迷走

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輪舞曲(ロンド)

 気づいたら、彼に囚われている。
 互いの想いを伝え合ったら、それで心が平穏になるかと思えば、なぜか波立ってしまう。今まで知らなかった自分を見つけ、自己嫌悪に陥る。しかも、相手はユアンだ。彼の常識は通用しない。あいつにつける薬はないのだと己に言い聞かせても、やはり、気になる。口の重い己がよくないのだろうが、しかし、聞けないではないか。
 恋人がいきなり別の香を漂わせていたときに、その理由を聞くのは勇気のいる行為と思わないか。私のようなものが、女子供のように問いただすわけにいかないのではないか。


 昨日はクラトスの機嫌があまり良くなかったような気がする。何か気づかない内に彼の機嫌を損ねるようなことをしただろうか。
 確かに一昨日はそんなことはなかったと思うのだが、昨日の夜、いつもならもう少しゆったりと話でもしているのに、なんだか、黙りこんでしまった。もっとも、彼の愛しい者はほとんど黙っているのだが、途中から彼の話に相槌を打たなくなった。しかも、珍しく彼の誘いも断って、自室にもどっていった。
 帰れと言っても戻らないことも多いのに、どうしたのだろう。ああなると素直に理由を言ってくれないので、正直、やっかいではある。しかも、彼がさらに問いただそうとして何かを言うとますます機嫌悪そうに眉間にしわを寄せるのだ。彼の大事な想い人のきれいな表情が壊れるのは見るにしのびない。


 仕方がないので、彼の配下にあって、最近恩を売っている青年を呼び出す。
「お前のためにいろいろと薬やら、香やら調合してやったのだから、ちょっと、クラトスから何が問題なのか聞き出してくれ」
 青年はこれが例の痴話喧嘩かと納得する。今までにこの二人に痛い目にあったものは、すでに10本の指では足りないかもしれない。
 片方は他の知識なら誰一人追随を許さないのに、恋人のことだけは分かっていない。
 片方は他のすべてのことに淡々としているのに、恋人のことだけは拘っている。
「その、ユアン様が直接尋ねられた方がよいかと存じますが」
と、彼が一歩下がりながら答えると、彼の上司はその形良い眉を顰め、宝石のように煌く青い瞳で彼をじっと困惑したように見つめる。この目線に耐えるには並々ならぬ自制心が必要だ。
 (クラトス様はすごい。この目線をあれだけ浴びて、何もおっしゃらないとはたいしたものだ。だが、お二人の間でその自制心がご不要なのでは。ユアン様、その眼差しでずっとクラトス様を見てればいいだけなのです)
 配下の心の叫びは上司にはまったく通じず、気がつけば、にっこりと笑う上司の色香ならぬ圧力にうなずいている。
「お前だけが頼りだ」
「わかりました。私のできうる範囲で努力いたします」



 クラトス様の執務室から、肩を落とした朋輩が出てくるからには、内は相当荒れ狂っているに違いない。問題は、クラトス様が自分では抑えているつもりでいらっしゃることだ。それを指摘しようものなら、何が起こるかわからない。ユアン様なら、いきなり落ちてくるジャッジメントにも、素振りのつもり(と信じたい)で振り回すフランベルジュにも耐性がおありだからいいようなものの、天使ならぬ凡庸なハーフエルフでは、いくらクラトス様が回復技を持っているからといって、無防備に受けるのは命に関わる。愛するものができたばかりの彼としては、まだ、命は長らえたい。
 おそるおそる、扉をたたき、中へと入る。案の定、部屋の中は一触即発状態で、執務机の前に副官や呼び出された士官が直立不動で立っている。いつもと変わらない無表情のクラトス様は積み上げられた書類をいつもの倍の勢いで片端から読んでは、静かに質問をしている。こちらに配属されなくて良かった。一日で胃に穴が開きそうだ。
「シルヴァラントのアスガード付近の警備体制の報告はどうした」
「は、まだ、下からあがってきておりません」
「昨日、至急と言いおいたはずだ。早くするように指示を出せ。シルヴァラントへの人員管理に関するこの資料だが、先週、この部分に必要な予算を算出しておくようにと指示しておいたが、添付されていないぞ」
 慌てて、手元の書類をめくる音だけが聞こえる。そのとき、別の書類を手に取って見ようとしていたクラトス様が顔をあげ、彼と目線が合う。
「お前は何の用だ」
 目線だけで殺されることがあるなら、今、死んだかもしれない。
「ユアン様の使いでお話が」
 クラトス様の顔色が変わる。ああ、神様、マーテル様、まだ、死にたくありません。


