聖夜のお話

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星影

 凍てついた大地に長い影が二つ伸びている。月の光に銀色に輝く雪原はどこまでも平坦に、真っ暗な地平線の先まで伸びている。何の跡もない真っ白な平原を二人は真っ直ぐに進む。よく晴れ渡ったその夜、聞こえるのは二人の歩む足音のみだ。
 もちろん、飛んでいってもよかったのだが、二人は互いに心の中に抱える思い出のためにゆっくり歩む。白い丘を登り、くるりと振り向けば、山々に囲まれた町は真綿のような平原の真中で静かに眠りについているようにも見える。
「この辺りか」
 まるで、口をきけば、何かを壊してしまうかのように、息を潜めてユアンがクラトスに尋ねた。
「そうだな。ここにしようか」
 クラトスは雪に埋もれた丘の上に、そこだけ顔を出している岩の上へと腰を下ろした。
「わざわざ、付き合ってもらってすまないな」
「なぜ、貴様が謝る。私こそ、クラトスの側にいていいのか。今日は特別な夜だ。久しぶりに息子の側にいてやれば良かったのに」
「ユアン、……。ロイドの側にいれば、嫌でも思い出してしまう」
「今宵に悪夢を思い出すか」
「そうではないが、だが、……。ロイドの前でうっかり過去の思い出に耽るかもしれない。せっかく、新しい世界が開けた最初の聖夜にそんな湿っぽい姿は見せて、あの子たちの喜びに水を差したくない」
「相変わらず、素直ではないな。それもクラトスの一部ではないか。子供に隠してどうする」
「隠すつもりはないが、……。ロイドには明るい陽の元で語りたい。明日の正餐は一緒にいられるしな。ユアン、お前も招待されているであろう」
「ああ、貴様達の邪魔をするつもりはなかったのだが神子やジーニアス達も来るらしいからな。賑やかな場なら、私が顔を出しても許してもらえそうだ」
「ユアン、お前が遠慮する柄か」
「クラトス、これでも貴様の息子には気をつかっているつもりだ」
「それはすまないな」


 ふいに夜空を流れ星が過ぎる。二人は黙ってそれに見入った。よく晴れ上がった聖夜は、世界の統合を祝うかのように星たちが輝き、東に顔をのぞかせる二つの月はくっきりと暗闇に浮かぶ。
 彫像のように身動きもせず、そのときを待つ。
 眠りについているようにも見えた町から、教会の鐘の音が厳かに平原中に響いた。低い落ち着いた鐘がゆっくり鳴らされたかと思うと、小さく軽やかなメロディがからんからんと続く。その音は平原を素早く横切り、山々に木霊し、海へと散っていく。
 鐘のメロディが最高潮を迎えるころ、やがて夜空の星に吸い込まれるようにその余韻がきえる。同時に、家々の明りが落ち、平原は一瞬にして白一色のモノクロの世界へと変わる。
 突然、パンという爆裂音と共に町の背後に花火が打ち上げられる。世界が統合されて初めての聖夜を人々が祝っている。色とりどりの花火が真っ白い雪をいただく町の家並みや平原の上に明るく彩りを添える。
 二人は体を寄せ合い、その賑々しい景色を見つめる。
 この地にいて、久々に迎える世界の統合は、マナの緩やかな回復とは比べ物にならないほどの勢いで、喜びと興奮を人々にもたらしている。そんな中で、ただ二人、彼らだけがはるか昔のマナが失われようとしていた恐怖を知っている。世界を分けざるをえなかったつらい決断がなされたときを知っている。その直後の悲劇も、帰らぬ仲間のことも、もう触れることのできない愛する人のことも、全てはときに押し流され、だが鮮明に胸の内にある。
 クラトスも同じに感じているだろうが、彼も手放しの明るい喜びの渦の外に立っていた。だから、聖夜の祝い事を二人で遠くから見物しないかと誘われたとき、二つ返事で答えた。クラトスからこの夜を一緒に過ごさないかと誘われなかったら、彼が声をかけていたことだろう。
 明るいイルミネーションに輝く町の上に、この平和を見守るかのように清かに星が瞬く。人々が喜びの喧騒の中で聖夜の祝いの言葉を互いに述べていることだろう。二人は何も語らず、静かに空を見上げる。共にこの光景を喜びあうことがいつかは来ると信じていた遥か昔に思いをはせる。
 暗闇のなか、青白い尾を引いて一際明るい流れ星が南へと落ちていった。


「ああ、星がほら……」
「私も見えた」
「聖夜だからといって特別なわけではないが、なかなか大きかったな」
「相変わらず、夢のないことを言うな。お前は……」
「そうか。だって、あれは燃え尽きて落ちる隕石だ。願いごとなど唱えても聞く耳持たない」
「燃え尽きて落ちる……。我々のことか」
「貴様こそ、淋しいことを言うな」
「せっかくの日なのに悪かったな」
「聖夜と言えども、昔は過ごすのにやっとだったがな」
「そういう時期も長かったな。ユアン、何を笑っている」
「ちょっと思い出したことがあってな。まだ、貴様と合流する前だ」
「一体なんだ。良かったら、私に聞かせてくれないか」


