収束

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万聖節

 木漏れ日にひらひらと舞い散る白樺の葉が黄金に輝いた。コンコンと森の奥からキツツキが忙しく働いている証が響く。かさりと音をたてて、色とりどりの葉の上に、色鮮やかな葉がまた重なり落ちた。
 ふわっと爽やかな秋風が吹くと、盛りには早い唐松の葉もさらさらと降ってくる。ユアンは、しばらく髪にまとわりつく檸檬色の葉を払い落としていたが、きりのないその作業を続けることをとうとうあきらめた。一人で歩く奥深い秋の森は、意外と賑やかだ。秋の豊穣を現すように、ひとしきりキツツキのドラミングがあちらこちらで響いたかと思うと、カラの群れがちっちっと金属を触れ合わせたような高い声で鳴きながら、梢の上を移動していった。
 
 
 昨晩、恋人の息子が幼馴染二人と旅の途中で知り合った娘の四人で奇妙な仮装をして現れた。そんな年は卒業したと思っていたのが正直なところだったが、見ているこちらが楽しくなるほどはしゃいでいるので、つい、一人でいる淋しさも手伝って、家に招きいれた。
 ロイドはクラトスが心痛めている例の海賊衣装を着ていた。この季節では寒いだろう。コレットはロイドに合わせたのか、海賊船の三下といった様子だ。ジーニアスは骸骨模様を浮かび上がらせた上下をはおり、横でただ一人飛び跳ねていないプレセアは黒いとんがり帽子に黒いマントを羽織っているから、魔女のつもりなのだろう。
 大騒ぎで菓子を寄越せというロイドに、父親がこそこそと隠れて買いおきしている甘い菓子を出してやると、四人とも早速テーブルに腰掛けた。茶を出しながら、聞くともなく尋ねる。
「お前達、そんな格好をして、幼い子供のように騒いで、一体どうしたというのだ」
「ユアンさん、知らないの」
 ハーフエルフの少年がさも吃驚したように尋ねてくる。
「ユアンさん、今日はね。万聖節の前の日なの。ハロウィーンといって、悪いお化けが出ないように、私達が怖い格好をして外で見張って歩くんだよ」
 もう、神子ではなくなったが、相変わらず、その役目から逃れられていない娘がのんびりと教えてくれる。
「な、俺達の格好、結構迫力あるだろう。ユアン」
 父親が見たらまた嘆くぞと言いたかったが、お祝いの日らしいから喉元まで出かけた言葉は飲み込む。こちらの反応など一向に気にしないロイドはいつものとおり豪快に菓子を口に放り込む。
「この菓子、すごくうまい。父さんが選んだって言ってたけど、俺達に用意してくれていたのかな」
 さすがに親子だ。歯が疼くほど甘くチョコレートや氷砂糖でコーティングされたかわいい焼き菓子に何のためらいも見せない。いかにも満足そうに茶を飲むその姿が今ここにいない者を思い出させる。
「いや、お前の父の買い置きだ」
「へえ、父さん、今夜のことを知っていたのかな。さすが準備いいぜ」
 誤解だと教えてやりたかったが、クラトスは息子にだけは己の悪癖を秘密にしたがるので、口を閉じた。クラトスときたら、子供のようだと言っても、毎晩、夕食の後に嬉しそうに缶を食卓に持ち出すのだ。どうせ、親子で一緒に過ごせば分かってしまうことなのだから、何を格好つけると思う。しかし、こんなことが彼の口からばれたと分かると、一騒動起こしたあげくに、勝手にすねるから大変だ。
「そんなところだ。それで、万聖節とはなんなのだ」
「亡くなった祖先や親しい人がその日にだけ、生者の世界に帰ってくると言われています」
 斧使いの少女がたんたんと答えた。
「俺さあ、小さい頃とか寝ないで待ってたんだよ。夜中まで起きていて、よく親父にどやされたものさ。ずっと待っていたのに母さんにも父さんにも会えたことなかったんで、忘れられてるのかと思ってたらさ。父さん、生きているんだもんな。道理で来てくれなかったわけだよ」
「ロイド、ただの言い伝えだよ。ずっと、信じていたの」
「おう、ジーニアス。違うのか」
「あちゃ」
 いつものように、ずっと幼い友人があきれたような声を出す。
「でも、ロイド。私も信じているよ。私のお母様は来てくれたような気がする。うんと小さいときに、やっぱりずっと待っていて、全然来てくれないから、悲しくなって泣いたことがあったの。一杯泣いて、疲れて、待ちきれなくて寝ちゃった。その晩、優しい指が私の頬をなぞっていった。そのとき、お母様の香がしたよ」
「そうか。コレット、よかったな」
「ありがとう。ロイド」
 いつものように、二人の世界に入ろうとしている幼馴染を照れくさそうにジーニアスが見守っている。
「私にも来てくれるでしょうか。私、ずっと何もかも忘れていました。そんな私にも、私の家族は来てくれるでしょうか」
 突然、プレセアが誰に聞くともなく尋ねる。
「プレセア……」
 ジーニアスがプレセアの手を慌てて取ると、横でロイドが大きく頷いた。
「親父が言うには、毎年必ず来ているんだって。でもさ、俺とか友だちもいて、幸せだろう。そういうときは、黙ってみているだけなんだってさ」
「そうだよ。プレセア、きっと、今のプレセアを見て安心してくれるよ」
 ジーニアスが取っているプレセアの手の上に、コレットが手を重ねて真剣に言いたした。
「僕も、そう思うよ」
 小さな声でジーニアスが言うと、プレセアがにっこりと笑った。
「ありがとうございます、ジーニアス。コレット、ロイド、側で見守って
くれているのですね」


