番外(ホワイト・デー)編

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特殊相対性理論

 冷え切った何もない空間を、ある者にとってはとてつもない速さで、ある者にとってはまるで動いてないかのごとく、星は移動していく。


 クラトスは、その星のほとんど誰も足を踏みいれない、遥か昔に取り残された廃墟の上でぼんやりとしている。昼夜の別もつかない人工照明どころか、生き物の息吹さえもが届かないその見捨てられた建物は、彼のお気に入りの避難場所だ。
 その廃屋の上からは、親星(太陽)から細長い楕円軌道を描いて遠ざかるデリス・カーラーンの暗い空が一望できた。彼さえもが知らない遠い過去から、冷たく年老いていたその星の空は、天使化していても苦しいほど薄い大気しかない。母なる星の恵みもわずかとなり、昼なお薄暗く透明な空に透けるように星が見えていた。
 天空の配置はクラトスがこの数千年、見続けていたものとは全く異なっていた。だから、毎日数えていてもきりが無い。なぜなら、数日たてば、どこを数えていたか、わからなくなるのだ。
 昼夜を分かたず眺めることのできる星空の動きは、この星がとてつもない速さで進んでいることを教える。彼の残された生をもってしても、この星空の変化を知り尽くすことはできないだろう。結局、星は数え切れないままに、この人生は終わりを迎えるはずだ。
 長く生きることで達成できることなぞ、たかがしれているのだと、すでに身をもってわかっていたことを、再度自嘲気味に思う。しかし、長いときに身につけた習性はぬけず、新しい星の配置を意味もなく数える。


「クラトス! クラトス、どこだ」
 彼の生きるときをいつも早巻きにする恋人の声が聞こえてきた。息子のいる星では「ホワイト・デー」と呼ばれている日が、せっかく、後数時間で終わろうとしていたのに、どうやってここを嗅ぎつけたのだろう。足早に近づく恋人の足音は、迷わずまっすぐ彼に近づいてくる。
 料理の腕はからきし駄目なくせに、なぜ手作りに拘るのだろう。そもそも、からきし駄目だと彼のみならず皆がその態度ではっきりと示したきたはずなのに、どうして理解できないのだろう。
 「ヴァレンタイン・デー」は失敗したからと、厨房に篭っていたはずのユアンが近づいてくる。どうやら、何か得体の知れないものが、ユアンの基準では完成したようだ。
 「ホワイト・デー」はお返しの日なのだから、やりとりのない我々には無縁だろうという理詰めの説得は当然通じなかった。いい年をした男同士でそんな下らないことに拘るのはおかしいと常識に訴えてみたが、土台、クラトスの常識はユアンに通じた試しがなかった。
 こうなったら、「ヴァレンタイン・デー」に引き続いてと、柳の下のドジョウを狙った彼の色仕掛けも今回は不発に終わった。後、少しで落とせたのに、気の利かない天使に邪魔された。
 ユアンが彼の「今夜も一人とは淋しいな」というつぶやきにふらりと厨房を出た瞬間、どうやらユアンの言いつけで食材を探していたらしい天使が二人の間に割り込んできた。「クラトス、明日はずっと一緒だからな」とウィンクしながら厨房に戻るユアンへ伸ばした手は、邪魔な天使の羽にあたった。「明日は一緒でなくともいいぞ」という彼のつぶやきは、もちろん、ユアンの耳には届かなかったに違いない。
 ああ、今日はなんて長い日なのだ。クラトスはため息を落としつつ、立ち上がる。
 だが、ユアンのいないこの星の長すぎるであろうときを思えば、一日くらいは目をつむらなくてはならないだろう。ユアンが持ってくるすでに怪しいにおいが漂っている貢ぎ物を食べて、胸を悪くしている時間なんて、あっというまだ。


 全ては相対的なものなのだ。
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