 今日の仕事はいつも以上に進まない。どいつもこいつも、どうして、きちんと準備をしないのだ。だが、今日はいい。あの香を思い出すと、ユアンの部屋に行くのが恐い。もう、見捨てられたかもしれないと思うだけで、恐くて近寄れない。残業を口実に、今日はあそこには行くまい。
 そんなことを考えていると、昨日、ユアンから漂っていた香がこの部屋にあることに気づく。一体誰だ。顔を上げると、彼の配下ではない見慣れれぬ青年がいることに気づく。軽く波打った薄緑色の髪に、いかにもハーフエルフらしい見事に整った造作の顔をし、その目はどこかで見たことがあるような翡翠色をしている。
 思わず、見つめてしまう。こいつなのか。これは、彼女の面影があるかもしれない。そうか、やはりこういうことだったのだな。ユアンからの話とは、ユアンは私に直接伝えることも嫌なのか。


 クラトス様の部屋に一人残されてしまった。
 クラトス様が他の者に出ていくように言われると、皆、一様に足取りも軽く外に出て行く。私も一緒に出て行きたい。一度目が合ったきり、クラトス様は下を俯かれたまま、何もおっしゃらない。これは、かなりまずい状況と判断せざるを得ない。
 重苦しい沈黙が続く。とりあえず、ジャッジメントが降ってきた場合に備えて、もう少し部屋の真ん中に動いて、逃げ道を広く取ったほうがよいだろうか。しかし、クラトス様の間合いは広い。これ以上近づいては、フランベルジュの餌食だ。進退窮まるとはこういうことを差すのだろうな。
 埒もないことを考えていると、クラトス様が手元の書類に目を落とされたまま、聞いていらした。
「お前がつけているその香は、お前の恋人が好きなのか」
 何でご存知なのだろう。とりあえず、ここは無難なことを言っておこう。
「はい、すごく気に入ってもらえました」
「そうか。それは良かったな。お前達は今幸せか」
 なぜ、そこまでご存知なのか。ユアン様に散々聞き出されてしまったから、クラトス様にも伝わったのだろうか。
「はい、おかげさまで楽しい日々を過ごしております」
「おかげさま……」
 クラトス様が下を向いたまま、やけに小さい声で繰り返された。何かまずいことを言ってしまったのだろうか。
「そうか、お前の相手は幸せなのだな」
「は、はあ、そう願っております」
 クラトス様は手に持っておられる書類を机に置かれると、後ろ向きになられて、さらに小さな声でおっしゃる。
「ユアンからの伝言はもういい。ご苦労だった。幸せにな」
 肝心なことを聞けないままだったが、これ以上、この部屋にいるなというオーラが漂ってくるので、命があるうちに退散する。とりあえず、私のことを聞いてくださるくらいだから、ユアン様のことを怒っていらっしゃるわけではないのだろう。少なくとも、あの声色は淋しげではあったが、怒ってはおられないようだった。


 頭の中でさきほどの彼の答えが繰り返される。
「おかげさまで」
 私が身を引けば、楽しい日々が待っているのだな。それは良かった。お前のためなら、何でもできるはずだ。何をしてもよいとずっと思っていた。
 だのに、あの目が別の者へ注がれると考えただけで、胸が痛い。あの声が己以外に向かって囁くところを想像すると、もう居たたまれない。一度、手に入れたものをこんなに簡単に放すことはできない。お前から直接告げられなければ、嫌だ。その前にもう一度己の心内を語り、お前の気持ちを取り戻したい。思いなおして欲しいという気持ちは抑えられない。
 さきほどの青年の後を追ってユアンの執務室へと赴く。扉が開いたままになっているところを覗くと、ユアンが親しげに青年の肩に手をやっている。しかも、手にもっているあの小瓶は何なのだ。
 その瞬間、ユアンと目があった。いつものように、極上の笑みを浮かべて奴がこちらに近づいてくる。こんな無様にお前を追いかける私にまでその顔を見せるのか。新しい恋人にそんなに無防備にさせておいていいのか。そこのハーフエルフよ。