 子供達が大騒ぎした後に帰って行くと、仮住まいにしているイセリア森近くの人間牧場の跡地はいつも以上に静まりかえっている。
 三日前、クラトスが数日留守をすると伝えてきた。この地からあの星が離れてしまう前に、互いになすべきことは山積している。だから、クラトスに引き止めるようなことは言わなかった。
 だが、久しぶりに二人で過ごすときを味わった後は、多少寂しい。永遠に朽ちない光沢のある金属の通路に木霊する足音の響きもむなしく聞こえる。夜、広い寝台の上で所在無く寝転がっていると、子供達の話が脳裏に甦った。もちろん、親しかった者が彼を訪れてくれるなど、子供達と同じように信じているわけではない。だが、訪れてもらわずとも、自ら訪ねることはできるはずだ。


 翌日は快晴だった。今まで足を伸ばしたことのない、いや、足を向けてはいけないと思っていた大樹の地へ向かった。大樹の新たな息吹を感じてこの方、一度も訪れたことはなかった。大樹に宿る万物のマナが彼を受け入れてくれるとはとうてい思えない。許しを乞うなど、それこそ、してはならないことだ。 だが、もうすぐこの地を去るつもりだ。だから、己の積み上げてきた恐るべき罪業の一片たりとも決して忘れないと、今のうちに伝えなくてはならなかった。
 久しく足を踏み入れたことのない森の奥へとゆっくりと歩む。散り落ちる色づいた葉と真っ直ぐのびる唐松の間に白樺の白さが目に染みた。新たな世界を祝うかのように、日に当たるツタウルシの赤が鮮やかで、道なき道の先を教えてくれる。森はどこまでも静謐で、彼を拒否しなかった。今日、クラトスが不在だったことに安堵した。
 再び二人で過ごすようになってから、今後のことについては何度も語りあったが、互いに過去のクルシスでの話をしたことはなかった。彼がしでかしてきたことは余りに長きに渡っていたから、犯した罪のリストを読み上げることさえも、一日では終わらないだろう。クラトスは、胸中に抱え込んでいる重荷を彼に語るには、その心が流した血がまだ止まっていない。あまりに生々しいできごとばかりだった。
 どれくらいたっただろう。考え事をしながらゆっくり歩いていたせいか、日も高くなる頃、ようやく若い大樹の近くに来たことを感じた。放たれるマナは色濃く、濃密な百合にも似た強い香を漂わしている気がした。もっと間近に臨みたいと思いながらも、これ以上神聖な森に踏み入ることは躊躇われた。彼にここまで近づくことを許してくれたことに感謝する。
 落ち葉が厚くつもった地に立ち、まっすぐに大樹が在ると思う方角を向き、目を閉じて立つ。言葉にするべきものは何一つない。頭を垂れ、マナの流れに身を委ねる。


 私はあなたがたを忘れません。私は己の手が汚れていることを忘れてはいません。なしてしまったことを全て抱えたまま、でも、生かされています。この先、また愚かに罪を繰り返さないよう見ていてください。この身に抱えている罪業に新たな一つが付け加えらるなら、どうぞこのまま滅してください。あなたがたに平穏が訪れるそのときまで、私はあなたがたの永遠の僕(しもべ)です。


