アニス。まだお式も始まっていないのに泣いてはきれいなお化粧が崩れるわよ」
 ティアがハンカチを差し出した。
「だから、泣いているのにはわけが……」
 窮状を訴えようとするアニスの肩をナタリアが訳知り顔で軽く包んだ。
「もちろん、感動するのも無理もございませんわ。アッシュと私のときは、涙が零れて止まりませんでした。それに夜の大聖堂はそれは厳かな雰囲気ですもの。感動を抑える方が難しいですわ、ティア」
 心なしかナタリアまで目を潤ませている。それはアッシュとナタリアは感動的だったかもしれないけれど、私とジェイドにまで当てはめないで頂戴。アニスが文句をつけようとする脇で、ルークがアニス、照れるなよ、とさらに勘違いなことを大声で言う。それを聞いたジェイドが照れてくださるのですね、と真顔でアニスの頬に唇を寄せるから、アニスはまた驚いて口を閉じた。
 そこへ、礼拝堂から当のアッシュが顔を覗かせた。
「どうだ、準備はいいのか。皆、待っているぞ。ほら、ジェイドはガイとルークと一緒に先にこちらに入れ」
 その一言で皆が動き出した。アニスの手は父親に渡され、すでに感激で目元を押さえている母親と死霊使い(ネクロマンサー)ジェイドは慌しく礼拝堂の中へと消えた。ティアは甲斐甲斐しくアニスのベールや裾の配置を直し、ナタリアが小ぶりな白いブーケをアニスの手に持たせた。
「ちょ、ちょっと聞きなさいよ。私の言うことを」
 アニスが叫んだ瞬間、礼拝堂の扉が開かれ、ウェディング・マーチが鳴り響いた。
 広い礼拝堂の中、右側にオラクル騎士団の同期や上司、教団の仲間からご近所の人達までずらりと並んでいる。最前列で、白いハンカチで口元を押さえて涙している「死神ディスト」の姿にアニスは危うく失神しそうになった。ディストの横には、小さな白いベールをかぶったトクナガが置かれていた。私のトクナガに何をする気なの。というか、なんで、ディストが私の結婚式で泣いているわけ。
 怖すぎるが、反対側を見てから失神しても遅くないだろう。
 案の定、左手には、マルクト帝国軍の青い軍服がびっしりと立っていた。家族席の手前にいるのは、どこをどう見ても、死霊使い(ネクロマンサー)の幼馴染にして親友で、ブウサギ好きの皇帝だ。横にネフリーの姿も見える。その向こうに並んでいるのは、明らかにカーティス元将軍夫妻とバルフォア夫妻だ。おまけというか、ナタリアの姿を見にきたに違いない。キムラスカ・ランバルディア王国のインゴベルト陛下が本人はお忍びのつもりだろうに、立派すぎる格好で佇んでいた。横のアッシュもニコヤカに微笑んでいる。あの二人ときたら、ナタリアが着飾って現われる場所は絶対に見逃さないのだ。
 そこで、アニスはとうとつに我に返った。なんで、私とジェイドの本当かどうかも分からないお式に、本人達は身分を気にしていないだろうけど、マルクト帝国皇帝陛下とキムラスカ王国国王陛下が列席しちゃうわけ。こんな人たちの前で式あげたら、後で間違いでしたって、離婚できないじゃないの。
 ああ、ユリア様。聖夜に見る幻にしては、出来すぎです。
 抵抗する気力も奪われたアニスは、ヴァージン・ロードをゆっくりと進んだ。そうこうしている内に、鼻をぐすんぐすん鳴らしながら、父親が彼女の手を義理の息子となる男へと渡した。
 こんな人が義理の息子になっちゃってもいいの。ユリア様どころか、何にも信じていない、パパと真反対の人なんだよ。
 いつものとおり、彼女の訴えなどこれっぽちも気に止めない父親は、よろしく頼むよ、と見当違いの台詞を最も信用ならない男に囁き、アニスを彼の前に残し、家族席へと戻った。
 こうなったら、式を執り行う詠師に事の次第を話すしかない。
 ようやく祭壇を見上げたアニスは、満面の笑みを浮かべるフローリアンと目線が合った。さきほどのフローリアンの言葉がようやく脳裏に浮かんだ。まさかのまさかの聖夜の贈り物ってこれだったの。そういえば、本来秘儀の式のために閉じられた空間である礼拝堂にこれだけの人が入っているのだ。なんていうことをしているのだろう。だが、導師の背後で導師世話役も大詠師も詠師達も穏やかに微笑んでいる。当然のことながら、全員でたくらんでいたのだ。
 唖然とするアニスと胸を張って待つジェイドの前で、フローリアンが厳かに式の宣誓を始めた。
 慈愛に満ち溢れた導師の言葉で、アニス・タトリンとジェイド・バルフォア・カーティスの結婚式は始まった。涙に濡れ、震える声で宣誓する花嫁に、日頃の行動からは伺いしれないだけ情熱的な口付けを花嫁に与える新郎、堂々と式を執り行う若い導師といい、稀にみる感動的な式だったと臨席した人の間で長く語り伝えられている。
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