ユアンの思い出」を読む。


「ミトスにはいろいろ我慢をさせた。マーテルにもしなくてもよい無理をさせていたと思う」
「だが、私が出会ったときだって、二人とも無理しているようには思えなかった」
「そうだったろうか。ずっと共にいると分からないかもしれないな。それにしても、マーテルにはもっと楽をさせたかった」
「その気持ちは分かる。私もアンナといたときは逃避行を続けていたからな。ついぞ、落ち着いたときを持つことはなかった」
「私がもう少し背後で手を廻せればな。何の力にもならなくて悪かった」
「そんなことはない。お前には影ながらいろいろと助けてもらった。私が……、私が自分を失っているときもお前が気をつかってくれていたことは分かっていた」
「そんなことはない。自分のことで手一杯だった。……。クラトス、お前だってロイドやアンナと聖夜を過ごしただろう。まだ、人には話す気にはならないかもしれないだろうが、よいときもあっただろう」
「そうだな。ロイドはまだ小さかったから、覚えていないと思うが、
シルヴァラントの山奥で大雪の年に迎えた聖夜は楽しかったな」


クラトスの思い出」を読む。


 クラトスは口を閉じると、しばらく目を瞑っていた。そして、誰に言うでもなく、虚空へと言葉がこぼれた。
「すべては過ぎ去った。何もかも、二度と返っては来ない」
 ユアンはその淡々とした口調の奥に潜む深い諦念にかすかに首を降り、しかし、自らに言い聞かせるようにゆっくりと答えた。
「クラトス、だが、思い出は我々の胸の内にある。良き思いでも悲しい悪夢も……。だから、返ってこなくてよいものもある。ときは過ぎる。同じことは繰り返されない」
「お前の言うとおりだな。どうも私は過去に囚われてしまう」
 クラトスは他の者には決して見せない気弱な笑みを浮かべ、軽く息を吐き出した。ユアンはその息が白く凍りつき、夜の冷えた空気へと溶け込んでいく様を見送り、クラトスの腕を軽くたたいた。
「それはお互い様だ」
「ユアン、お前がいるから過去の大切な思い出は色褪せない」
「クラトス……」
 二人はちらりと目を合わせ、平原の先に見える町へと視線を戻した。さきほども色とりどりについていた明かりがすいと消えていく。教会の鐘がゆっくりと鳴らされ、聖なる日を迎えたことが告げられる。


「クラトス、聖なる日の平穏を」
 ユアンが冷え切ったクラトスの手をとり、その甲に同じだけ冷たい唇で触れる。
「ユアン、お前にも聖なる日の安息が訪れるように」
 もう誰も知らない古代のしきたりに則り、クラトスもユアンの手を取り直し、静かに口付けを落とす。
 じっと見合っていた二人はゆっくりと体を寄せあう。何も言わずに目を伏せるクラトスの唇へユアンから互いの誓いをもう一度確かめるように、熱い吐息がかかる。
「そして、共に聖なる日を再び迎えられんことを祈って」
 触れるだけの儀礼の口付けをして離れた二人は、再び町を見下ろす。白い雪を頂く屋根の下、家々の明りがぼつりぼつりと暗闇に浮かび、空の青い星の静けさの中、この地の平和を教える。


「ユアン、私たちも家に戻るか」
「そうだな。すっかり冷えてしまった。クラトス、そう言えばおいしい酒をもらった。今宵を迎えた祝杯をあげよう」
「それは楽しみだ」
「貴様は控えろよ。すぐに飲んでしまうからな。私の分が残らない」
「ユアン、それを言ったら、お前もほどほどにしろ。すぐに酔うではないか」
「それはどうしようもない。クラトスの側にいるから酔ってしまうのだ」
「ユアン……」
 横に立つユアンの方を振り向いたクラトスは、一歩だけ身を寄せると、ユアンの手へ己の手を絡めた。心に溢れる想いは触れた手の先から熱い電流のように迸り、たちどころに強く握り返された。聖夜の星の下、クラトスへと向かい合ったユアンは繋いだ手をゆっくりと持ち上げると、その甲へとさきほどとは異なる熱い口づけを送る。
「もう、酔ってしまったみたいだな」
「私も酔わせてくれ」
 クラトスも彼の手を持ち上げるユアンの手へとゆるりと口を近づける。やがて、互いの手に這わせていた唇同士は触れ合い、静かに繋がれていた手は解かれ、双方の背中へと廻される。触れ合った場所からじわじわと放たれる熱に浮かされるように、固く抱きあった二人はやがて青白い燐光を放つ夜の蝶のように羽を広げる。
 静かな聖夜にふわりと暖かい風が舞い上がり、かすかな雪煙とともに閃光が空へと伸びる。光の筋を作るように滑らかに空へと舞い上がった二人は、一瞬の内に今の二人が戻るべき場所へと消え去る。
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