「ユアン」
 決して忘れたことのない新緑の囁き声が背後から聞こえた。
「マーテル」
 遥か昔と同じように、呼ばれれば素直に返事を返した。だが、お前はこの地にはもういない。これは夢だ。身動きすれば消えてしまいそうで、動けなかった。
「ユアン、相変わらずだね。姉さまを困らせないでよ」
「ミトス、お前も一緒なのか……」
 意を決して、声のする方へと振り向いた。いつの間にか、周りに白く濃い霧が垂れ込めている。
「ああ、今は姉さまと一緒さ」
 小柄な金髪の少年が乳のように白く濁った霧の奥から走ってくるやいなや、彼の懐に飛び込んだ。その後ろを静かに歩みよるほっそりとした影に声が出ない。
「ユアン、あなたらしくもないわ。どうしたの。何があなたを苦しめているの」
「ユアン様、どうぞ、あまりお嘆きくださるな」
 白絹の緞帳の奥からゆらりと大事な副官が姿を現した。
「ボータ」
「思い出してくださるなら、我らの颯爽とした姿にしていただけますとありがたいのですが」
 副官は以前と同じくゆったりと頭を下げ、脇へと一歩下がった。
「ユアン、どうしてそんなに悲しい顔をしているの。私のためなら、いらないのよ」
「そうだよ。僕がしでかしたことなんだ。お前が気に病んでいては、駄目だよ」
「しかし……」
「ほら、またここに皺がよっているわ。素敵な顔がだいなしね」
 マーテルが遠い過去と同じ調子で言いながら、細く柔らかい指先がユアンの額を撫でた。数千年たっても、心の奥底からどきりとさせる優しい感触。夢とは思えない熱をもった指先。
「姉さま、ユアンは男だよ。顔なんてどうでもいいんだよ。そんなに褒めたら、すぐにつけあがる」
 ミトスが彼にかじりついたまま、以前と同じように姉へと文句を言った。その言葉にユアンも軽く笑いをこぼした。
「ミトス、自分のことは弁えているつもりだ。それより、マーテル、聞いてくれ。私は、お前のためと心に偽って、多くの命を……」
「ユアン、黙って。ねえ、耳を澄ましてよく聞いてちょうだい」
 マーテルの指先が彼の唇に押し当てられた。だらりと垂れ下がっているユアンの手が以前と同じように優しく包まれた。マーテルの手は小さく、柔らかく、温かかった。
「大樹の声が聞こえるでしょう。何かを恨んでいるかしら。その声の届く世界は荒れたままなのかしら。私達、幸せそうには見えないかしら」
 目の前で、マーテルの笑顔がぼんやりと崩れ始める。マーテルのために流したくて、しかし、今だかつてそのためにだけは零れ落ちたことのなかった涙が頬を伝わる。優しい指先がそっと頬を拭ったと思うと、マーテルの手がほどけ、癒しの女神が側を離れていくことが分かった。
「待ってくれ。マーテル。まだ、他の神子達に謝っていない……」
 腕の中にいたミトスが急に大きくなり始める。
「ユアン、あらゆることを生み出したのは僕だ。お前達の話を聞かなかったのも僕だ。でも、この僕でさえ大樹は受け入れてくれたよ。今は全てが平穏だ。それもお前やクラトス、皆の苦しみの上に築かれているのだよ。勝手だとはわかっている。だが、もう僕のために苦しまないで」
「ユアン様、後悔なさらないでください。我らの選択は我らがなしたこと」
「来るべきときまで、あるべきままの姿で。お願いよ、ユアン」
 深い霧が彼を押しつぶすように寄せてくる。成長したミトスが彼の胸から数歩下がるとくるりと向きを変え、姉の後についた。副官が再び深く頭を下げ、その後に従った。
「皆、待ってくれ」
 ミトスがこちらを振り向いた。いつでも叡智の光を称えていた碧玉の目が、変わらず彼を見つめる。
「最後のお願いだ。クラトスに伝えて。今更だけど、平穏が彼と共にあるようにと」
「ユアン様、再びお目にかかれて幸いでした」
 ふわりと癒しのマナが彼の周りを巡る。森の囁きが、大樹の息が彼の耳を掠めた。
「ユアン、ありがとう」
 急速に辺りに立ち込める霧は息をも詰めるほどの濃さとなった。慌てて追いすがろうとするユアンの足に何かが絡みつき、彼は倒れた。


 相変わらず周りに垂れ込める濃密なマナに、深呼吸をする。いつの間にか静かな森の雰囲気に寝てしまったようだ。落ち葉の柔らかい褥に横たわっている自分に気づいた。昨晩の子供達の言葉に、つい都合のよい夢を見たようだ。頬に流れる涙の感触に苦笑した。深い霧は消え、枝を透かして届く日差しが心地よかった。
 身を起こすと、さきほどマーテルに握られたと感じた手に何かがあることに気づいた。ゆっくりと手を広げると、今の季節には咲かない大樹の白い花が現れた。もう一度そっと手を閉じ、その手に顔を押し当て、ユアンは落ち葉の上に長いこと身じろぎもせずに座っていた。