 クラトスが妙に必死な目つきで扉からこちらを覗いている。
 配下の者の話では、あいつの恋愛話を聞きだして、うなずいていたとのことなので、もう、怒りは解けたのだろう。それにしても、奴が他人の恋の成り行きに興味を持っているとは知らなかった。いつも、何にも関心なさそうな顔をしているくせに、隅におけないな。
 なんだか、彼の真剣な表情が微笑ましくてつい笑いかけてしまう。奴の怒りが解けてよかった。どうして怒っていたのかはわからなくとも、許してもらえればそれでいい。とりあえず、配下のものを送った甲斐はあったな。それに、仕事中は絶対に席を離れないくせに、わざわざ私の執務室に訪れるとは、部下の話を理由に、本当は私に会いたかったのだな。


「クラトス」
 ユアンが嬉しそうに近づいてくる。こんな追いすがる私を見ることがそんなに楽しいのか。しかし、どうしてもお前を手放すことはできない。お前の側にいたい。
「お前まで、あいつの心配をしてくれているとは知らなかった。お前は確かに部下思いではあるが、私の配下の者にまで気を回してくれるとはたいしたものだな。私も今度はお前の配下を呼んで、酒宴でもしよう」
 お前は一体、何を言っているのだ。
「こいつから、恋人のために調合してくれと頼まれて、散々私が骨を折っていたのだが、お前と違って、女性は何かと注文が多いらしくてな。何度も調合しなおして大変だった」
 えっと、話が見えないが、ユアンが嬉しそうにしているので、うなずいてみる。こちらを見ないように、例の部下がユアンの背後を静かに通り抜けようとしている。
「クラトスを呼んでくれて、ご苦労だったな。お前も頑張れよ」
 あいつも釈然としない顔をしながら、それでもほっとしたように我々の横を通っていった。
 今、ユアンは何と言ったのだ。あいつは私を呼びに来たのか。しまった。そういえば、用件を聞かなかった。あの男の恋人はお前ではなかったのか。もしかしてして、私のただの勘違いだったのか。何で、部下の恋人のために香を調合していると話してくれなかったのだ。とにかく、良かった。
 いつもと変わらぬユアンの微笑みを見て安堵の気持ちについ気を許したとたん、ユアンに抱え込まれて口付けされる。
「ユアン、何をしている」
「貴様が昨日は許してくれなかったからな。仕事中にわざわざ私のところを訪れるなんて、貴様も本当は淋しかったのだろう」
 こいつは何を考えているのだ。私がどんな気持ちでいたと思っているのだ。確かにお前に会いたかったが、そんな理由ではない。ああ、すぐにこいつの笑顔にほだされる己が情けない。
「馬鹿者、離せ。執務室や廊下で抱きつくなと言いわたしているだろうが」
 皆が見ない振りをして通り過ぎているではないか。いや、ここまで来る間も見ない振りをされていたような気もするから、同じか。それだって、お前が私をこんなに心配させるからだ。そもそも、こいつがいつも紛らわしい行為をしては、私を勘違いさせるのがいけないのだ。


「クラトス、どうしたのだ」
 気の回らない恋人は、こういうときだけ野生の勘を発揮して、のほほんと聞いてくる。言えるわけがない。お前に捨てられると勘違いして、のこのこ、ここまで来てしまったなんて。
「いや、別に普段と変わりないが」
 離せ。このまま、お前に見つめられ、抱かれていると、うっかり全てを話してしまいそうになる。それだけはしたくない。いつも、私をこんなにさせるお前が悪い。
「そうか、怒っているような気がする」
「怒ってなどいない」
 ユアンに抱きすくめられたまま、珍しく声を荒げるクラトスに、次ぎの犠牲者と決まったユアンの配下が首をすくめ、二人を見ないふりして、ユアンの執務室から急いで遠ざかろうとしている。
 クラトスを離さないユアンへ、怒りのジャッジメントが降り注ぐまで、後一秒。





3K(あるいは、上司の悩み)


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