「ユアン、ユアン」
 木々の合間から彼を呼ぶ声が聞こえる。戻らない彼を追ってマナの痕跡でもたどったのだろうか。確実に近づいてくる。低く、しかしよく通る声は生きている者の証だった。
「クラトス、こちらだ」
 ゆっくりと答えを返せば、男の足音がこちらに向かって急ぎ足となった。
「ユアン、なぜこのような場所にいる。書置きくらいしてくれ。結構、探したぞ」
「それはすまない。だが、貴様が留守にすると言ってたから、今日戻るとは思わなかった」
「また、私の話を聞いていなかったな。近頃ぼんやりしすぎだ。万聖節に戻ると伝えたはずだ」
「そうか、今日だな。それはすまなかった。ところで、万聖節に何か意味があるのか」
「お前と一緒に行きたい場所があるのだ」
「どこだ」
「うむ、それは……。それより、さきほどの質問に答えていないぞ。どうして、このような場所に来た」
「そうだな。貴様と一緒にいることを大樹に報告にきたのだ。昨晩、ロイド達が来て、今日は失った大切な者が側まで戻ってくれると聞いた」
「ユアン」
「信じてはいなかったのだが、さきほど、マーテル達が会いにきてくれた。ほら、それが証拠にここに大樹の花が……」
 開いた手には、小さな艶々とした木の実がころがっていた。驚いて見やるユアンの横で、クラトスが軽く噴出した。
「ユアン、夢でも見たのか。それとも、この森の動物に化かされたのか。まさか、お前ともあろうものが、万聖節を信じているとは知らなかった」
「いや、クラトス。本当の話なのだ。何を笑っている」
「最近、お前が元気がなかったのでな。少々、案じていた。
だが、こうやってみると、少しは疲れがとれたようだな。大樹の恩恵かな。それにしても、森で化かされるとは、お前は相変わらずだな、ユアン」
「何を言う。貴様にそのように言われる筋合いはないぞ」
 まだ、含み笑いを浮かべるクラトスの表情にユアンはこれ以上の文句はあきらめた。自分だって、夢かと半分疑っているのだ。
「今度は私の質問に答えろ。これから、どこに行きたいのだ」
「ええとだな。ダイク殿の家だ。ロイド達が今宵、万聖節のご馳走をしてくれると言うのだ。万聖節の日は家族で祖先や近しかった者の墓を訪ねたりするのが習慣と聞いた。だから、正餐前に、お前が嫌でなけば、アンナの墓に二人で訪れたいと……」
 クラトスは一気に言った後、その言葉に目を見開くユアンの表情を心配そうに伺った。
「あの、駄目だろうか」
 思いもかけない申し出に驚いたのは確かだが、それは、決して不快な感情ではなかった。それどころか、あの日以来、一度もクラトスの口から聞いたことのなかった人の名を耳にして、ほっとする。そして、驚く彼の姿を見て不安に思わせてしまうことにわずかな申し訳なさと、それ以上に大切にされているという満足感を感じる。
「貴様が一人で話したいこともあるだろう。私も一緒でいいのか」
「ユアン、お前と一緒に訪れたいのだ。その、私とアンナの話をお前に聞いてもらいたい」
 真っ直ぐ揺るがないクラトスの眼差しを眩しそうにユアンは見つめた。自分が過去の時のなかを彷徨っているうちに、大切な者はすでに出口を見つけていたようだ。
「クラトス、貴様が望むのであれば、いくらでも聞かせてもらおう。そのかわりと言うのも変だが、そのうち私の話も聞いてくれ」
 言うなり、ユアンは軽くクラトスを抱き寄せ、その確かな存在を腕の中に感じた。


 ふんわりと甘いマナが彼ら二人を包み込み、日暮れて色を失いかけた秋の木々に今日の最後の日差しが差し込んだ。淡い日の光の中、ユアンは手の平の上で弄んでいた木の実を厚く積もった落ち葉の上に静かに置いた。艶々と光を浴びた木の実は地上が豊かになった証だ。クラトスと二人で寄り添って眺めていると、すっと通り過ぎていく秋風に木の実はふらりと転がりだし、やがて地の色へと紛れた。
 並んで森を去っていく二人の上に穏やかな風が色づいた葉を散らせる。しばらくは、枯れ葉を踏みしだく二人のゆっくりとした足音が聞こえていた。やがて、いつもと同じ静寂があたりを支配する。とたんに、木の実はきらりと光ったかと思うと白く淡い花弁のようにも広がり、幻の蝶となってふんわり森の奥へと消え去った。 
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